先週、ドラムスの村上PONTA秀一45周年記念公園「
まで、初Jetstarで行ってまいりました。
機内は満員。外国の方がちらほら。簡素なつくりの、
ミナルへ初到着。
成田着後、東京駅までもシャトルバスで1時間、
なんの問題もない、便利さ。
新境地開拓・・・”しまむら”とおなじくらい侮れない。
さてさて、お江戸へ再び上陸。
僕達の人生に確実に爪痕を落とした、
のエンディングの景色を見届けにきた。
ボビー・コールドウェル、荒井由実、
ト人生の終末のコンサートの景色旅。
その下山の景色は、入場料なのか、もう、
る価値はどこかしらあると思っている。
なんやかんや偉そうに言ったって、
踊れないわけ・・。
もう泣きたくなるほど踊れなくなってくる。(笑)
だからどこかしら、これからの老成した輝きのために、
きエネルギーを探しに来たともいえる。
僕が村上PONTA秀一と血を通わしたのは18歳の春だ。
ドラムを始めていた。
「バンドやろうぜ」からはじまり、「ギターやりたい」
はアピールもできず、結句、自分の居場所をドラムにもとめた。
初めて買ったドラムのスティツクはPearlの106H、
デル。37年間こいつを愛用している。重量感のある、
。もう、これだけの年月が経っていると、
社会人になった。バブル時代。旅行会社で働きだして、
行が楽しくなり楽器からはなれた。だれにも、
わけだ。それでもたまに自室で、
しようもない俗物にならなくてすんだ。スッキリわかれない、
人生では大事なようだ。
薫風がかけぬけた五月。25歳の東京。心が乾ききっていた。
東京で浜田省吾の on the roadのチケットが取れなかった。
そこで、ひとしきり考えめぐらし、代々木体育館まで行った。
はじめて段ボールでチケット下さいとボードをだしてみた。
結構ドキドキした。
出し方にやはり初心者マークの衒いがあった。
結局、薬局、安価ではチケットは入手にいらなかった。
番やむを得ず、火照った会館の外壁に、僕は左耳をおしつけ、
った孤独な子羊の群れにまぎれて、
Gパンに、STAFFのシールを貼り付けた、
ると思ったら、親指をたてウィンクをして去って行った。
この一夜限りの壁越しの音が、
ントラストを与えてくれた。
あの頃、尻の穴にバットでもねじ込まれたように、
れていた。音楽がないと、人生に折り合いがつかなかった。
そうあと10年もすれば。
全身の血が騒いでしょうがなかった、
実現してないだろう。
夢から醒めたような世界を、
そんなことを考えると、
、僕は今前倒しで墓参りしているのかもしれない。(笑)
今日はこんなところです。
投稿者プロフィール
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人生の楽しみに旅を選択したことに、1mmの後悔もない。旅先で飲む珈琲はなんでうまいんだろう、孤独と自由が握手する。飛蚊症でブログを休んでました。再開します(^o^)
《プロフィール》
海外旅行150回くらい、国内旅行は何回か忘れました。(笑)お遍路四国八十八カ所結願。片足はIT会社経営、もう片足は旅行を楽しむこと!
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