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2016年9月26日

おふくろがパリ旅行へ

ネタ帳ラボ!一期一会

新米を食べました。

夏の灼熱の太陽から存分な栄養を受けて、近年みたことのないような仕上がり。口の中に広がる規格外のうまさ、こういうお米はさめて食べても旨いに違いない、秋の味覚を感じされるには十分なほどで、日本人である喜びをよびさましてくれた。

さて、日曜からおふくろが9日間のパリ旅に向かった。弟がエスコートしている。ひとつひとつの携帯品や服をチャックのついたビニールに丁寧に積み込んでいる、携帯用の化粧品をエミフルで買ってきて夜は肌が荒れていないか入念な確認を行っている。旅というのは・・このひとときが一番楽しいかも知れない。なんだろう、恋人が待ち合わせの喫茶店で彼氏彼女を待っている時間の流れ方に似ている。人生に大事なのは、このざわめきなんだと僕は思う。何かが始まる前の胸の高まりは、24色パレットのように鮮やかで何とも言えないだろう。

松山からは夕方の国内線で羽田に行き、そのまま3時間ほどのトランジットの時間を過ごせば、羽田発のエールフランスに搭乗できる。12時間を超す飛行は、背中は硬い座席に体力を吸い込まれ、浅い眠りにむかつきながら、それでも感じるはずだ、ただならぬ予感の鼓動を・・・。

人は旅に出る。毎日の同じ景色をまとっいる自分が、世界最高のデザイナーがつくってくれた、時の洗礼をうけた彩りの景色をまとえてしまう、それが旅だ。脳細胞に何をインプットするか、旅のインプットは見事な彩りと、グラディエーションを放ち「物事の味わいを感じ取る能力」を覚醒させてくれる。旅というのはそういう能力を血肉化している地場があって、人生の風圧を感じるときに、毅然としてその思い出がまず立ち上がる。「人はささやかなものに救われる」、ただそれは、実際にその眼(まなこ)で見たものが必要で、「生きる」という自分の真実はその中にあるのではないだろうか。

人はいつか朽ち果てる(笑)結句、その最後で自分を助けてくれるのは、ささやかなものだ。人生は、無駄な金と、無駄な時間でできているんだと思う。そのくだらないモノだけが、箸にも棒にもならないものが、無意識という振り子を産み出し、人生の幅をでかくしているのではないだろうか。

僕はTSUTAYAで、アメリ、ムーラン・ルージュ、オペラ座の怪人、ダ・ヴィンチ・コード、ビフォア・サンセット、パリ・ルーヴル美術館の秘密、パリの恋人、ココ・アヴァン・シャネル、ミッドナイト・イン・パリを借りておふくろに準備して渡したところ、全部見たという・・・。

78歳のおふくろは、小学校の時に父をなくし、兄弟4人で支えながら生きてきた。母と兄貴が農業をしているなか、食事や洗濯という家事全般を受け持っていた。たくさんの辛苦をなめた人生の出来事を、すこしだけこの旅がオーバーライトしてくれたらいいな。

人生には、こういう打ち上げ花火が必要だと思う。楽しんできてね

2016年9月19日

動物で人間だけが、パンツをはいている

ネタ帳ラボ!一期一会

「ありのままの自分を受け容れろ」というのは、「妥協せよ」と、いうことだ。「やればできる」というのは、必死にやってない奴が言う言葉だ。「やれば、自分が成長する」くらいの、表現を放てない大人には絶望すら感じる。

「食べたあとすぐ横になると牛になる」はあたっているかも知れない(笑)

なんだ、今日は頭が朝からすっきりしてないので、面白いことなど書けそうにない。先週1週間で、日々のWOWな出来事が少なかったために、切実なインプットがなかったために、なぜか説教くさく、叔父さん化している朝だ。やはり、イベントや活気がない毎日を過ごすと、退屈は人生の敵になり、何もかもが腐っていく。

日本人は、共同体での生活が得意だ。なんといってもだらりと居心地がいい。日々敵さえつくらなければ、安心で。そばか、うどんを食べていれば機嫌もいい。

おまけに、インターネットでできることが増えたために、共同体にいなくても楽しいことも、確実に増えて、ハイブリットで共同体も個人も楽しめる。例えば映画。いまやNetflixやU-nextなどを見ていれば、一人で映画館に行く必要はなくなり、積極的にいかなくてもゴロゴロしながら楽しめる。おまけに、インターネットで何でも買えてしまう。便利がとなりに、あまりにも隣にありすぎて、個人は孤独を忘れた妖怪のように見える。(笑)

今週は話題がないので、つれづれに小さな出来事の紹介でもしたい。

キラットという、飲料がとても安い、ネットのサイトがあるんだけど、前回買った炭酸水1本58円が、54円になっていて、素晴らしいと思った。なんか信用できる、誠実とは行動で示さなくては心を指し抜かない。こういうのが、全力でネットで商売している人の姿だと思うけど、どうだろう。

セブンイレブンのレタスたっぷりシャキシャキレタスサンドが、めちゃうま。ネーミングの右肩上がりの折れ線グラムみたいなのが、これまたいいんじゃない。マツコの知らないセブンイレブンの世界で、収穫後のレタスを運搬から生産まで5度以下に保ち店頭へ出荷、表面にマーガリンをぬってコーティングとかやってて、脱帽。最近出た、△三角パックの枝豆もウルトラベラボウウマ。とうふとわかめの「カップみそ汁」100円も侮れません。(笑)食品の種類は、約1700種類。脱帽です。

松山のユロというパン屋さん。パン・オ・フィグという、450円もするパンがいつも品切れしている。ついに買ったら、死ぬほどウマかった。ハード系のパンでしっかり個性が胸をはり、中に入った乾燥イチジクが強烈に匂い立つ。珈琲とやると、この世で生きていてよかったと思えてしまう。柔らかいパンは、もう食べれない。松山市石風呂町42、お近くの方はどうぞ、しまっていることも多いので注意。

こんな話題は一杯あるんだけど、3つくらいがちょうどよさそうだ。

人は、子供に嘘をつくなと言う。それは、子供にはおおかた正しい(笑)、問題なのは、そう言っている本人は、嘘の塊であることだ。どんだけ嘘を言ってきたか、嘘を言ったら死ぬ装置があったら、地球は3日ともたないだろう。

好きな人に、好きと言えない嘘なんてどうだろう。それは謙虚からでているのか、自分に自信がないのか、後先ばかり考えて心は疲弊していくのだが、それが美しいとでも思っているのか、自分らしいと思うのか?謙虚なんて、やりすぎると気持ち悪い。誰だって、恋愛すれば自分を実際よりよく見せたいと思っている、欲望にコンとロールされている。理性が人間にパンツをはかせているかぎり、この世は嘘だらけだ。しかし、動物で人間だけが、パンツをはいているという事実の重みが、人生に重力をあたえ、24色のパレットのような、ざわめきの感じがなんともいえない、本当は素晴らしいんだよね。

サザンの桑田さんのエロソングをきいていると、心が躍る。彼は、きちんとパンティをきちんと見事にたためる人だと思う(笑)、そのたたみ方を、歌で表現している。芸術とはそういうところにあると思うのだけど、どうだろう。

2016年9月12日

USオープン錦織圭観戦記/才能とは何だ

ネタ帳ラボ!一期一会

秋の高鳴るゴングを告げるような、テニスのUSオープンの錦織圭選手の活躍。アンディ・マレー戦は深夜3時からでテレビの前に、はりついていたのだけど、経年の劣化という悩ましい健康状態で、電池が切れたオンボロのロボットのように眠りこけてしまった。眠眠打破を飲みながら、寝落ちするというテイタラク。ナンタルチア!!(笑)この栄養ドリンクは全くきかない、買うだけ無駄だった。コンビニは誘惑遊園地のように、24時間妖怪の城のように、まるで魔界の入り口のように、そびえている、取り扱い注意の場所だ。

俺達は、広告や宣伝に心をさらわれるという、だらしない理性を持つ。人の言うことを鵜呑みにして、何度失敗してもそれを繰り返す。お腹がすいてたり、恋に破れたり、誰かに怒られ対すると、もうダメだ。

そして、金曜の深夜(土曜の朝)これは、決勝にイケるだろうと、準決勝のスタン・ワウリンカ戦を見るために、朝の4時にスタンバイ。眠眠打破には見向きもせず(笑)、BLACKガム、BLACKチョコ、Clorets ICE BLACKという、今の自分が考えうるブツ、BLACK3兄弟を机の上に用意し、リゲインの2000ブラックを買うのを躊躇したことを気にかけながら、試合開始を待つ。準備とは裏腹に、試合日程が遅れ、2時間後くらいの試合スタートとなったが、僕は元気だった。

試合開始とともに完璧といえるような、いつもと違う出足の錦織選手。1セット目は完勝だった。ところがところが、プロペラの回転数が失速していくように、安定飛行が出来なくなって、あっけなく負けてしまった。敗因は、体力と気力が不健康だったからだろうと思う、人間でいえば2日間徹夜は無理なような負け方に見えた。結局の所、マレー戦で、気力はもうおつりがなかったのだ。

さて、才能というのは、言い換えれば集中力ではないだろうかと思うのだけど、どうだろう。あの第2セットを錦織圭が連取していれば、勝っていたゲームだったと僕は思う。ワウリンカは、1セットで点を取られたパターンを補うように、ほんの少しタイミングを早くしてボールを打ち返してきた。これがタイトルホルダーの順応で有り、才能だ。1セットで決まっていたボールが、今度は決まらない展開を見せつけた。すべては、展開を読んだ集中力だ。あの派手な衣装は計算した見せかけで幻惑への糸口、本当の彼は意外で沈着冷静で、試合前は無駄なことをせずに、特別なコンディションの特別調整方法を持っていると推測するのが妥当だろう。

そして、才能というのは何を食べるかではないだろうか。フェデラーとナダルが活躍していた頃、ジョコビッチはただの雑魚に過ぎなかった。しかし、グルテンフリーの食生活によって、彼は変身を遂げた。人間は生肉を焼いて食べる、早く食べられて、旨い、栄養も抜群だ。火を使うとはそういうことだ。動物は生肉だと半日は噛まなければならない、だからライオンは内臓を食べるらしい。チンパンジーも焼いたステーキを食べていると、人間に近づくに違いないと、僕は仮説を立てたい。(笑)

ジョコビッチの生まれ変わる食事という本がある、AMAZONの解説によると

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第二集団でもがくだけの存在だったプレーヤーは、なぜテニス界絶対王者に君臨することができたのか?何を、どう食べたらいいのか?――人生好転・肉体改造のための設計図を自らが明かす。「私がこの本を書こうと思ったのは、私ならあなたの肉体だけでなく人生すべてを変えられる――それもたったの14日間で――と知っていたからだ」(ノバク・ジョコビッチ)

グルテン(小麦などに含まれるタンパク質)を14日間だけやめてみて、どういう気分になるか試してみてほしい。そして、15日目に、パンを少しだけ食べて様子をみてほしい。体が発する声に耳を傾けてほしい。

「食事がジョコビッチのプロ生活を劇的に変えたのは間違いないと思います」(杉山愛、「解説」より)「今の錦織圭選手がさらに上を目指そうとするなら、必要なのは技術や体力のトレーニングではありません。栄養・食事指導です」(白澤卓二・順天堂大学大学院医学研究科教授、「解説」より)

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早速、この本はAMAZONで注文してみた、感想は後日、お楽しみに。
最近、人に会うと何を食べているかをきくことにしている、ある程度サンプリングできたら、またメルマガで紹介しますね。

人間は不健康だと、言葉まで不健康になる。気をつけましょう(^O^)
それでは、チャオ!

2016年9月5日

永遠のピアノマン/ビリージョエル

ネタ帳ラボ!一期一会

なぜか、サンドペーパーでこすられた夏のハートが音楽をほしがり、ビリージョエルのMY LIFEが聴きたくなって、アマゾンで「ビリー・ザ・ベスト」を購入した。

人生の登山も下山に向かうと、新しいアーティストの曲を聴くよりも、青春の洗礼を受けた曲を聴く方が、弾みがあり、オレは颯爽としていられようだ。

ビリー・ジョエルは1949年生まれなので、67歳。残念ながらLIVEで見たことはない、日本に最後に来たのは2008年東京ドーム。その企画がなかなか胸を熱くさせてくれる。(^O^)こういうのはアリだと思った。

”初来日から数えて30周年を記念して行なわれた、一夜限りのコンサート。なお、初来日公演初日の中野公演のチケットの半券を持っている人には、本人と直接会えるサプライズ企画も行なわれた。”wikipediaより

同年2008年、取り壊されるNYCシェイスタジアムのラスト公演の舞台にビリー・ジョエルが登場した。サプライズゲストのポールマッカートニー(シェイスタジアムで最初の公演がビートルズ)はロンドンから空路NYCに向かっていた。ところが、どう考えても到着してもコンサートのラストに間に合わなかった。

ここから信じれない展開がおきる、なんとしてもポールをシェイスタジアムに間に合わせたいという、NYCマン達の血潮は結集する。空港の管制官は、外国からの航空便の編み目を開けて、ポールの乗った航空機を、到着予定時間の30分前に到着させてしまう、◎◎局の責任者が、税関がイミグレーションが、交通局が、こぞって越権行為という罪をこぞって犯し、空港からはパトカーが先導して、スタジアムにポールを送り込む。これがNYCの持っているポテンシャルなんだ、NYCメッツの本拠地、ニューヨーカーの聖地のラストを飾るというひとつの記念行事に、人が熱狂し、それを共同体として、凄い力で大地ごと動かすようなジャイアント ステップがそこにはある、こんな街は世界を探してもココだけだろう。

そしてポールは現われた・・・このベースのリフはポールなのだ!!
I Saw Her Standing There
Billy Joel and Paul McCartney ( Live at Shea Stadium)

アンコール
Billy Joel – Let It Be (with Paul McCartney)

観客が泣いている、これを号泣きというのだと思う

この世ならざるものを観客は感じただろう、こういうのを至福というスタジアム全員が歌えるなんて、凄いわ

さあ、月曜日ですね。

Honesty、The Stranger、Piano Man、Uptown Girl、Tell Her About It
Just The Way You Are、New York State Of Mind、The Longest Time
The River Of Dreams、We Didn’t Start the Fire

永遠のピアノマンに、小市民は救済されていく・・・

先日、つま恋が閉鎖されるとニュースで知った

あーNYCシェイスタジアムの日本版をぜひお願いしたいすね。

吉田拓郎さん、中島みゆきさん、その他たくさんいますよね

参考までに
ビリー・ジョエル マイ・ライフ Billy Joel My Life

2016年8月29日

「さよなら夏の日」

ネタ帳ラボ!一期一会

夏のささやかな午後。インターネット通販のキラットで夏を凌ぐために大量購入したブツが冷蔵庫に格納されている。オレは急いでドアを開け、S.PELLECRINOの炭酸水という夏のブツのキャップをまわし、14時の時報にあわせて空け、山下達郎サンデーソングブックのラジオに灯をつける。

こんな小市民の、こんな夏を爪立ちさせてくれている、目の前のS.PELLECRINO炭酸水にオレは一礼の夏の敬意をはらう。1本あたりの単価は48円でコストコもかなわないような値段で売ってやがる。キラットという妖怪みたいな店をネットでやっている奴は、どんな奴だ。日曜日で風采の上がらないオレを助けてくれる君は、今日の救世主だ。

最初の一口のジュワアーー!・・ムムム!・なりませぬ!この爽快さ、スネアの音のような弾み!その音の奥深いのは、こいつの出身がイタリアというせいだろう。歴史に連なった陽気な男達の歴史とダンディズム。重ねて、ミラノのフォーシーズンズホテルでオレに100万ドルの微笑み返しをオフショアの風のように送り、脳天逆落としをくらわしていったミラネーゼのアモーレの口角の放物線、なぜかオレの記憶の回路は、そこに繋がっていた。もう、オレは妄想が始まると止らない。そうさせたのは、S.PELLECRINO君、君だ。

ヨーロッパを旅していると、女性のベテランガイドさんと夜食事に行くのが好きだった。(^O^)オレは、2週間滞在したイタリアのフィレンツェで、ドゥオモの近くのトラトーリアで、こんな話をその女性ガイドさんから聴いた。「イタリアというのは、フランスの文化を創ったのよ」というワインが人を近づけるには十分すぎる話題だった。その主人公はカトリーヌ・ド・メディシスという(時は16世紀百花繚乱ルネサンスの都はフィレンツェ)、メディチ家よりフランス王家に嫁いだ女性だ。その時は初めて聞いた名前だった。

当時のフランスは、鳥がまるごとテーブルの皿に盛り付けされ、それをみんなで宮廷で分けて食べていたというお粗末な食文化レベルにあった。そして世界でイタリアだけが洗練されていた時代。そこに、カトリーヌの嫁入りで、フォーク、野菜、ソース、調度品など、フランス食文化の革命がもたらされた。ちなみに、彼女はマカロンの生みの親ともいわれ、お菓子文化の生みの母でもある。そして、晩餐会で食の革命を広げていった切れ者の100%の女なのだ。たった一人の結婚が、その国の文化までもかえてしまう・・・。香水も調香師を連れてきた彼女が発祥なのですよ。マリーアントワネットではないのです・・。

カトリーヌ・ド・メディシスは14歳で結婚したのですが。10年子供が出来ず、牛の糞と雄ジカの角を彼女の「生命の源」に貼り付けたり、騾馬の尿を飲むことまでしたそうで、100%女のパワーに脱帽するばかりだ。それでも苦節10年で子供が出来て、12年で子供を10人残すのです。ただですよ、国王には愛人(ディアヌ・19歳も年上)がいて、生まれた子供はディアヌに育てられ、子供とは別居のまま暮らすこととへ。話すと長くなるので止めますが、そんな夫が亡くなっても、ミケランジェロに銅像を頼んだりして、優しい女、いや強い女なんですよね。ノストラダムスとも交流があったとか・・・まだまだ僕には謎めいた女性です。歴史の扉は、こんな女性の生涯を追いかけてみたく運命から始まるんだと思う、フランスのロワール川流域に広がる渓谷に彼女の破片があるアンボワーズ城、シュノンソー城、訪れてみたい場所なんですよ。

ラジオからは、山下達郎サンデーソングブックで竹内まりやさんとの納涼夫婦放談のお決まりの最後の曲「さよなら夏の日」が流れて来る。夏が過ぎ去って行く、ぶるぶる震えていた、太陽が肩の力を落としながら、新しい季節に向かおうとしている。「お天道様よ、今年の夏はやりきったな」とオレは声をかける(笑)。

2016年の夏は、雨のない夏だった。それはまるで、灼熱の狂った太陽に、サンドペーパーで心が削られていくような気分だった。その摩耗感、ヒリヒリとした疲労感に頭が思考停止になったのが何回かあったほどだ。朦朧とさせられながら、タフネスについて考えさせられた。

そして、来週のサンソンは、竹内まりや「September」が冒頭でオレの人生に変らず流れるだろう。オレは、何年この番組を聴き続けているんだろう、でもたったひとつこういう番組があるから、オレみたいな民くれは、スタバの珈琲とともに救済されてゆくのだ。自分のリズムを保つのは、こういう音楽であったり、季節の食べ物だ。世界を廻って思うのは、日本の果物は世界最高だと、胸を突き上げるほど自信が漲る。産直にいってシャインマスカット一房が1,200円だった、旨いものは、旨いのだ。

2016年8月22日

SNSのコメント、感想は人間関係を築づく第一歩

ネタ帳ラボ!一期一会

 オリンピックの女性の闘いは、100人組み手のように、百花繚乱を奏で、毎晩寝不足でありました。やっと人間に戻れそうです。

 さて先日夜の宴会で、「自分らしく、ありのままでいい」という言葉を使うX氏に、うーんそれは「気持ち悪い」と苦言を申したら、素直ではないといわれた。

 どうも言葉が先行し、補足が足りてない。「自分らしく」というのはなんでしょうか?妥協の産物ではないのか、「ありのまま」でいいんなら、現状維持ではないのかと、オレは毒づいたのだ。

 「自分らしく、ありのままでいい」というのは、どこかの社長が社員の成長を止めるための呪文にしかオレには聞こえない。大人の優しさというのは、ずるさとセットで成長してきた歴史を教えるべきなんだよ・・・そろそろね。

 「オーガニックの野菜だから旨いね」という。オレにはこのオーガニックの野菜は、育成に失敗しているようで、パンチが足りてない。「脂がのっていて刺身が旨い」と言うけど、養殖で餌の食べ過ぎと、運動不足で脂がついているように思える。あまのじゃくで考えていると、少しは真実に近づける気がして、そうしている節もあるにはある、けどね。(笑)

 人は思い込みというものに、あまりにも左右されているような気がしてならない。シェフのこだわりハンバーグ、熟成カレー、名前が先行しすぎている。そんなことより、1日100食売り切れとでも書いてくれていた方が、わかりやすい。「こくがあって、あっさり」とか、説明が足りなさすぎて、頼りない。「クセがなくて、旨い」とか、あるんですか?(笑)

 何でこんなことを書いているかというと、LINEなどのSNSでコメントや、感想を書くときに、人は言葉が足りてないことに気がついてないんですよね。これからは、コメント、感想は人間関係を築づくときに、最初の第一印象のようなものだから、あと1歩踏み込んでもらいたいんです。

 オリンピックの選手のインタビューも、選手の座右の銘とか。健康管理になんでこだわるのか?何を喰っているのか?とか知りたいんですよね。

 食べ物は体調や育成に大きく影響するはずで、火を使い、時には発酵させ、調理することは大事なはず。チンパンジーなどの類人猿が、火を使い、調理することを覚えたら、遠い将来には、知能が発達し人間になるような気がするんですよね生肉なんて、摂取して半日も噛んでいるんだから、焼いて食べれば10分で終わるのにね・・・アスリートの強さは、食べることの中にある気がしてます。

 さて、お盆はメルマガもお休みをいただきました。再び始動します。よろしくお願いいたします。

 今日は、こんなところです。

2016年8月1日

同窓会の時期がやってくるForever Friends

ネタ帳ラボ!一期一会

九重親方が亡くなられた。いつだったか、NHKのニュースの番組で、九重親方の指導法が取り上げられていた。「考える相撲」「考えさせる相撲」が真骨頂で、若い力士には取り組みのあとLINEで必ず自分のスタンプもつかい、感想を送るという。その話をききながら、感想は人間関係の最初の一歩なんだなと思ってしまう。そのコツが「考えさせる」確かにそうだな。親方は、弟子の強みを弱みも知りながら黙して、時代にあわせてLINEでヒントを短く投げて、想像の翼を育てたんでしょうね。

ウルフという呼び名がたまらなかった。ご冥福を祈ります。

そして九重親方のことを書きながら、ふと思い出した。幻冬舎の見城社長は五木寛之さんを口説くときに、どんな小さなコラムも、エッセーや対談も必ず読んで、そのすべてに手紙を書いたそうだ。相手の刺激になるような場所へ、身を挺して切り込み、逆に外れれは逆効果になることを危惧しながら、心をすり減らし、手紙を送る。25通目くらいの時に返事が来て、初めてあうことになり、やがては本になった。本気度が違うだけなんですよね。凄いわ(^O^)
LINEやSNSで食べ物や、季節の挨拶や、毎日の出来事も悪いとは言わないけど、あまり自分の事ばかり書くのはどうだろう?食べ物のLINEがきたら、おいしそうだねと感想を書くより、なぜそれを選んだの?という相手の深層心理に、心をぶつけてみるのがボクはすきだ。

仕事をするときは、他者のことに想像の翼を伸ばせるか?共同体の中では、支配欲、嫉妬心、猜疑心などがつねに怨念のように駆け巡り、他者のことを知らないと、うまくいかない。だから食事でもして不安を解消しないとおさまりがつかないときもある。俺に今ないのは狂気なのだ、見城社長の25通の手紙のような狂気。ユーミンのアルバムを全部聴いて、全部に感想を書き、石原慎太郎先生の時は、全冊読んで、対面したときは、太陽の季節は暗唱したという、その狂気、熱狂、まだまだ足りなすぎる。

8月のお盆に、大学の音楽系サークルの4年に一度の同窓会が開催される。その幹事をずっとやっている、ドラム練習をちょぅとばかり秘密特訓してきた。今日からスタジオで一人特訓してみようと思う。4年ぶり、8年ぶり、12年ぶりの人もいる。みんな、なんだかんだしっかり練習してくる、そんな仲間が大好きだ。

竹内まりや Forever Friendsが8月のマイヘビーローテーションどんなに長く ごぶさたをしてても話ひとつかけるだけで 学生に戻れるという、イントロを聞いただけで幸せな気分になれるんだな・・

今日は、こんなところです。

2016年7月25日

寿司屋で女性の大将がいないのはなぜ?

ネタ帳ラボ!一期一会

朝からあぶらぜみが、遠慮を知らず真夏へ、真夏へと鳴いています。
先日、実家で焼きナスをごちそうになりました。「うん?なんか旨いぞ」ナスの表面にまろやかな薄皮一枚ほどの旨みがあって、はたして、これはどうしてかと尋ねると、「じゃーん!これです」と、ジャムの瓶ほどの大きさの”日清クッキングフラワー薄力小麦粉”を、「この紋所が目に入らぬか」とばかり、母がつきつけた。この薄力粉を使って、ドーナツやお好み焼きなどをつくってくれたものでした。
それがサイズが小さくなって、コンパクトサイズ。胡椒をふりかける感じで使う。天井のキャップは両開きになっていて、2つの開け口があり、もう一方は軽量スプーンをいれて多めに取り出すこともできる、その際にちゃんとすり切りできるようになっていてなかなかの優れもの。
うーん、デザインも、機能性もイケている。こういうモノをいち早くとりいれる女性感覚にもほれぼれする。化粧をしない、男にはこういう感覚が欠落している。
お客さんと、できたちの串揚げが食べれる、串揚げ屋さんに行ったときのことです。店の大将と話をしていると、「お寿司屋さんで女性が握ってくれる店がないのはなぜか」という話題で盛り上がりました。言われてみれば、女性が握る寿司は食べたことがない、知っているお店もないし、かといって・・なんかそれは食べたくないという、先入観まである。女性が握ると、お寿司に人肌のぬくもりを感じてしまいそうな気もするし、カウンターでの会話も全然違ってきそうだし、大将!とか呼べないのもさびしい。

「もったいないが、女性には強くあるんですよ」と、大将がぽつりと言葉を投げる。「女性はすてられないからね、真ん中の良いところはつかうのよ、でも両端はまだ食べれるので捨てない、何かに使えると考えとるんですよ、まあこれも料理仲間が言ってたんですけどね」と、本当は自分のことばなんだろうけど、美味い表現をつかうものだと感心する。余計なこととか考えちゃうんだろうな。繊細だからね。
なるほど、女性は愛情と義理で食事をつくり、工夫するから。こういうプロのお店では味が変わるのかな?と、ひたと考え込んだ。と同時に、なにかしら、はにかんだような都会の少数派が許せる女性の寿司なら食べたいと、妄想を膨らませた。店の名前は「喜怒哀楽」とかね。(笑)
さて、夏は果物と野菜が豊富にございます。たとえば、内子のもも。旨いですよね。ただ完熟度合いと、見立てから旨そうなモノを選ぶのは難しい、もちろん食べるタイミングも。

スーパーに行くと白桃とにらめっこする。おっぱいをもむ感覚で、そろそろ熟しているか、三日後には熟すかくらいは、なんとか見分けられる、私の右手はそのくらいの感覚は持っている。(笑)産毛がちくちくしているモノは、まだまだ。色は、高校生が恥じらったときの赤らんだほっぺの白桃がいい、おしりの割れ目から、デカいケツを感じるかで、どうやら私好みの白桃は決まるのだ。
道の駅や、マルシェができて、自分の目利きでいかに旨いモノを見分けるか?これは、男にとってはかなりの難行だが、楽しい。バナナは斑点がないのを買う。そして斑点が、出だしてまもなくまもなくが旨い。桃はお尻がデカいモノが旨い、小ぶりのものはダメ、冷やすとダメ、食べる前の二時間くらい前に冷蔵庫にいれるのがコツ。メロンは触っても、硬いのでわからない、なかなか弾力が出てこないので、食べ頃も微妙。一応、編み目が均一なのを選ぶ。スイカもたての線が、均等なのを選ぶ。
まあ、こんな私でも、三越に行ったときには、地下の果物売り場に行って、うまそうな果物を眺めるのが、一つの流儀で、実にたのしい。孤独な趣味なのだ。昔は、八百屋さんがそんなこと全部教えてくれたのにね。
さて、イチローの3,000本安打が秒読み。歴史点瞬間と、球場の雰囲気はLIVEでテレビで見たいですよね。うーーん。内野安打のような気はします。(笑)

2016年7月19日

暑さで、心はツンツンする

ネタ帳ラボ!一期一会

選挙が終わり、この国に革命が起きるのはいつか?なぞと、空想する午後。長老達は昭和の学生運動で、社会を変えられる信じ大挙して行動した。暇でエネルギーがあったのか、踊らされたのか、最初はどうであれ、社会の矛盾への戦いを体験した。
高度成長時代、日本のために汗を流した。日本の復興という躍動感と弾みの高揚は、男達に確固たる自信として深く根をはり、彼らは自信に充ちている。そして80年代の狂った甘美な時代を、むしゃぶった人たちは、価値観を押しつける。いいかえれば支配だ。この世代が死なないかぎり、日本に新しい時代のスタートラインはひかれそうにない。フォークソングやニューミュージックも世代交代は起きない。勝てないのだと思う、そんな体験を論破するなんて。まして、狂った羊は群れをなしているのだから、すべもない。まっこと、頑固で恫喝してきて、やっかいなのだよ・・。
やりたいことは、おっさん達がやってしまって(笑)彼らは、若い世代に期待しているようで、内心は俺がやってやるという気構えがある。気構えはいいけど、高見からみているのが気にくわない。呑みこまれてしまう。だから尾崎豊は、卒業という歌で、「この支配からの卒業」と奏でた。
超昔の話だけど、ラジオで浜田省吾さんがでていて、パーソナリティの昔のフォークの大御所が「若い世代には何もきたいしてない」と語ったことがあったんだ。
すると間髪入れず、省吾さんがキラリと目を輝かせ、突きつけられたナイフに「それはちょっと違う気がする」みたいなかんじで柔らかに、その場の雰囲気を崩さないようにきりこんだ。
「僕らがやってきたきたことが、彼らをそうさせたきたんだ。だから責任をとらないといけないんですよ」たしか、そんなことを言った。
浜田省吾の歌は、抗う世代の若者にそんなメッセージを送っている、彼らを馬鹿にしない、サラリーマン人生も大好きなのだ。
18歳のときにHOME BANDというアルバムを買った。最後の「家路」が大好きだった。

家路

省吾さんは、若者の気持ちを汲みながら、それをエネルギーとして歌をつくっているんだと思う。責任という、ひとつの大きな大きな枷をほどくように
こんな、大御所にはとうてい勝てない。勝てなくていい、永遠なのだから。
夏のゴングが鳴る

煮えたぎった夏の午後はぶるぶるしている

暑さで、心はツンツンする

くるんと夏の吐息を吐き出し

夏の瓜売りになる
おふくろが、冷蔵庫に瓜やきゅりを切って、生姜を薄切りにしてしている。

これが、めちゃうまい。
夏には、生姜ならびに生姜らしきモノが隠し味なようです。

2016年7月11日

選挙が終わった。「悲しみの果て」だ

ネタ帳ラボ!一期一会

そろそろ、つまずいて、転んでいた曇り空を蹴飛ばし、夏空を呼び込もう。
選挙戦が終わった。仕事柄、ネット選挙のことだけが気になって見ていた。結論から書こう「悲しみの果て」だ。
政治に無関心の人が多い。あたりまえだ、住んでいる隣の人も知らない、人付き合いはかろうじて結婚式と葬式くらいで、誰かが困っていても助けていられない。
当り前だよ、自分の幸せのコップすら満タンになってないのに、助けようという気持ちなんて、ぶるぶると、湧いてこないんだ。せめて、コップからこぼれたものが、あるなら、助けられるかもしれない、そうかんがえて、みんなため息をついている、いいやつなんだよ。
せめて、オレたちが同じ星をみているなら、それを乗り越える右手の拳には力が漲ってくるんだけどね。目指すべき星がないから、みんな日常がわがままに生きているんだ。
「じゃ、こんなことを書く奴の政策はなんなんだ、言ってみろ」と、あなたはすぐオレにいうだろう、そうやって見えないナイフを突きつけるだろうね。

とんでもないやつだ、みんなにそうやって日常も見えないナイフも向けてるのかい、バナナでも一緒に食べないかと言ってバナナを差し出してくれよ、いやちょっと待って、この間綺麗な女がバナナが嫌いだと言っていたので、夏なのでアイスバーにしようか、ガリガリ君のような、柄の棒が1本しかないのじゃなくて、柄の棒が2本あるヤツがイイ、二つに割ったときにドラマの可能性を秘めている。(笑)

幸せのコップのサイズは、たまには小さくして見ると、何かがあふれるに違いないと、・・・オレも実験中なのだ。(笑)
「悲しみの果て」か・・・知るかそんなモン!
くだらん遠すぎて、それはあたりまえに過ぎていく不器用な毎日の先にある。

思い出のかけらを、まとって勝負だ! どんとこい!(笑)

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