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2016年8月29日

「さよなら夏の日」

ネタ帳ラボ!一期一会

夏のささやかな午後。インターネット通販のキラットで夏を凌ぐために大量購入したブツが冷蔵庫に格納されている。オレは急いでドアを開け、S.PELLECRINOの炭酸水という夏のブツのキャップをまわし、14時の時報にあわせて空け、山下達郎サンデーソングブックのラジオに灯をつける。

こんな小市民の、こんな夏を爪立ちさせてくれている、目の前のS.PELLECRINO炭酸水にオレは一礼の夏の敬意をはらう。1本あたりの単価は48円でコストコもかなわないような値段で売ってやがる。キラットという妖怪みたいな店をネットでやっている奴は、どんな奴だ。日曜日で風采の上がらないオレを助けてくれる君は、今日の救世主だ。

最初の一口のジュワアーー!・・ムムム!・なりませぬ!この爽快さ、スネアの音のような弾み!その音の奥深いのは、こいつの出身がイタリアというせいだろう。歴史に連なった陽気な男達の歴史とダンディズム。重ねて、ミラノのフォーシーズンズホテルでオレに100万ドルの微笑み返しをオフショアの風のように送り、脳天逆落としをくらわしていったミラネーゼのアモーレの口角の放物線、なぜかオレの記憶の回路は、そこに繋がっていた。もう、オレは妄想が始まると止らない。そうさせたのは、S.PELLECRINO君、君だ。

ヨーロッパを旅していると、女性のベテランガイドさんと夜食事に行くのが好きだった。(^O^)オレは、2週間滞在したイタリアのフィレンツェで、ドゥオモの近くのトラトーリアで、こんな話をその女性ガイドさんから聴いた。「イタリアというのは、フランスの文化を創ったのよ」というワインが人を近づけるには十分すぎる話題だった。その主人公はカトリーヌ・ド・メディシスという(時は16世紀百花繚乱ルネサンスの都はフィレンツェ)、メディチ家よりフランス王家に嫁いだ女性だ。その時は初めて聞いた名前だった。

当時のフランスは、鳥がまるごとテーブルの皿に盛り付けされ、それをみんなで宮廷で分けて食べていたというお粗末な食文化レベルにあった。そして世界でイタリアだけが洗練されていた時代。そこに、カトリーヌの嫁入りで、フォーク、野菜、ソース、調度品など、フランス食文化の革命がもたらされた。ちなみに、彼女はマカロンの生みの親ともいわれ、お菓子文化の生みの母でもある。そして、晩餐会で食の革命を広げていった切れ者の100%の女なのだ。たった一人の結婚が、その国の文化までもかえてしまう・・・。香水も調香師を連れてきた彼女が発祥なのですよ。マリーアントワネットではないのです・・。

カトリーヌ・ド・メディシスは14歳で結婚したのですが。10年子供が出来ず、牛の糞と雄ジカの角を彼女の「生命の源」に貼り付けたり、騾馬の尿を飲むことまでしたそうで、100%女のパワーに脱帽するばかりだ。それでも苦節10年で子供が出来て、12年で子供を10人残すのです。ただですよ、国王には愛人(ディアヌ・19歳も年上)がいて、生まれた子供はディアヌに育てられ、子供とは別居のまま暮らすこととへ。話すと長くなるので止めますが、そんな夫が亡くなっても、ミケランジェロに銅像を頼んだりして、優しい女、いや強い女なんですよね。ノストラダムスとも交流があったとか・・・まだまだ僕には謎めいた女性です。歴史の扉は、こんな女性の生涯を追いかけてみたく運命から始まるんだと思う、フランスのロワール川流域に広がる渓谷に彼女の破片があるアンボワーズ城、シュノンソー城、訪れてみたい場所なんですよ。

ラジオからは、山下達郎サンデーソングブックで竹内まりやさんとの納涼夫婦放談のお決まりの最後の曲「さよなら夏の日」が流れて来る。夏が過ぎ去って行く、ぶるぶる震えていた、太陽が肩の力を落としながら、新しい季節に向かおうとしている。「お天道様よ、今年の夏はやりきったな」とオレは声をかける(笑)。

2016年の夏は、雨のない夏だった。それはまるで、灼熱の狂った太陽に、サンドペーパーで心が削られていくような気分だった。その摩耗感、ヒリヒリとした疲労感に頭が思考停止になったのが何回かあったほどだ。朦朧とさせられながら、タフネスについて考えさせられた。

そして、来週のサンソンは、竹内まりや「September」が冒頭でオレの人生に変らず流れるだろう。オレは、何年この番組を聴き続けているんだろう、でもたったひとつこういう番組があるから、オレみたいな民くれは、スタバの珈琲とともに救済されてゆくのだ。自分のリズムを保つのは、こういう音楽であったり、季節の食べ物だ。世界を廻って思うのは、日本の果物は世界最高だと、胸を突き上げるほど自信が漲る。産直にいってシャインマスカット一房が1,200円だった、旨いものは、旨いのだ。

2016年8月22日

SNSのコメント、感想は人間関係を築づく第一歩

ネタ帳ラボ!一期一会

 オリンピックの女性の闘いは、100人組み手のように、百花繚乱を奏で、毎晩寝不足でありました。やっと人間に戻れそうです。

 さて先日夜の宴会で、「自分らしく、ありのままでいい」という言葉を使うX氏に、うーんそれは「気持ち悪い」と苦言を申したら、素直ではないといわれた。

 どうも言葉が先行し、補足が足りてない。「自分らしく」というのはなんでしょうか?妥協の産物ではないのか、「ありのまま」でいいんなら、現状維持ではないのかと、オレは毒づいたのだ。

 「自分らしく、ありのままでいい」というのは、どこかの社長が社員の成長を止めるための呪文にしかオレには聞こえない。大人の優しさというのは、ずるさとセットで成長してきた歴史を教えるべきなんだよ・・・そろそろね。

 「オーガニックの野菜だから旨いね」という。オレにはこのオーガニックの野菜は、育成に失敗しているようで、パンチが足りてない。「脂がのっていて刺身が旨い」と言うけど、養殖で餌の食べ過ぎと、運動不足で脂がついているように思える。あまのじゃくで考えていると、少しは真実に近づける気がして、そうしている節もあるにはある、けどね。(笑)

 人は思い込みというものに、あまりにも左右されているような気がしてならない。シェフのこだわりハンバーグ、熟成カレー、名前が先行しすぎている。そんなことより、1日100食売り切れとでも書いてくれていた方が、わかりやすい。「こくがあって、あっさり」とか、説明が足りなさすぎて、頼りない。「クセがなくて、旨い」とか、あるんですか?(笑)

 何でこんなことを書いているかというと、LINEなどのSNSでコメントや、感想を書くときに、人は言葉が足りてないことに気がついてないんですよね。これからは、コメント、感想は人間関係を築づくときに、最初の第一印象のようなものだから、あと1歩踏み込んでもらいたいんです。

 オリンピックの選手のインタビューも、選手の座右の銘とか。健康管理になんでこだわるのか?何を喰っているのか?とか知りたいんですよね。

 食べ物は体調や育成に大きく影響するはずで、火を使い、時には発酵させ、調理することは大事なはず。チンパンジーなどの類人猿が、火を使い、調理することを覚えたら、遠い将来には、知能が発達し人間になるような気がするんですよね生肉なんて、摂取して半日も噛んでいるんだから、焼いて食べれば10分で終わるのにね・・・アスリートの強さは、食べることの中にある気がしてます。

 さて、お盆はメルマガもお休みをいただきました。再び始動します。よろしくお願いいたします。

 今日は、こんなところです。

2016年8月1日

同窓会の時期がやってくるForever Friends

ネタ帳ラボ!一期一会

九重親方が亡くなられた。いつだったか、NHKのニュースの番組で、九重親方の指導法が取り上げられていた。「考える相撲」「考えさせる相撲」が真骨頂で、若い力士には取り組みのあとLINEで必ず自分のスタンプもつかい、感想を送るという。その話をききながら、感想は人間関係の最初の一歩なんだなと思ってしまう。そのコツが「考えさせる」確かにそうだな。親方は、弟子の強みを弱みも知りながら黙して、時代にあわせてLINEでヒントを短く投げて、想像の翼を育てたんでしょうね。

ウルフという呼び名がたまらなかった。ご冥福を祈ります。

そして九重親方のことを書きながら、ふと思い出した。幻冬舎の見城社長は五木寛之さんを口説くときに、どんな小さなコラムも、エッセーや対談も必ず読んで、そのすべてに手紙を書いたそうだ。相手の刺激になるような場所へ、身を挺して切り込み、逆に外れれは逆効果になることを危惧しながら、心をすり減らし、手紙を送る。25通目くらいの時に返事が来て、初めてあうことになり、やがては本になった。本気度が違うだけなんですよね。凄いわ(^O^)
LINEやSNSで食べ物や、季節の挨拶や、毎日の出来事も悪いとは言わないけど、あまり自分の事ばかり書くのはどうだろう?食べ物のLINEがきたら、おいしそうだねと感想を書くより、なぜそれを選んだの?という相手の深層心理に、心をぶつけてみるのがボクはすきだ。

仕事をするときは、他者のことに想像の翼を伸ばせるか?共同体の中では、支配欲、嫉妬心、猜疑心などがつねに怨念のように駆け巡り、他者のことを知らないと、うまくいかない。だから食事でもして不安を解消しないとおさまりがつかないときもある。俺に今ないのは狂気なのだ、見城社長の25通の手紙のような狂気。ユーミンのアルバムを全部聴いて、全部に感想を書き、石原慎太郎先生の時は、全冊読んで、対面したときは、太陽の季節は暗唱したという、その狂気、熱狂、まだまだ足りなすぎる。

8月のお盆に、大学の音楽系サークルの4年に一度の同窓会が開催される。その幹事をずっとやっている、ドラム練習をちょぅとばかり秘密特訓してきた。今日からスタジオで一人特訓してみようと思う。4年ぶり、8年ぶり、12年ぶりの人もいる。みんな、なんだかんだしっかり練習してくる、そんな仲間が大好きだ。

竹内まりや Forever Friendsが8月のマイヘビーローテーションどんなに長く ごぶさたをしてても話ひとつかけるだけで 学生に戻れるという、イントロを聞いただけで幸せな気分になれるんだな・・

今日は、こんなところです。

2016年7月25日

寿司屋で女性の大将がいないのはなぜ?

ネタ帳ラボ!一期一会

朝からあぶらぜみが、遠慮を知らず真夏へ、真夏へと鳴いています。
先日、実家で焼きナスをごちそうになりました。「うん?なんか旨いぞ」ナスの表面にまろやかな薄皮一枚ほどの旨みがあって、はたして、これはどうしてかと尋ねると、「じゃーん!これです」と、ジャムの瓶ほどの大きさの”日清クッキングフラワー薄力小麦粉”を、「この紋所が目に入らぬか」とばかり、母がつきつけた。この薄力粉を使って、ドーナツやお好み焼きなどをつくってくれたものでした。
それがサイズが小さくなって、コンパクトサイズ。胡椒をふりかける感じで使う。天井のキャップは両開きになっていて、2つの開け口があり、もう一方は軽量スプーンをいれて多めに取り出すこともできる、その際にちゃんとすり切りできるようになっていてなかなかの優れもの。
うーん、デザインも、機能性もイケている。こういうモノをいち早くとりいれる女性感覚にもほれぼれする。化粧をしない、男にはこういう感覚が欠落している。
お客さんと、できたちの串揚げが食べれる、串揚げ屋さんに行ったときのことです。店の大将と話をしていると、「お寿司屋さんで女性が握ってくれる店がないのはなぜか」という話題で盛り上がりました。言われてみれば、女性が握る寿司は食べたことがない、知っているお店もないし、かといって・・なんかそれは食べたくないという、先入観まである。女性が握ると、お寿司に人肌のぬくもりを感じてしまいそうな気もするし、カウンターでの会話も全然違ってきそうだし、大将!とか呼べないのもさびしい。

「もったいないが、女性には強くあるんですよ」と、大将がぽつりと言葉を投げる。「女性はすてられないからね、真ん中の良いところはつかうのよ、でも両端はまだ食べれるので捨てない、何かに使えると考えとるんですよ、まあこれも料理仲間が言ってたんですけどね」と、本当は自分のことばなんだろうけど、美味い表現をつかうものだと感心する。余計なこととか考えちゃうんだろうな。繊細だからね。
なるほど、女性は愛情と義理で食事をつくり、工夫するから。こういうプロのお店では味が変わるのかな?と、ひたと考え込んだ。と同時に、なにかしら、はにかんだような都会の少数派が許せる女性の寿司なら食べたいと、妄想を膨らませた。店の名前は「喜怒哀楽」とかね。(笑)
さて、夏は果物と野菜が豊富にございます。たとえば、内子のもも。旨いですよね。ただ完熟度合いと、見立てから旨そうなモノを選ぶのは難しい、もちろん食べるタイミングも。

スーパーに行くと白桃とにらめっこする。おっぱいをもむ感覚で、そろそろ熟しているか、三日後には熟すかくらいは、なんとか見分けられる、私の右手はそのくらいの感覚は持っている。(笑)産毛がちくちくしているモノは、まだまだ。色は、高校生が恥じらったときの赤らんだほっぺの白桃がいい、おしりの割れ目から、デカいケツを感じるかで、どうやら私好みの白桃は決まるのだ。
道の駅や、マルシェができて、自分の目利きでいかに旨いモノを見分けるか?これは、男にとってはかなりの難行だが、楽しい。バナナは斑点がないのを買う。そして斑点が、出だしてまもなくまもなくが旨い。桃はお尻がデカいモノが旨い、小ぶりのものはダメ、冷やすとダメ、食べる前の二時間くらい前に冷蔵庫にいれるのがコツ。メロンは触っても、硬いのでわからない、なかなか弾力が出てこないので、食べ頃も微妙。一応、編み目が均一なのを選ぶ。スイカもたての線が、均等なのを選ぶ。
まあ、こんな私でも、三越に行ったときには、地下の果物売り場に行って、うまそうな果物を眺めるのが、一つの流儀で、実にたのしい。孤独な趣味なのだ。昔は、八百屋さんがそんなこと全部教えてくれたのにね。
さて、イチローの3,000本安打が秒読み。歴史点瞬間と、球場の雰囲気はLIVEでテレビで見たいですよね。うーーん。内野安打のような気はします。(笑)

2016年7月19日

暑さで、心はツンツンする

ネタ帳ラボ!一期一会

選挙が終わり、この国に革命が起きるのはいつか?なぞと、空想する午後。長老達は昭和の学生運動で、社会を変えられる信じ大挙して行動した。暇でエネルギーがあったのか、踊らされたのか、最初はどうであれ、社会の矛盾への戦いを体験した。
高度成長時代、日本のために汗を流した。日本の復興という躍動感と弾みの高揚は、男達に確固たる自信として深く根をはり、彼らは自信に充ちている。そして80年代の狂った甘美な時代を、むしゃぶった人たちは、価値観を押しつける。いいかえれば支配だ。この世代が死なないかぎり、日本に新しい時代のスタートラインはひかれそうにない。フォークソングやニューミュージックも世代交代は起きない。勝てないのだと思う、そんな体験を論破するなんて。まして、狂った羊は群れをなしているのだから、すべもない。まっこと、頑固で恫喝してきて、やっかいなのだよ・・。
やりたいことは、おっさん達がやってしまって(笑)彼らは、若い世代に期待しているようで、内心は俺がやってやるという気構えがある。気構えはいいけど、高見からみているのが気にくわない。呑みこまれてしまう。だから尾崎豊は、卒業という歌で、「この支配からの卒業」と奏でた。
超昔の話だけど、ラジオで浜田省吾さんがでていて、パーソナリティの昔のフォークの大御所が「若い世代には何もきたいしてない」と語ったことがあったんだ。
すると間髪入れず、省吾さんがキラリと目を輝かせ、突きつけられたナイフに「それはちょっと違う気がする」みたいなかんじで柔らかに、その場の雰囲気を崩さないようにきりこんだ。
「僕らがやってきたきたことが、彼らをそうさせたきたんだ。だから責任をとらないといけないんですよ」たしか、そんなことを言った。
浜田省吾の歌は、抗う世代の若者にそんなメッセージを送っている、彼らを馬鹿にしない、サラリーマン人生も大好きなのだ。
18歳のときにHOME BANDというアルバムを買った。最後の「家路」が大好きだった。

家路

省吾さんは、若者の気持ちを汲みながら、それをエネルギーとして歌をつくっているんだと思う。責任という、ひとつの大きな大きな枷をほどくように
こんな、大御所にはとうてい勝てない。勝てなくていい、永遠なのだから。
夏のゴングが鳴る

煮えたぎった夏の午後はぶるぶるしている

暑さで、心はツンツンする

くるんと夏の吐息を吐き出し

夏の瓜売りになる
おふくろが、冷蔵庫に瓜やきゅりを切って、生姜を薄切りにしてしている。

これが、めちゃうまい。
夏には、生姜ならびに生姜らしきモノが隠し味なようです。

2016年7月11日

選挙が終わった。「悲しみの果て」だ

ネタ帳ラボ!一期一会

そろそろ、つまずいて、転んでいた曇り空を蹴飛ばし、夏空を呼び込もう。
選挙戦が終わった。仕事柄、ネット選挙のことだけが気になって見ていた。結論から書こう「悲しみの果て」だ。
政治に無関心の人が多い。あたりまえだ、住んでいる隣の人も知らない、人付き合いはかろうじて結婚式と葬式くらいで、誰かが困っていても助けていられない。
当り前だよ、自分の幸せのコップすら満タンになってないのに、助けようという気持ちなんて、ぶるぶると、湧いてこないんだ。せめて、コップからこぼれたものが、あるなら、助けられるかもしれない、そうかんがえて、みんなため息をついている、いいやつなんだよ。
せめて、オレたちが同じ星をみているなら、それを乗り越える右手の拳には力が漲ってくるんだけどね。目指すべき星がないから、みんな日常がわがままに生きているんだ。
「じゃ、こんなことを書く奴の政策はなんなんだ、言ってみろ」と、あなたはすぐオレにいうだろう、そうやって見えないナイフを突きつけるだろうね。

とんでもないやつだ、みんなにそうやって日常も見えないナイフも向けてるのかい、バナナでも一緒に食べないかと言ってバナナを差し出してくれよ、いやちょっと待って、この間綺麗な女がバナナが嫌いだと言っていたので、夏なのでアイスバーにしようか、ガリガリ君のような、柄の棒が1本しかないのじゃなくて、柄の棒が2本あるヤツがイイ、二つに割ったときにドラマの可能性を秘めている。(笑)

幸せのコップのサイズは、たまには小さくして見ると、何かがあふれるに違いないと、・・・オレも実験中なのだ。(笑)
「悲しみの果て」か・・・知るかそんなモン!
くだらん遠すぎて、それはあたりまえに過ぎていく不器用な毎日の先にある。

思い出のかけらを、まとって勝負だ! どんとこい!(笑)

2016年7月4日

お遍路逆打ち10回目(全16回)

ネタ帳ラボ!一期一会

おはようございます。クレストデジタルズ渡部です。

梅雨明けの夏はコントロールを失い、お天道様はブレーキがいかれたように暴走しているようだ。かち割り氷水でも浴びたい気分の中、お遍路逆打ち10回目(全16回)、バスは超満員でふくれあがっている。

全国からお遍路バスツアー巡礼者たちは、60年に一度の申年閏年お遍路の現世御利益を期待しいるのかだろうか、その大群は1月に88番札所を出発し、徳島県、香川県を廻り、今はちょうど私の住む松山あたりにいるようだ。こちらは愛媛から出発し、高知、徳島を廻って、最後は愛媛で結願となる変則のコースだだ。

今日のミッションは八番札所熊谷寺から一番札所霊山寺へ。八ヵ寺は密集して位置している。夏でも平場なら、なんとか脚足は最後までもちそうだ。(笑)

どうやら四国遍路をスタートする序盤戦の一番から八番までは、巡礼者がモチベーションがきれないように、平場で足慣らしが設定されていて、体力と健康のヘルスチェック区間である。徳島県(阿波)の23ヵ寺は、発心の道場ともいわれる。

このお遍路のバスは女性であふれている。本当に女性が元気だ。男は萎えている。数名の男性が一人で参加しているけれど、肉食系というよりは、こころ穏やかな人が多い。私は、一緒に廻っているそんな男達が大好きだ。

この世の中の男達は定年を向かえると、ぐったりしている。何か変化したいという欲望や革命を失っている。もう、出世することはない、競争もない、攻撃本能は悲しいほど減退している。喜怒哀楽を楽しめるのは、圧倒的に女性という性だ。

一方、職人気質の男達は、どうだろう。プロフェッショナルになるために自分の性をすててきた。たとえばフレンチのコックなど料理人は男が圧倒的に多い。男達は、喜怒哀楽を制御できるのだ。女は喜怒哀楽に影響されやすい、喜怒哀楽がモロに料理の味にでる、男は技術的なことにおいては、あきれるほど冷静だ。これらは、制度という社会で、男となるために競争社会を生きてきた男達の運命のようにもみえる。

元々、ちょんまげ時代は、女性が知性を持つことを男性が許さなかった。娘は親の決めたところに嫁に行かなくてならない、そして嫁げば、毎日が料理、選択、畑仕事、子育てに追わた。今は15分で米が炊けて、電子レンジ、ルンバ、コンビニ、育児所など、女性のライフスタイルがかわってしまった、枷から解かれると女性は性をとりもどした。男達は、なにをすればいいのかわかっていない。女性の取扱説明書を太宰治に書いてもらいたいくらいだ。男達は、名誉か、階級でも与えれば元気になるかも知れない。これから、男の末路はかなり厳しい。食糧危機もない、戦いもない、無駄に時間がある。プライドを得る場所がない。

なんかまとまりを失ってきた。(;゚ロ゚)

お遍路で女性ばかりのバスだからこそ、そんなことを考えてしまう。イイ機会かもしれない。男は、今戦い、誰にも味わえないようなプライドの思い出を持たなければ、生きていながら、死んでいるようなもんだ・・・
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旅のエッセイ
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ボクはクリームパンを見ると、香港の銅鑼湾(コーズウェイベイ)で現地のガイドさんが案内してくれた傑作な屋台を思い出してしまう。そこは路地裏の、パイプ椅子や朽ちたテーブルが乱雑に並ぶ、決して衛生的とはいえない店だった。アスファルトの広東語で書かれたメニューをガイドさんが訳してくれると、ホットコーラとか珈琲と紅茶のミックスなど、いかにもミスマッチングな言葉が跳んでくる、ボクはドッキリでも仕掛けられたんじゃないかと思えるほどのカルチャーショックを喰らった感じで、香港映画Mr.BOO!ミスター・ブーのワンシーンに入り込んだように思えてきて、店内の丸メガネのお客を見ていると、彼らがあの映画に出演している役者のようにも見えてくるほどだ。
やがて注文したホットコーラーが登場した。一口飲むと「うまい!」と叫んだ。はじめて飲んだ味だったが、イケてる。砂糖か蜂蜜かいれているのだろうか、それとも興奮状態の心がそうさせたのだろうか?
そして衝撃は次のクリームパンと同時に押し寄せた。店員さんが無造作にテーブルに置いた、皿の上のクリームパンはこの世ならざるものだった。パンの真ん中に日の丸のようなクリームの池が広がり、そこには焼いたバッタの姿見が横たわっていたのだ。「なんじゃこりゃ!」と叫ぶボクを見ながら、現地ガイドが腹をかかえて笑いこけていた。 食べてみると、カリカリ、コリコリ音がするものの、妙な気分が押し寄せて頭が先に食べている感じはするが、これまた美味だった。正直まいった。
旅というのは、ただならぬ出会いがあるというのは、いったモノにしかわからない話なのだ。それにしても、香港というのはこんなブラックユーモアーがまかり通るとは、軽いショック状態に陥りながらも、旅の楽しさの洗礼をうけた銅鑼湾は思い出の場所になった。その後、香港の銅鑼湾(コーズウェイベイ)には何度もおとずれ、ボクはこの世ならざる体験ばかりを繰り返していくのだった。

2016年6月27日

イチロー名言「すまん!俺のせいだ、なんとかしてくれ!」

ネタ帳ラボ!一期一会

ボクはいまイチロー選手を追いかけています。

イチロー選手は42歳。今シーズンはプロ解説者の誰もが3000本安打達成は難しいと予想していた。出番が少ない4月。イチロー選手にまさかのまさか!「代打の代打」25年目で初屈辱、その時の彼の唇を噛みしめていた映像が、脳天からはなれない。昨シーズンの打率が229だったのを考慮されたのか、代打の捨て駒に使われたのだ。しかし、その根絶やしできない屈辱に熱せられるように、無言で不死鳥のように、孤独の皮膚を纏いながらイチローは蘇った。すでに日米通算通算安打でピートローズの4256本を越えて、今度は米国での3000本安打まで、残り16本となり、7月中の達成も予想される。
思い出すのは2009年韓国を自らのセンター前ヒットで決め優勝したWBC。WBCではイチローは絶不調だった。12打席無安打。そのキューバ戦で12打席目は進塁のバンドを自ら選択してアウトになるという絶望的な状況。その時イチローはベンチにもどり声を荒げた。

 

「すまん!」「俺のせいだ、なんとかしてくれ!」

 

原監督は、その言葉にしびれたという。誰もが言えんのですよ、そんなことばを、みんなの前で、そういう大切な場面で。

人間の言葉を、限りなく削ると。「ありがとう」と「ごめんなさい」の2つになる。この2つの言葉で生きてゆける。

「ありがとう」はみんなよく使う、一方「ごめんなさい」は言えない人が多い。「ごめんなさい」に正直になれないのは、人間の弱さなのか?開ききって100%ごめんというのは、もともと言いにくい気もする。そうだ「ごめんなさい」は微妙に使いにくい。丁寧すぎるというか、馴れてないというか、日本語ならでは欠点ではないだろうか。英語ならI’m sorryで言いやすい。

そのかわり「すまん!」というのは男は使いやすい。(女性なら「すみません」だろうか)辞書で引くと「きまりがわるい」と書いてある。この言葉「すまん!」は、リーダーたちにとって魔法の言葉だ。「すまん!」のあとには、なにかすでに無意識に、かならず「俺が挽回する」の力づよさがひめられている。イチロー選手はもっと凄い。「すまん!」のあとに「俺のせいだ、なんとかしてくれ!」とみんなのこころに飛び込んだ。そこにいた、監督、選手、仲間達は体に電流が走り、内臓と内臓がこすれ、止めようのないアドレナリンが流れたのではないだろうか。

男女のけんかで、男は「100%、俺が悪かった」と言わなければ、そこから恋は、山の斜面を転がり、泥沼にむかうだろう。尚、ここまでは「すまん!」「俺のせいだ」と同じ意味といえる。(^O^)だが、もう一言必要なんだ、覚えておいてくれ「なんとかしてくれ!」だ。お前のすべてが大好きだから・・・「なんとかしてくれ!」と体ごと、魂ごととびこんで、100%ゆだねるしかない。(笑)

つくづく、日本語は難しいと思う。

だけど、つくづくなんと素晴らしいんだろう。

今日も「毎日がスペシャル」になりますように。

 

マーリンズ・イチロー【写真:Getty Images】

2016年6月13日

「浅知恵」お遍路逆打ち9回目(全16回)

ネタ帳ラボ!一期一会

初夏の早朝のどんよりした土曜の空は、午後への蒸し暑さの予兆をはらんでいた。この時期は1年で一番紫外線がきつい。そんな情報は、ボクの小さな一握りの人生経験のレーダーは無意識にキャッチできてしまい、そして、そんな小賢しい浅知恵の小さな悪意をボクは憎む。

金曜日の夕方、スタバにはあふれかえるほどの女子高校生がいた。それを横目でみて、表情がよめないブルドックの顔を造作し、耳の頂点をとがらせて、恋バナを盗み聴いていた。まぁ、かいつまんで言えば、「夏休み前に好きな彼に告白するか、しないか」という事なのだが、大好きな彼を遠目に探しているだけで幸せな毎日も、それが切なくて、苦しくて、告白するほどの勇気もないくせに、燃える夏の気配が彼女を後押ししているようで、彼が自転車置き場で長いメールを打っている姿に、彼女がいるのではないかと思ってしまうというのだ。この世の中には「言えなかった好きですという言葉」が、どれほどあふれているだろう。さもあれど、いつだって恋は素敵だ。

そして、大学の同窓会の理事会に出席。最後の議事連絡で理事を退任される方がいて、挨拶をされた。「身体がステージ末期のガンで、もう治療をしないことを決め、モルヒネだけの緩和ケアをしていくので退任したい」と、毅然と語られた。後任の方も推挙され、本人も了承済みだということだ。お顔だけは拝見したことがあるが、挨拶程度しかしたことがない方だった。

宴会になると、その方が隣の席になった。なんと声をかけて良いのか、とうてい酒をぐいぐい飲めるような気分にもなれないが・・・。「痛みは、いかがですか?」と問うと、「痛みはないし、発見されたときには自覚症状もなかった」とこたえられた、短いようで長くも感じられる病状をききながら、時が5分くらいは流れ、言葉が途絶え、その方はまわりの気配を感じられたのか、席をたたれ時をたたんだ。気がつくと、料理には箸をつけてなかった。最初の器の海老しんじょうがおいしかったので、せめてそれだけでも、食べてほしかったななどと思ってはみたが、せんもない。止まることのない料理の一人前を、余っているのでどうぞとすすめられ、なぜかボクはちいさな自己嫌悪に陥った。心の中で、俺なら宴会には出ないな・・などと考えていたからかも知れない。

そんなことがあって、その夜、超久しぶりに夜のひとりクラブ活動に出た。夜のひとり恋漫談は化石化している、歌にでもしないと、切なさが足りないようだ(笑)才能のない俺は、なんでも理由をほしがる。努力で才能なんて買えないと思っている、とてつもない無駄な時間と金の浪費だけが、才能を産むと勝手に信じている。そして、また理由をつける俺は、才能がない(笑)

翌朝土曜日、空がぐるぐる回る中、放埒な魂はまだ叫び声を上げていた。煩悩の修行のお遍路逆打ち9回目(全16回)。

般若心経のお経声が今までで一番、心の中にひびいている。毎日苛立っていた雑念が消えていくようだ。9回目ともなると、ゆっくりなら唱えられる。

お遍路の前日に浴びるほど酒を飲んだのは初めてだった、若いときだったらあたりまえだったことも、今は浅知恵で前日は早く寝て、体力を担保して望んでいた。まあ、へたれの根性なしだ。このお遍路旅でいつも感じることは、人生はご縁でできていると言うことだ。昨夜の引退された愛媛大学のOBの方は、お大師様の化身だったのかもしれない。何かを開かせてくれた。

人生の両端は、危険ゾーンでできている、物欲、金欲、性欲、食欲、ねたみ、うらみ、理不尽、傲慢などが暗闇をつくり、泥沼のように待っているようだ。そこに足を突っ込むこともたまには悪くない、そこには本当の俺がいる。生きているという、確かさがある。

お遍路で訪れた、9番札所法輪寺には88カ所の中で唯一の涅槃釈迦如来がある、公開されていないので心眼でみるしかない、頭北面西で、北枕でお顔を西向きに、右脇を下に寝ている涅槃の姿を表しているらしい。

北枕は縁起が悪いと言われるが、じつはお釈迦様が入滅したときにこの姿だったので、恐れ多いからですよと先達産が教えてくださった。といわれても・・・ボクはもう何十年も北枕で寝ている(;゚ロ゚)

そして、その夜、布団をすこし角度を北からずらし、意味のないことをやって眠った。浅知恵を憎むが、浅知恵を楽しむことは好きなようだ。

今日はこんなところです。

写真は四国八十八箇所を巡った伝説の人物とされる衛門三郎の終焉の地伝説が残る、杖杉庵。

最初に四国八十八箇所を巡った伝説の人物とされる衛門三郎の終焉の地伝説が残る場所に建つ寺院である。
伝説によれば、平安時代前期の天長年間(824年 – 833年)に、伊予国の人であった衛門三郎は四国巡錫中の弘法大師に行った無礼な行いを詫びるため弘法大師を追って旅に出たという。21回目に逆回りを行っている途中、四国八十八箇所12番札所焼山寺近くのこの地で力尽き病に倒れた。そこに弘法大師が現れ、衛門三郎は非礼を詫びた。大師が衛門三郎に来世の望みを訊くと、生まれ変われるなら河野家に生まれたいと望んで息を引き取った。そこで大師は「衛門三郎再来」と書いて左の手に握らせた。天長8年(831年)10月20日のこととされる。大師は衛門三郎をこの地に葬り、墓標として衛門三郎が遍路に使用した杉の杖を立てた。これがやがて根を張り杉の大木となったという。
この地に庵が設けられ、伝説にちなんで杖杉庵と名付けられた。なお、伝説の大杉は江戸時代中期の享保年間(1716年 – 1735年)に焼失したとされる。この頃に京都仁和寺より衛門三郎に「光明院四行八蓮大居士」の戒名が贈られた。

2016年6月6日

永遠のゼロ、「知覧」に行ってきました

ネタ帳ラボ!一期一会

先週末の木・金で薩摩に一泊二日で親孝行旅行へ。

夕方、早くに城山観光ホテルについて。露天風呂にはいり、平日休むという罪悪感をつまみに、桜島にみとれながらビールを飲む。ビールが格別にうまい。旅には、ただならぬ出会いがあるとボクは思っている。そのただならないものが、こんな罪悪感のなかにもあるようだ。

臼杵から、初夏の空気をフルショットで浴びて九州の開通した東高速道を通りを走れば、5時間半ほどで知覧特攻平和館についた。きわめて個人的な「人生で訪れたい観光地リスト10選」のなかにそれはあった。知覧の町に入ると、道路の沿道に灯籠が立ち並び、葉桜の緑に、鎮魂へと気持ちが変わる。「桜のころ来ればきれいだね」と、おふくろがいう。

明日自分の命が消える。愛する家族、恋人、仲間ともう二度と会うことはできない。命のともしびが消えるという極限の心境で書かれた遺書を前に、おふくろは若き隊員の骨をひろうようにメモ帳に記録していた。どの遺書も日本人としての魂の根っこが大地に何十メートルも伸びているような気がした。

「父ハ スガタコソ ミエザルモ イツデモ オマヘタチヲ 見テイル ヨク オカアサンノ イヒツケヲ マモッテ オカアサンニ シンパイヲ カケナイヨ ウニ シナサイ」

このころは初めて子供がならうのは、カタカナであったらしい。

母への気持ちを綴った遺書がほとんどで、父への個人的メッセージを残した遺書には出会わなかった。「母は、偉大なのだ、そして男は消耗品なのだ」それでいいと思う。長い距離の運転者として、旅行のプランお膳立て裏方として、男は消耗品係であり、照明係なのだ。これからも暗く哀しいことがおおい。(笑)

知覧茶の新茶でのどをうるおし。茶畑の中を池田湖、開聞岳とはしる、愛媛とくらべて大地が格段ひろく開放感につつまれる。「島津家の殿様にぼんくらはいない」らしい、開拓のスケールが違う・・さすが薩摩でござる。

二日目はかごしま近代文学館の向田邦子の世界ゾーンを訪れる。100%の女性であり、「思い出トランプ」や「あうん」などを読みながら女性からみた男性を描くとき、一段とペンが輝く。スキーのジャンプで到着予定の着地点から、最後にグンと3m伸びてくるんだ、ペンが。男は女には勝てない。※そこも「人生で訪れたい観光地リスト10選」のひとつだった。

そして、29代島津忠義の本邸、仙巌園へ。入場料1000円、殿様の御殿をみると1600円になる。迷わず、殿様の御殿コースを選ぶ。これは元添乗マンからいわせれば、旅の鉄則。この特別コースにこそ「旅のこの世ならざるモノがある」

たとえば、殿様の住むゾーンには何人も入れないのだ、そこにあるのはわずか15cmの段差なのだ、この場所を宝物を見つけ気分になる「やった」と一人旅の醍醐味をかみしめる。その段差を越えると、家臣の控えの間が必ずある。そして、そこでお抹茶とお菓子をいただきツアーは終了。見事な壁の色、寝所、天井の高さ、調度品、庭の菖蒲の花のたたずまい、なんともいえない。

松山に来ても天主閣にあがらないで帰る人たちがいる。ダメです。城は天守閣のところから、石積がかわり、石落としがあり、最後の反撃の仕組みが網羅されているのだ。

そうして臼杵から八幡浜へもどるフェリーで100円の毛布のぬくもりで爆睡し、松山までの高速が工事中で、下道をひた走り、親孝行旅行がおわった。

「ありがとう」のおふくろの笑顔が何よりの人生の戦利品だ。

 今日は、こんなところです。

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