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2016年11月14日

NHKオンデマンドでダーウィンの番組になるほど!

ネタ帳ラボ!一期一会

おはようございます、クレストデジタルズ渡部です。

NHKオンデマンドでダーウィンの番組を見ていると久しぶり面白かった

ダーウィンはありとあらゆる飼いバトの種類を飼って研究していたという、剥製

も集めたという。そしていろいろ交配もしたという。品種改良を研究した。

そしてハトの特色を3つにまとめた

1.樹の上に巣を作らない

2.樹に止らない

3.岩棚を好む

そこで、これらの起源は野生種のカワラバトと推察した。

カワラバトは松山の市駅前の日切り地蔵でなど、どこでも見られる鳩だ。

それを確かめるために、白いファンテールと黒いバールという全く似ていない種を

交配し、孫の代でカワラバトが生むことができた。それは先祖帰りを意味した。

俺は進化しているのだろうか?(笑)

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ダーウィンは進化のためには生存競争だという
「生存競争」食物を獲得しやすい種が残る。
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生存競争は食べ物が足りてないから起きる。キリンも首が長くないと、高いところ
の餌を食べれない。

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もう一つダーウィンは進化のためには自然淘汰だという
「自然淘汰」獲物として狙われにくい種が残る
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生存競争のため環境によりよく適応したものが子孫を残して、その変異を伝える確
率が高くなるということだ。

雪深い高山に住む雷鳥の冬の羽の色は白

泥炭の蓄積した湿地に住む雷鳥の羽の色は泥炭色

荒れた草地に住む沼雷鳥は紫紅色

羽の色は住んでいる環境の色と似ている

生き残る種というのは、最も強いものでもなければ、最も知能の高いものでもない

。変わりゆく環境に最も適応できる種が生き残るのである。

ダーウィン(自然科学者)

2016年11月7日

最終回まであと1話お遍路ツアー

ネタ帳ラボ!一期一会

おはようございます、クレストデジタルズ渡部です。

同行二人、お遍路は約1,460kmの果てしない旅。それをバスツアーで行こうと思ったのは、親父の体調がすぐれずいつ果てるかもしれない生の病気平癒のためだった。そして心の中では親父に「人生を生ききってほしい」と願い、胸だけは気持ち張りながら僕のお遍路旅は始まった。

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残念ながらお遍路の僕の願いは叶わなかった。親父は生涯の愛称”ヨリサン”の4月3日になくなった。それは単なる偶然とは呼べないものだった。その偶然に背中を押されながら、夏のラムネ色の空は心を穏やかにしてくれたが、突如現われる夏雲のいかついた感じは裏寂しい気持ちをかき立てた。

お遍路をまわりながら、なにか僕は天から語りかけられるのだろうか?

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そんなことに思いをはせてはみたけれど、いっこうに未来に向かっても、過去に向かっても、何一つ語りかけては来なかった。ただ、ただ無言だった。

歩き遍路の人の中には、独りで、孤独の皮膚を纏い、根絶やしできないような煩悩と向かい合っている人もいた。思い人のことを、ただただ遠い記憶の中に求めるように、時間を駆け上りながら、ライムトラベルをしている人もいた。彼らは突如、映画のワンシーンのようにあらわれた。彼らは浮かんでは、沈んでいく悲しみの果てに、なにかに出会えているのだろうか。

土佐の久しぶりの太平洋の海は母のごとく静けさを抱き、その凪のように札所はひっそり閑として清空間だった。阿波のお遍路で廻る札所のお寺は、余計なモノをさらすことがない静けさの沈黙が漂っていた。讃岐はどっちに転がるのかわからない人生そのもののように思えた。そして、最後の愛媛で何か僕は切実なモノを手にできるのだろうか?

さあ、いよいよ残り2回のお遍路旅

11月19日(土)
60横峰寺・59国分寺・58仙遊寺・57栄福寺・56泰山寺・55南光坊・54延命寺

12月10日(土)
53円明寺・52太山寺・51石手寺・50繁多寺・49浄土寺・48西林寺・47八坂寺・46浄
瑠璃寺

ただ、ただ無言のお遍路の風景。放心の果てのお遍路の景色。

それらが、脳細胞のほうぼうに美しい色彩のように残っているのはなぜだろう。何度目をそらそうとしても、わだかまっているんだ。

そういう意味で、お遍路は輝きを光の微光の束のように放つ、ディズニーランドだと思う。

2016年10月24日

時の洗礼を受けてないもの

ネタ帳ラボ!一期一会

 

 
「時花」って読めますか?
 

 
これは「はやり」と読みます。
 

 
「はやり」はATOKで変換すると、「流行」としか漢字変換されません。(汗;)
 

 
流行は川の流れる様のごとく世間に流布するっていう感じですね、最近の流行は人工的な流れというか、趣にかけてしまい、共同体にいつの間にか呑みこまれて、いわゆる性懲りもなく感染というような感じでしょうか。(笑)どうもインフルエンザみたいなものにしか僕には今想像できなくなってしまったのです。美しいものが、スマホで撮影され、ネットやマスコミの情報から知っていくという現象でしょうか、それはきっと悪いことではないんでしょうけどね。でもなんかうつろな気持ちになる・・・。
 

 
「時花」のことを知ったのは、三島由紀夫さんの本を最近読み出したからです。
 

 
「時花」という漢字は、薄命な命の美しさのように、清らかで、そんな気持ちをかき立てます。たったそれだけのことで、「時花」の漢字を知っただけで、日曜日に降った十月の雨は、ゲリラ豪雨の初夏の雨とはちがい、やわらかで、張りつめたものがなく、とってもやさしい雨に感じられるのが不思議でした。外にも出かけず、本ばかり読んでいるからでしょうか(笑)
 

 
BOOK OFFの100円コーナーで村上春樹さんの「ノルウェイの森」が売ってたので、したりと思い読みました。すると、ある箇所が胸に突き刺さりました
 

 
それは・・・
 

 
「現代文学を信用していないというわけじゃないのよ。タダ俺は時の洗礼を受けてないものを読んで貴重な時間を無駄に費やしたくないんだ。人生は短い」「だから読むのさ。他人と同じものを読んでいれば他人と同じ考え方しかできなくなる。そんなものは田舎者、俗物の世界だ。・・・・あとは紙くずみたいなものさ」
 

 
そして明屋書店をぶらりとしていると、特集コーナーがあって坂口安吾の「堕落論」とか、三島由紀夫の「金閣寺」が書店の一押しコーナーに並んでいるので、迷わず購入したのです。それはまさに僕にとって「時花」という感じで、言葉がひらりと宙を舞い、新しいワールドが開墾され、それは湧水のように、さらさらと時の洗礼が流れるんですよね。
 

 
大衆にものが行き渡り、スマホさえあればまあそこそこ楽しめる時代、世界の真ん中にポジションをとるよりも、端っこの方ポジションをいかにとるか、できれば崖っぷちで爪立ちすれば、興奮はMAXになると思うけど、たぶん崖のはしにいると会話も多くて楽しいだろうね・・。今までとは違うものを食べたり、昔からの時の洗礼のあるものを食べたりしないと、ますます息苦しく、むせてくるよな気持ちが、襲ってきます。
 

 
さて、週末Netflixで「カノジョは嘘を愛しすぎてる」という邦画をみました。何の気なしに見たんだけど、言葉や、挿入歌にざわめきがあって、よかった。
 

 
それは、クリエーター達の作品としての言葉ひとつひとつが
 

 
「奇跡よ起きてくれ」と、叫びながら紡ぎ出したようで、それが音楽となると感動の増幅装置となり、大衆を貫いてくる。
 

 
言葉って、ヒリヒリする毎日を変えてくれる、今ある武器であり、お守りの気がします。
 

 
漫画が原作らしいのですが、女性コミックなのでかりにくいー(笑)
 

 
でも、そんな女性コミックの世界に、ざわめきは、気配を消して転がっているのかもしれませんね。
 

 
今日は、こんなところです。
 

  

 

2016年10月17日

ことばの世界と漫画の世界

ネタ帳ラボ!一期一会

 

 
彼女は10月の物静かな空を見上げ、そして、何かを思い出すように目を閉じた。ファッション雑誌から切り取られたような、綺麗な少女は、さみしげだった。

東京の空を見上げながら、故郷の空を思い出しているのだろうか。

小さな背中は、壊れてしまいそうで、均衡が崩れかけていた

 

 

などと・・・適当にイントロを書いてみた。

 

 

新海誠「君の名は。」という映画がヒットしているらしい、僕は見ていない。

 

 

『秒速5センチメートル』『言の葉の庭』はNetflixで最近見た。

 

 

週末、村上春樹「ノルウェイの森」を読み返していると、その表現が随所で類似しているな・・・、と思った。

 

 

やさしくて、美しい言葉を時代が求めているんだろうか

 

 

「ノルウェイの森 」は、描写にはないのに、部屋に吹き込む風とか、足音までが聞こえてくるのが不思議だった。感情をゆさぶるための、筆者のテクニックなんだろうね。それは長い会話と、たまに出てくる手紙の文章が、芸術的にうつくしく、よどみがないからに違いない。僕は、村上春樹作品は、空気感とその匂いが好きだ。

 

 

漫画を読んでいるときに、いつも思うのは「さみしい」と言葉で言わずに、どう漫画家がそこを台詞なしで描くかであって、そのための執念の放熱が漫画の熱量だと僕は思う。台詞でキャラクターが「さみしい」などと語ってほしくはないのだ、それが芸術だ。

 

 

漫画で産み出されたそんな空気感を認めるのにあたり、日本という植民地化されなかった風土で育った民の感受性は、オマージュ細胞を爆発させ、生活にそれらを溶け込ますのが得意技だ。そしてその世界観をリスペクトするので、漫画の世界観のとりこになると、もう抜け出すことが出来ない。

 

 

模倣というのは、素晴らし世界の工場だ、だって、ヒット作品なんて、過去のいろいろな組み合わせが変ったようなものだろ。まあ模倣が下手だとパクリと呼ばれるけどね。日本はこの分野が世界一だから、本気出したら絶対に負けないと思っている。

 

 

漫勉というNHKの番組をみていて、漫画家の作者はだいたいが、昔々は、へたれ男と女であったというのが、いつも興味深い。

 

 

だからみんな、今週もがんばろうぜ!(笑)

 

 

今日は、こんなところです。

2016年10月3日

モンサンミッシェルは規格外の100年プリントの輝き

ネタ帳ラボ!一期一会

弟がおふくろをパリに連れて行ってくれている(^O^)

LINEで送られてくる画像は、旅行の楽しさの「ざわめき」があふれている。

フランスのモンサンミッシェルから写真が送られてきた。トンボロという、潮の満ち引きで島への道があらわれる場所は、香川の余島とか日本にもあるけど、モンサンミッシェルは規格外の100年プリントの輝きを放っていた。

海外の旅行というのは、この規格外のスケール感がたまらない。日本人は定住というのが大好きだ。そんな民くれにとって、旅は異次元の世界へ導き、ただならぬ、出会いを仕掛けてくる。ともかく世界はでかい。

この修道院の裏手の古い宿に泊まった、僕は屋根裏部屋に通された、ドアがあって屋根の上に出られて、茜色に染まる夕日をいつまでもいつまでも眺めていた。

ぶるぶるとした夏の日が暮れ落ち、対岸を見渡すと、無数のランタンの灯がともり、それはヨーロッパのひとのバカンスの意気込みの魂の灯火のように思えた。心はこの世ならざるほど、ざわめいていた。それこそが海外旅行の醍醐味のような気がする。精神と、肉体の活性化がたまらない。

おふくろが弟に、「これが最後の旅かな」と呟いてさびしくなるとLINEを送ってきた。そうか、僕にも遠からず、そんなときが来る。ただ思う、日本に帰るとおふくろも再起動して、心が井戸からくみ上げた水で洗われるように、きっと心晴れやかに立ち上がるだろう。旅は孤独を飼い慣らすような力を与えてくれるからだ。

10月9日(日)に昨年落ちた、総合旅行業務取扱管理者試験を受けに広島へ。

悩ましいのはろくに勉強してない。この1週間で最後の直線をまくってみたい、英語は無理としても、今度は気を抜かずに頑張ってみる。結果は1ヶ月後。

そんな家族の出来事のなか、次は息子が大学へ

柔道で東京の大学に行く予定だ、来週が推薦の試験。

入学金、授業料で初年度150万円、その他まだまだ山のように資金が必要になる。

これも結果は1ヶ月後、いろいろな事がこの年末までに動き出しそうだ。

2016年9月26日

おふくろがパリ旅行へ

ネタ帳ラボ!一期一会

新米を食べました。

夏の灼熱の太陽から存分な栄養を受けて、近年みたことのないような仕上がり。口の中に広がる規格外のうまさ、こういうお米はさめて食べても旨いに違いない、秋の味覚を感じされるには十分なほどで、日本人である喜びをよびさましてくれた。

さて、日曜からおふくろが9日間のパリ旅に向かった。弟がエスコートしている。ひとつひとつの携帯品や服をチャックのついたビニールに丁寧に積み込んでいる、携帯用の化粧品をエミフルで買ってきて夜は肌が荒れていないか入念な確認を行っている。旅というのは・・このひとときが一番楽しいかも知れない。なんだろう、恋人が待ち合わせの喫茶店で彼氏彼女を待っている時間の流れ方に似ている。人生に大事なのは、このざわめきなんだと僕は思う。何かが始まる前の胸の高まりは、24色パレットのように鮮やかで何とも言えないだろう。

松山からは夕方の国内線で羽田に行き、そのまま3時間ほどのトランジットの時間を過ごせば、羽田発のエールフランスに搭乗できる。12時間を超す飛行は、背中は硬い座席に体力を吸い込まれ、浅い眠りにむかつきながら、それでも感じるはずだ、ただならぬ予感の鼓動を・・・。

人は旅に出る。毎日の同じ景色をまとっいる自分が、世界最高のデザイナーがつくってくれた、時の洗礼をうけた彩りの景色をまとえてしまう、それが旅だ。脳細胞に何をインプットするか、旅のインプットは見事な彩りと、グラディエーションを放ち「物事の味わいを感じ取る能力」を覚醒させてくれる。旅というのはそういう能力を血肉化している地場があって、人生の風圧を感じるときに、毅然としてその思い出がまず立ち上がる。「人はささやかなものに救われる」、ただそれは、実際にその眼(まなこ)で見たものが必要で、「生きる」という自分の真実はその中にあるのではないだろうか。

人はいつか朽ち果てる(笑)結句、その最後で自分を助けてくれるのは、ささやかなものだ。人生は、無駄な金と、無駄な時間でできているんだと思う。そのくだらないモノだけが、箸にも棒にもならないものが、無意識という振り子を産み出し、人生の幅をでかくしているのではないだろうか。

僕はTSUTAYAで、アメリ、ムーラン・ルージュ、オペラ座の怪人、ダ・ヴィンチ・コード、ビフォア・サンセット、パリ・ルーヴル美術館の秘密、パリの恋人、ココ・アヴァン・シャネル、ミッドナイト・イン・パリを借りておふくろに準備して渡したところ、全部見たという・・・。

78歳のおふくろは、小学校の時に父をなくし、兄弟4人で支えながら生きてきた。母と兄貴が農業をしているなか、食事や洗濯という家事全般を受け持っていた。たくさんの辛苦をなめた人生の出来事を、すこしだけこの旅がオーバーライトしてくれたらいいな。

人生には、こういう打ち上げ花火が必要だと思う。楽しんできてね

2016年9月19日

動物で人間だけが、パンツをはいている

ネタ帳ラボ!一期一会

「ありのままの自分を受け容れろ」というのは、「妥協せよ」と、いうことだ。「やればできる」というのは、必死にやってない奴が言う言葉だ。「やれば、自分が成長する」くらいの、表現を放てない大人には絶望すら感じる。

「食べたあとすぐ横になると牛になる」はあたっているかも知れない(笑)

なんだ、今日は頭が朝からすっきりしてないので、面白いことなど書けそうにない。先週1週間で、日々のWOWな出来事が少なかったために、切実なインプットがなかったために、なぜか説教くさく、叔父さん化している朝だ。やはり、イベントや活気がない毎日を過ごすと、退屈は人生の敵になり、何もかもが腐っていく。

日本人は、共同体での生活が得意だ。なんといってもだらりと居心地がいい。日々敵さえつくらなければ、安心で。そばか、うどんを食べていれば機嫌もいい。

おまけに、インターネットでできることが増えたために、共同体にいなくても楽しいことも、確実に増えて、ハイブリットで共同体も個人も楽しめる。例えば映画。いまやNetflixやU-nextなどを見ていれば、一人で映画館に行く必要はなくなり、積極的にいかなくてもゴロゴロしながら楽しめる。おまけに、インターネットで何でも買えてしまう。便利がとなりに、あまりにも隣にありすぎて、個人は孤独を忘れた妖怪のように見える。(笑)

今週は話題がないので、つれづれに小さな出来事の紹介でもしたい。

キラットという、飲料がとても安い、ネットのサイトがあるんだけど、前回買った炭酸水1本58円が、54円になっていて、素晴らしいと思った。なんか信用できる、誠実とは行動で示さなくては心を指し抜かない。こういうのが、全力でネットで商売している人の姿だと思うけど、どうだろう。

セブンイレブンのレタスたっぷりシャキシャキレタスサンドが、めちゃうま。ネーミングの右肩上がりの折れ線グラムみたいなのが、これまたいいんじゃない。マツコの知らないセブンイレブンの世界で、収穫後のレタスを運搬から生産まで5度以下に保ち店頭へ出荷、表面にマーガリンをぬってコーティングとかやってて、脱帽。最近出た、△三角パックの枝豆もウルトラベラボウウマ。とうふとわかめの「カップみそ汁」100円も侮れません。(笑)食品の種類は、約1700種類。脱帽です。

松山のユロというパン屋さん。パン・オ・フィグという、450円もするパンがいつも品切れしている。ついに買ったら、死ぬほどウマかった。ハード系のパンでしっかり個性が胸をはり、中に入った乾燥イチジクが強烈に匂い立つ。珈琲とやると、この世で生きていてよかったと思えてしまう。柔らかいパンは、もう食べれない。松山市石風呂町42、お近くの方はどうぞ、しまっていることも多いので注意。

こんな話題は一杯あるんだけど、3つくらいがちょうどよさそうだ。

人は、子供に嘘をつくなと言う。それは、子供にはおおかた正しい(笑)、問題なのは、そう言っている本人は、嘘の塊であることだ。どんだけ嘘を言ってきたか、嘘を言ったら死ぬ装置があったら、地球は3日ともたないだろう。

好きな人に、好きと言えない嘘なんてどうだろう。それは謙虚からでているのか、自分に自信がないのか、後先ばかり考えて心は疲弊していくのだが、それが美しいとでも思っているのか、自分らしいと思うのか?謙虚なんて、やりすぎると気持ち悪い。誰だって、恋愛すれば自分を実際よりよく見せたいと思っている、欲望にコンとロールされている。理性が人間にパンツをはかせているかぎり、この世は嘘だらけだ。しかし、動物で人間だけが、パンツをはいているという事実の重みが、人生に重力をあたえ、24色のパレットのような、ざわめきの感じがなんともいえない、本当は素晴らしいんだよね。

サザンの桑田さんのエロソングをきいていると、心が躍る。彼は、きちんとパンティをきちんと見事にたためる人だと思う(笑)、そのたたみ方を、歌で表現している。芸術とはそういうところにあると思うのだけど、どうだろう。

2016年9月12日

USオープン錦織圭観戦記/才能とは何だ

ネタ帳ラボ!一期一会

秋の高鳴るゴングを告げるような、テニスのUSオープンの錦織圭選手の活躍。アンディ・マレー戦は深夜3時からでテレビの前に、はりついていたのだけど、経年の劣化という悩ましい健康状態で、電池が切れたオンボロのロボットのように眠りこけてしまった。眠眠打破を飲みながら、寝落ちするというテイタラク。ナンタルチア!!(笑)この栄養ドリンクは全くきかない、買うだけ無駄だった。コンビニは誘惑遊園地のように、24時間妖怪の城のように、まるで魔界の入り口のように、そびえている、取り扱い注意の場所だ。

俺達は、広告や宣伝に心をさらわれるという、だらしない理性を持つ。人の言うことを鵜呑みにして、何度失敗してもそれを繰り返す。お腹がすいてたり、恋に破れたり、誰かに怒られ対すると、もうダメだ。

そして、金曜の深夜(土曜の朝)これは、決勝にイケるだろうと、準決勝のスタン・ワウリンカ戦を見るために、朝の4時にスタンバイ。眠眠打破には見向きもせず(笑)、BLACKガム、BLACKチョコ、Clorets ICE BLACKという、今の自分が考えうるブツ、BLACK3兄弟を机の上に用意し、リゲインの2000ブラックを買うのを躊躇したことを気にかけながら、試合開始を待つ。準備とは裏腹に、試合日程が遅れ、2時間後くらいの試合スタートとなったが、僕は元気だった。

試合開始とともに完璧といえるような、いつもと違う出足の錦織選手。1セット目は完勝だった。ところがところが、プロペラの回転数が失速していくように、安定飛行が出来なくなって、あっけなく負けてしまった。敗因は、体力と気力が不健康だったからだろうと思う、人間でいえば2日間徹夜は無理なような負け方に見えた。結局の所、マレー戦で、気力はもうおつりがなかったのだ。

さて、才能というのは、言い換えれば集中力ではないだろうかと思うのだけど、どうだろう。あの第2セットを錦織圭が連取していれば、勝っていたゲームだったと僕は思う。ワウリンカは、1セットで点を取られたパターンを補うように、ほんの少しタイミングを早くしてボールを打ち返してきた。これがタイトルホルダーの順応で有り、才能だ。1セットで決まっていたボールが、今度は決まらない展開を見せつけた。すべては、展開を読んだ集中力だ。あの派手な衣装は計算した見せかけで幻惑への糸口、本当の彼は意外で沈着冷静で、試合前は無駄なことをせずに、特別なコンディションの特別調整方法を持っていると推測するのが妥当だろう。

そして、才能というのは何を食べるかではないだろうか。フェデラーとナダルが活躍していた頃、ジョコビッチはただの雑魚に過ぎなかった。しかし、グルテンフリーの食生活によって、彼は変身を遂げた。人間は生肉を焼いて食べる、早く食べられて、旨い、栄養も抜群だ。火を使うとはそういうことだ。動物は生肉だと半日は噛まなければならない、だからライオンは内臓を食べるらしい。チンパンジーも焼いたステーキを食べていると、人間に近づくに違いないと、僕は仮説を立てたい。(笑)

ジョコビッチの生まれ変わる食事という本がある、AMAZONの解説によると

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第二集団でもがくだけの存在だったプレーヤーは、なぜテニス界絶対王者に君臨することができたのか?何を、どう食べたらいいのか?――人生好転・肉体改造のための設計図を自らが明かす。「私がこの本を書こうと思ったのは、私ならあなたの肉体だけでなく人生すべてを変えられる――それもたったの14日間で――と知っていたからだ」(ノバク・ジョコビッチ)

グルテン(小麦などに含まれるタンパク質)を14日間だけやめてみて、どういう気分になるか試してみてほしい。そして、15日目に、パンを少しだけ食べて様子をみてほしい。体が発する声に耳を傾けてほしい。

「食事がジョコビッチのプロ生活を劇的に変えたのは間違いないと思います」(杉山愛、「解説」より)「今の錦織圭選手がさらに上を目指そうとするなら、必要なのは技術や体力のトレーニングではありません。栄養・食事指導です」(白澤卓二・順天堂大学大学院医学研究科教授、「解説」より)

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早速、この本はAMAZONで注文してみた、感想は後日、お楽しみに。
最近、人に会うと何を食べているかをきくことにしている、ある程度サンプリングできたら、またメルマガで紹介しますね。

人間は不健康だと、言葉まで不健康になる。気をつけましょう(^O^)
それでは、チャオ!

2016年9月5日

永遠のピアノマン/ビリージョエル

ネタ帳ラボ!一期一会

なぜか、サンドペーパーでこすられた夏のハートが音楽をほしがり、ビリージョエルのMY LIFEが聴きたくなって、アマゾンで「ビリー・ザ・ベスト」を購入した。

人生の登山も下山に向かうと、新しいアーティストの曲を聴くよりも、青春の洗礼を受けた曲を聴く方が、弾みがあり、オレは颯爽としていられようだ。

ビリー・ジョエルは1949年生まれなので、67歳。残念ながらLIVEで見たことはない、日本に最後に来たのは2008年東京ドーム。その企画がなかなか胸を熱くさせてくれる。(^O^)こういうのはアリだと思った。

”初来日から数えて30周年を記念して行なわれた、一夜限りのコンサート。なお、初来日公演初日の中野公演のチケットの半券を持っている人には、本人と直接会えるサプライズ企画も行なわれた。”wikipediaより

同年2008年、取り壊されるNYCシェイスタジアムのラスト公演の舞台にビリー・ジョエルが登場した。サプライズゲストのポールマッカートニー(シェイスタジアムで最初の公演がビートルズ)はロンドンから空路NYCに向かっていた。ところが、どう考えても到着してもコンサートのラストに間に合わなかった。

ここから信じれない展開がおきる、なんとしてもポールをシェイスタジアムに間に合わせたいという、NYCマン達の血潮は結集する。空港の管制官は、外国からの航空便の編み目を開けて、ポールの乗った航空機を、到着予定時間の30分前に到着させてしまう、◎◎局の責任者が、税関がイミグレーションが、交通局が、こぞって越権行為という罪をこぞって犯し、空港からはパトカーが先導して、スタジアムにポールを送り込む。これがNYCの持っているポテンシャルなんだ、NYCメッツの本拠地、ニューヨーカーの聖地のラストを飾るというひとつの記念行事に、人が熱狂し、それを共同体として、凄い力で大地ごと動かすようなジャイアント ステップがそこにはある、こんな街は世界を探してもココだけだろう。

そしてポールは現われた・・・このベースのリフはポールなのだ!!
I Saw Her Standing There
Billy Joel and Paul McCartney ( Live at Shea Stadium)

アンコール
Billy Joel – Let It Be (with Paul McCartney)

観客が泣いている、これを号泣きというのだと思う

この世ならざるものを観客は感じただろう、こういうのを至福というスタジアム全員が歌えるなんて、凄いわ

さあ、月曜日ですね。

Honesty、The Stranger、Piano Man、Uptown Girl、Tell Her About It
Just The Way You Are、New York State Of Mind、The Longest Time
The River Of Dreams、We Didn’t Start the Fire

永遠のピアノマンに、小市民は救済されていく・・・

先日、つま恋が閉鎖されるとニュースで知った

あーNYCシェイスタジアムの日本版をぜひお願いしたいすね。

吉田拓郎さん、中島みゆきさん、その他たくさんいますよね

参考までに
ビリー・ジョエル マイ・ライフ Billy Joel My Life

2016年8月29日

「さよなら夏の日」

ネタ帳ラボ!一期一会

夏のささやかな午後。インターネット通販のキラットで夏を凌ぐために大量購入したブツが冷蔵庫に格納されている。オレは急いでドアを開け、S.PELLECRINOの炭酸水という夏のブツのキャップをまわし、14時の時報にあわせて空け、山下達郎サンデーソングブックのラジオに灯をつける。

こんな小市民の、こんな夏を爪立ちさせてくれている、目の前のS.PELLECRINO炭酸水にオレは一礼の夏の敬意をはらう。1本あたりの単価は48円でコストコもかなわないような値段で売ってやがる。キラットという妖怪みたいな店をネットでやっている奴は、どんな奴だ。日曜日で風采の上がらないオレを助けてくれる君は、今日の救世主だ。

最初の一口のジュワアーー!・・ムムム!・なりませぬ!この爽快さ、スネアの音のような弾み!その音の奥深いのは、こいつの出身がイタリアというせいだろう。歴史に連なった陽気な男達の歴史とダンディズム。重ねて、ミラノのフォーシーズンズホテルでオレに100万ドルの微笑み返しをオフショアの風のように送り、脳天逆落としをくらわしていったミラネーゼのアモーレの口角の放物線、なぜかオレの記憶の回路は、そこに繋がっていた。もう、オレは妄想が始まると止らない。そうさせたのは、S.PELLECRINO君、君だ。

ヨーロッパを旅していると、女性のベテランガイドさんと夜食事に行くのが好きだった。(^O^)オレは、2週間滞在したイタリアのフィレンツェで、ドゥオモの近くのトラトーリアで、こんな話をその女性ガイドさんから聴いた。「イタリアというのは、フランスの文化を創ったのよ」というワインが人を近づけるには十分すぎる話題だった。その主人公はカトリーヌ・ド・メディシスという(時は16世紀百花繚乱ルネサンスの都はフィレンツェ)、メディチ家よりフランス王家に嫁いだ女性だ。その時は初めて聞いた名前だった。

当時のフランスは、鳥がまるごとテーブルの皿に盛り付けされ、それをみんなで宮廷で分けて食べていたというお粗末な食文化レベルにあった。そして世界でイタリアだけが洗練されていた時代。そこに、カトリーヌの嫁入りで、フォーク、野菜、ソース、調度品など、フランス食文化の革命がもたらされた。ちなみに、彼女はマカロンの生みの親ともいわれ、お菓子文化の生みの母でもある。そして、晩餐会で食の革命を広げていった切れ者の100%の女なのだ。たった一人の結婚が、その国の文化までもかえてしまう・・・。香水も調香師を連れてきた彼女が発祥なのですよ。マリーアントワネットではないのです・・。

カトリーヌ・ド・メディシスは14歳で結婚したのですが。10年子供が出来ず、牛の糞と雄ジカの角を彼女の「生命の源」に貼り付けたり、騾馬の尿を飲むことまでしたそうで、100%女のパワーに脱帽するばかりだ。それでも苦節10年で子供が出来て、12年で子供を10人残すのです。ただですよ、国王には愛人(ディアヌ・19歳も年上)がいて、生まれた子供はディアヌに育てられ、子供とは別居のまま暮らすこととへ。話すと長くなるので止めますが、そんな夫が亡くなっても、ミケランジェロに銅像を頼んだりして、優しい女、いや強い女なんですよね。ノストラダムスとも交流があったとか・・・まだまだ僕には謎めいた女性です。歴史の扉は、こんな女性の生涯を追いかけてみたく運命から始まるんだと思う、フランスのロワール川流域に広がる渓谷に彼女の破片があるアンボワーズ城、シュノンソー城、訪れてみたい場所なんですよ。

ラジオからは、山下達郎サンデーソングブックで竹内まりやさんとの納涼夫婦放談のお決まりの最後の曲「さよなら夏の日」が流れて来る。夏が過ぎ去って行く、ぶるぶる震えていた、太陽が肩の力を落としながら、新しい季節に向かおうとしている。「お天道様よ、今年の夏はやりきったな」とオレは声をかける(笑)。

2016年の夏は、雨のない夏だった。それはまるで、灼熱の狂った太陽に、サンドペーパーで心が削られていくような気分だった。その摩耗感、ヒリヒリとした疲労感に頭が思考停止になったのが何回かあったほどだ。朦朧とさせられながら、タフネスについて考えさせられた。

そして、来週のサンソンは、竹内まりや「September」が冒頭でオレの人生に変らず流れるだろう。オレは、何年この番組を聴き続けているんだろう、でもたったひとつこういう番組があるから、オレみたいな民くれは、スタバの珈琲とともに救済されてゆくのだ。自分のリズムを保つのは、こういう音楽であったり、季節の食べ物だ。世界を廻って思うのは、日本の果物は世界最高だと、胸を突き上げるほど自信が漲る。産直にいってシャインマスカット一房が1,200円だった、旨いものは、旨いのだ。

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