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2017年2月20日

錦織圭のアルゼンチン・オープン決勝観戦記

ネタ帳ラボ!一期一会

月曜日の丑の刻の朝2時から、錦織圭のアルゼンチン・オープン決勝をみる、みなければ自分の何かがおさまらないような気分だった。世界のトップランカーが出てないATPツアーで、世界でもてはやされてないマイナーなこのゲームで、何をしようと試みるのか?なぞと、洒落てみながらパソコンのLIVEを準決、決勝と獣も寝静まる時間に、珈琲を頼りに孤独で画面をにらんでいた。

結句、錦織選手はアクセルを踏むことなく、世間からみたら俗にいう覇気のないゲームだった。相手に打ちやすいボールを返していたようなゲーム。ドロップショットもネットプレーも少ない、いつもと違う彼のプレーをみながら、どこかに枷をはめているような気分は、謎めいていた。突っ込めないのか、突っ込まないのか?なにかの間合いを計る、実験データーでもとっていたのだろうか。負けた。

地球の裏のアルゼンチンからの、LIVE中継は、派手さがないのがイイ。観客の浮かれた笑顔を必要に追いかけることもない、きちんと選手を追いかけていて、集中できる。いい女のカットインもない、地味系のセニョリーターをとらえる。アルゼンチンにたいして、そんなちっぽけな所作から、容易く好きな気持ちが芽生えるのが不思議だ。

YOU TUBEでLIVE放送をやってたのだけど、書き込みの95%は日本人で、アルゼンチンの方の書き込みは5%あったかどうかだろう。

日本人というのは、外の世界ではどんだけ不自由なんでしょうね、その反動というか、ネットという内なる世界でひとたび自由になれば、恐ろしいほど、手のつけられないほど、跳ねてしまうようだ。ネットの世界では、節操のないほど自分を吐き出している。

人間の脳力が一定だとすれば、内なる世界や、妄想といった世界で、そのエナジーを発揮しないと、生活が成り立たないのかも知れない。だから、漫画や、アニメ、エロビデオまで、この分野にかけては世界一といえる。ノイズが聞こえない世界、いいかえれば純粋枠では、若者は実力を発揮するようで、まるでネットの中に神がいて、宗教的ではないかとさえ思ってしまう。(^^;)ますます、加速していくことはまちがいない。

コメントを読みながら、観察眼に関しては鋭いモノも存在している。一見無防備に見えて、内実はキレキレなコメントも多い。人間関係に不器用でも、社会規範に照らし合わせたら今ひとつでも、感性は一人歩きして育っているのだ。「本音と建て前」みたいな、仕分けが上手なのよね。

チョウチョの完全変態のように、芋虫であったものが、さなぎになり。さなぎの間細胞をリセットして、まったく姿形をかえてチョウチョとなり、別人28号となり飛び立つ事もあるだろう。そうさせる、ドラマチックウィルスとの出会いは自分の中には存在しない、外からやってくる。

人生は出会いだけが、人間を変えていくんでしょうね。

しんしんと夜の夜気も少しやさしくなり、春への息吹を漂わせている。梅の花のような仄かな香りとでもいうのだろうか

夜の気怠い眠気を通り越し、なんで俺は徹夜していだろうと思う。昼間にあがないきれない眠気がやっているのはわかっているくせに・・。

クレーコートの闘い、錦織圭を追いかけるのはこのシーズンが好きだ。

 今日は、こんなところです。

2017年2月13日

「男はつらいよ49作」を第一作から見てます

ネタ帳ラボ!一期一会

時の狭間に置き忘れたような物を、回想するかのようにNetflixで「男はつらいよ49作」を第一話から見ています。現在37作目「男はつらいよ 幸福の青い鳥」、マドンナは志穂美悦子さんです。ラーメン屋で長渕剛さんが登場した時にびっくり、映画で知り合って結婚したのかと、記憶の糸をたどりましたが、さっぱり事実はやってきません。(笑)

  

1作目を見たら、止まらなくなったんですよね。

  

寅さんはトランクひとつの旅人、「風の吹くまま、気の向くままに」日本を北から南まで。

  

どうだい、今はiphoneもってればナビと観光サイトを見ながら、ぐるなびの星★★★の数をたよりに食事をして旅をして、スマホで写真の思い出をとる。それはそれで楽しいかも知れないよね、でも、それで満たされないものがあるということには気がついていない。

  

寅さんは映画の中で、人差し指をなめて風の吹く方向を感じ、風の吹くままに、流されるように旅をつづける。あるがままなんだよね、画面の昭和の原風景がなんとも、ノスタルジックな風景を指でなぞりたくなる。

  

今の旅はどうだろう、なにか自分が調べた物の「答えあわせ」をする旅だ。iphoneに答えを探して納得しているのだ。迷わないんだよね、そこが悲しみの果てではないか。ちゃんとお金も持っているしね。

  

民くれの毎日でさえ、「答えあわせ」のような人生では、疾走感やロックンロールをわすれてしまう。

  

学生のときに沖縄を船旅して、沖縄から神戸まで船に乗ったらポケットを探ったら、残り金が100円しかなかった。カップヌードルだけを食べた二泊三日、腹が背中につきそうな空腹は忘れられない。その旅で、両親に三枚ほどハガキを書いた、いまも実家のコルクボードに画鋲でおされ生き生きと輝いている。たまに、あの二十歳の多感な青春野郎の自分に、僕は勇気をもらうことがある。

  

喧嘩ばかりしながら、仲がいいというのは本当の家族だと思うね。「困った時はお互い様」という感じが、いっそう羨ましい。

  

夏目漱石が「愛嬌というのはね、自分より強いものを倒す柔らかい武器だよ」とかいてたけど、愛嬌があるのは、この世では子供しかいそうにない、それにスマホもたすから、中学生くらいで愛嬌を忘れ去られている。

  

寅さんが毎度使う「釣りはいらないよ、とっといてくれ」がいいね、気っ風がいい、東男の羽振り。そういえば、親父も気分がいいときは、いつも釣りをとらない男だった。

  

寅さんの啖呵売が、寅さんの生きる力で漲っている。男が惚れ惚れとする。精神と、肉体の活性化がたまらない。あの瞬間、寅さんはファッション雑誌から切り取られたような美人との、ほのかな恋を終え、ちょっとばかしの未練と、惨めな自分を上書き保存する。そして、再び祭りの縁日で自分をとりもどし。元気ですよと、とらやにハガキを送る。

  

その連なる物語が、大人達に自由をとりもどせと叫んでいる。

  

日本人というのは模倣が得意だ、そこから突き詰めて、組み合わせをかえて没頭し、パクリから発明をしていく。鉄砲なんて、分解してつくらせたら、あっという間につくってしまう。堺で分業で大量生産で世界の半分くらいの鉄砲をつくってしまった。

  

捨て鉢のような寅さんの孤独、旅人としての孤独、自由とひきかえの孤独、巣食いされた孤独。孤独のムーディで危険な薫りを好きになろうではありませんか。

  

たまには味方のいない孤独な闘いに出ようではありませんか。最後は所詮、孤独のうちに死んでゆくのだから。

  

愛嬌を寅さんのように、持ちながらね。(^o^)

  

2017年2月13日

「受け身こそ最強の主体性」

ネタ帳ラボ!一期一会

スマホで天気予報を見る。今日雨が降ることをしる、想定通り雨が降る。なんか、つまらない・・。
カーナビで、見知らぬ街を簡単に目的地へたどり着ける。迷わないなんか、心に弾みがない・・。
  
カーナビ使わなきゃ観れていた景色って、結構大事だと思っているくせに。気象衛星ひとつで、台風を予測できるのは確かに恩恵が大きい。洗濯物が雨でびしょびしょになることも少ない。イベントでは助かる。天気予報を見なければ、人生はスリリングになる?(笑)どうだろう。
  
僕は、大体出るときに雨が降ってなければ、傘は持っていかない人生だった。天気予報は、ほとんどみなかった。(笑)なんとかなった。
  
23歳の時にロンドンで雨が降り出した時にバスガイドさんが「ロンドンの紳士は傘をささない」のよ、見て下さいと車窓からみていると本当に傘をさしている通行人がいなかった。
  
ロンドンのリージェントストーリーで「なんで傘をささない?」のかと尋ねてみた。その紳士は「どうして傘をさすんだい、かっこわるいだろ」と答えた。
  
その映画のワンシーンのような光景を、忠実に生きてきた。(笑)
  
旅は、妙な性を僕に与えてくれた。
  
さて最近、荘子を読んでます。 受け身こそ最強の主体性が面白かった。この受身というのは「私が決めれないから、あなたがきめて」というのではない。自分におこる不測の出来事や、人間関係、避けて通れない問題などを受けとめることが、最強の主体性だという。
  
計画や目標が大事に思われ過ぎているが、予想外のことが起こらなければ充実感が無いし自分の人格が広がらない。あらかじめ情報を調べたりして、予断(予め判断してしまうこと)するより、先のことを予測せず、未来のことが分からない状態で、毎日遊々と生きる。
  
運命だと受け容れて、今に没頭して楽しむように生きた方が賢明・・・なるほど
  
御意。
  
それでは何に頼ればいいのか? 「気」だと荘子は言う。うーんわかる。右折すると何かが起こるのでは? というような胸騒ぎ・予感。「不測に立ちて無有(むう)に遊ぶ」(応帝王篇)状況に任せ切れることの強さ・・・。
  
司馬遼太郎先生が、いつも荘子の本を持参していたという記事を読んで荘子を読みすすめてます。
  
椿祭りも終わりましたね。立春ですね・・・軽やかに受身でまいりましょう。
  

2017年1月30日

大切なことは、日常にある

ネタ帳ラボ!一期一会

 1月も月末ですね、週末は実家のレースのカーテンが破れたと言うことで、小生はおふくろと「お値段以上ニトリ」へ、3,500円ほどで両開きのレースカーテンをGET、製造から販売まで一気通貫の威力ですね。5分で入れ替え完了、気持ちも刷新されます。

 不思議な事がありました、五年ほど前に買った居間のテレビが調子が悪く、おふくろが困っていたときに、夢で親父が出てきて、取説、取説と話しかけてきたそうです。取説を探してみると、表紙になじみのデオデオの係の人の電話があり早速修理を頼みました。どうやら、製品不良(液晶パネル無償修理期間3月末)だったのですが、取り替え用のパネルがないため、43型でサイズが大きくなり新品のテレビになりました。「まだ、どこかでつながっているんやね」と大阪王将で餃子を食べながら、楽しそうに語る母。ほっこりしますね。さすがSONYです。

 デオデオが第一家電で松山に進出してから35年位になりますが、親父は同じ店で他の店に浮気することなく、電化製品は買っていました。何の変哲もないことですが、これが男のイキなのだと思います。昔気質ではありますが正しい事だと思ってます。

 頭が楽だったんだと思います。いろんなところで選んで値段を安く買うこともできたでしょうが、そういうことを考えるのをやめるという事は、無駄な時間、エネルギーの消費と考えて行動したかというと、そうではなく無意識、むしろあたりまえの自分の行動。意気地なんでしょうね。

 親父が足が悪くなって、よく重信の愛大病院まで送っていったんですが。かならず2,000円くれるんですよね。「いいから」といっても・・・、なんかしてもらったら寸志を出すのがあたりまえ、それがキレイなんだと言ってました。

 親父は自分のそういう行動を無意識に愛していたんだと思います。

 そして、長年そういう行動を自分を丁寧に扱っていたんだと思います。

 テレビの取扱説明書には、購入日、担当者、連絡先、値段がメモされてました。

 
 大切なことは、日常にあるんだね。

 今日は、こんなところです。

2017年1月23日

世の中はますます言葉で成り立っている

ネタ帳ラボ!一期一会

朝起きて、ホッカイロを貼る。コストにして1枚25円くらいになる。これをお尻の割れ目の切れるあたりに貼る。場所はお尻の割れ目がきれた3.5cmくらい上のところで、骨が少し突き出ている場所だ。ホッカイロ貼るタイプは誰が考えたのか?そして貼るためのノリは剥離性にもこだわりが有り、優秀だ。

こんなささやかなものが、今日一日をなんとかこなすために必要なのだ。たまに、パワーがなくなると霧吹きで水を与えてやると、生き返るところが好きだ。(笑)寒いときは、ほっこりする言葉が好きだ。

ほっこりするというのは、褒められる時がおおい。

「今日の服イイですね、服がよろこんでますね」

「ネクタイの柄の色の組み合わせお似合いですね、 わたしこういうの好みです」

「ご連絡お待ちしております」より「ご連絡頂けると嬉しすぎます」と持ち上げ

たりね

そして、嫌な質問とかされると、まあ僕の場合太っている話題などですね・・

「すみません、その話題は国家秘密です」

「すみません、その話題は事務所を通してもらえますか?」

「すみません、その話題はドクターストップです」

新年会に誘われて断るときも

「仕事で参加できない」というよりも「(せっかくのお誘いですが)残念です仕事で、体が二つあったら行きたいです」

言葉をつくしても伝わらなくなってきた時代ですよね。

言葉でたどり着ける範囲なんてしれてますもんね。

会話ですぐキレるのは、自分の気持ちを表現する適切な言葉を知らないことが多いのが残念

そして大抵の人は言葉を我慢しているのでストレスが溜まってしまう。

SNSが流行し、世の中はますます言葉で成り立っている。

それを、打ち崩すのはちょっとした笑いですよね。

『笑いとはすなわち、反抗精神である』 チャップリン

今日もホッカイロのような、ささやかな癒やしがありますように

2017年1月16日

毎週月曜日メルマガスタート。15年目に突入

ネタ帳ラボ!一期一会

2017年【情熱の嵐3】毎週月曜日メルマガスタート。15年目に突入です。

ここまで来ると、「やめられないとまらない」かっぱえびせん。(1964年発売)

ちなみに、ニコチン並みの常習性を持つこのお菓子の発端は、カルビー創業社長が、広島の川で捕ったエビをかき揚げにして食べていたという海老好きに由来しているらしい。(ネタ元:ウィキ)、日清のカップヌードルも創業社長が海老に執着したとプロジェクトXで言ってたけど、海老はヒット請負人ともいえるかもね。

よく講演会の講師が、1,000円札の裏側になにが書いてあるか?10円の絵柄は何かと?最初にブレークショットとを放つ・。あなたは海老の足が何本あるか知っているだろうか?答えは20本(ハサミをいれて)。甲殻類は足がハサミいれて10本らしい。

そうこんなことは、どうでもいいことだ。ただ、人生はどうでもいいことに埋もれているのも間違いない。

エジソンが発明した白熱電灯は、フィラメントの素材なかなか見つからず、何千もの素材を試していたらしい。木綿糸にタールを塗ったものをフィラメントに使って45時間持つところまできたがそれでは実用性が足りない。ある日お土産にもらった、扇子の骨に使われていた竹をフィラメントに使ってみると、連続点灯時間が200時間を越えた、エジソンは世界の竹を1200種類集めようとした、採用された京都の真竹は1200時間という連続点灯時間をたたきだした。その時エジソンの研究所にいた藤岡市助は、日本に戻り、白熱電球製造を志す。それが東芝の一翼を担っていくのは案外知られていない。

土曜の夜寝れなくて、夜中の3時にJOYFULLで本を読んでいた。脚線美の誘惑といえるほどの若い二人組のお嬢様タイプが店内に入ってきた。こんな時間に何をドリンクバーで飲むのかなと思って観察すると、二人ともメロンソーダだった(^o^)、紅茶か珈琲かと思っていた僕は裏切られた。ちょいと考えた、「このメロンソーダーの味はコンビニで買えるだろうか?」観たことがない、ペットボトル1本は飲めないんだろう(笑)

子供のころデパートで飲んだクリームソーダーは今も鮮やかに蘇る、なぜかチェリーがはいっていた?なぜだ?そして、その軸を舌で結ぶことに執着した。君も、あした彼女と喫茶に行って、彼女とチェリーの軸を舌で結ぶことに挑戦したまえ、そこにセクシーが存在するかを確かめるのだ(笑)。狂っている、そうだ俺は壊れかけが好きだ。高校生はこうやって舌を鍛えるのだ・・エロすぎた(笑)。

人はどうでもいいことを無視し、どうでもいいことに悩まされる。それを教育でもやるから質が悪い、小学生にあがるまえに「一年生になったら、一年生になったら、友達100人できるかな」なんて子供に歌わせる。100人も友達できるわけないやろ(笑)

毎日日記をつけろと言われて、夜つかれているのに、悩む。ネタがないなら、寝た方がええやろ・・・(笑)こんなことをしているから鬱になる。ダメ出しがらはじまり、自分が好きになれない。

2017年どうでもいいことを時にあっけらかんと無視し、時にこだわり、頑張りましょう。

2017年1月7日

四国お遍路88か所結願!

ネタ帳ラボ!一期一会

四国お遍路88か所を12月10日(土)に結願しました。

結論から言えば、「あなたは、あなたの今を生きろ」ということの深掘り掘削作業がお遍路。

過去も未来もない、悩み抜いて、今を肯定して生きよう、そういうシンプルにおちついた。病気なら、病気のありのままの自分を悩み抜いて生きようということ。

鮭がなんで元の川に帰ってくるか、それは鮭におたずねしてもわからない、鮭はただ今を一生懸命必死で生きていて、一生必死で泳いだら生まれた川にもどってくるんだろう。そのメカニズムを論じてもいたしかたない、人は同じような事を日常でやってしまっている。ありのまま今を生きるシンプルでイイ、やっていれば元の川に帰れると信じれるのは才能だ。

人間は同じポテンシャルを持って生まれてくる。子供のころから1万時間同じことをやっていたら、プロという領域に達する人は多いだろうし、フランスのバーゼルあたりにすんでいれば、フランス語、ドイツ語、英語、イタリア語の4カ国語くらいなんなくしゃべれるだろう。

神様は自分に必要のないものは与えてない、そう割り切ったらどうだろうと思えてきた。「今もってないのは、必要ない」それでいいではないか、そう思えるのも才能で有り、才能は運命と同義語だと思う。自分の今を信じて、悩み抜いて 勝負をかけるのだ。「悩む」の先に「考える」がうまれ、情熱という無敵がたちあがる。

いろいろな教えは自分の中にあるだろう、ただし自分探ししても出会えない、ココが肝。自分の中に真理や悟りを持ってないからね(笑)。教えは自分の外にある。そのひとつの考え方や体験として、キッカケとしてお遍路がある。1,200年お遍路は続いている。

毎日、出会うのは他人だ。関わりたくない他人に関わらないと、人間は変われない。他人は10人中9人が敵だと思う。他人に理不尽の饅頭を食わされ、心に土足で入りこまれ、他人にボコボコにされる。それでも、そんなときにね、一人が味方をしてくれたらどうだろう、僕は生きていけれるのだ。その一人と出会える、出会えないかがどんだけ大事か・・・。9人が敵をやり過ごせばきっと味方に会える、そう信じて今を進むしかないよ。きっとその一人は、優しいだろうね。

世間で「私は一人が好き」という人がたくさんいる、嘘だ(笑)砥部動物園のカバの口にでも頭をいれて、喰われてしまえ。山の中で自給自足で、ネアンデルタール人とでも暮らせば良い。ほんと、だれかと一緒にいた方が楽しいよ、病気でもしてみればわかるくせにね・・・。この往生際のわるい奴、素直になろうよね。

お遍路で、お遍路転がしといわれる岩屋寺を登ったときに、同行二人の杖のありがたさを知った。ひとりじゃないというのはありがたい(お遍路ではお杖はお大師様)。本堂にお参りして本尊の前では、その場所では嘘をつけない空気があった。お遍路はそういうところが面白い。だから不思議と自然に本尊の前では「謙虚」になれた。これは一番の収穫だと思っている。

16回のお遍路バスツアー、この世ならざるものここにあり。

「おかげさまで少し謙虚になれました、無事結願ありがとうございます」と僕は最後にお遍路で手を合わせた。

「おかげさまで」イイ言葉ですね。

ありがとうございました。

2016年 お遍路関連 読書リスト

空海
『三教指帰』  むずかしいけど、お遍路の原点

佐藤光代
『 私のお遍路日記』 これを読んで僕にもできるがうまれる

家田荘子
『四十八カ所 つなぎへんろ』 お遍路日記、極道の妻編(笑)

平幡良雄
『四国遍路 』 ※いつもお遍路に持参、年代本

五木寛之
『親鸞(上)』  親鸞は読み出すととまらない
『親鸞(下)』
『親鸞 青春篇(上)』
『親鸞 青春篇(下)』
『親鸞 激動篇(上)』
『親鸞 激動篇(下)』
『大河の一滴』  名著!
『自力と他力』  他力とは他人の力じゃない!!

梅原 猛
『歎異抄』  はい、親鸞はこれでよくわかります

司馬遼太郎
『空海の風景(上)』  最澄と空海を比べたような本
『空海の風景(下)』  司馬ワールド

森三樹三郎訳
『荘子』  ところどころかいつまんで読んでます。人生の名著!!

ドリアン助川
『老子』  親近感あり

金谷 治訳
『論語』  いまだ読破せず・・根性ひつよう

守屋 洋
『孟子』  吉田松陰先生の原点
『韓非子』  うーん経営者はご一読を、人間は弱い
『菜根譚』  田中角栄愛読書、政治家必読書
『孫子の兵法』  文句なし

池上彰
『 池上彰の宗教がわかれば世界が見える』 基本わかる

その他
孫子兵法大伝 DVD 17巻 あっというまに観れます
お遍路 ロード88

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あと20冊くらいあるけど(..;)、手つかず今年読みます。

2016年12月5日

ビレッジバンガードがつまらなくなってしまった。

ネタ帳ラボ!一期一会

「遊べる本屋」ビレッジバンガードに久しぶりに出かけた。店を出て「つまらない」と空に言葉を投げた。

あの日初めて行った、へんてこりんな本屋か本屋でないかわからない店で僕はA4サイズの電卓を買った。(笑)ベストチャートに入ってくるような本でなく、店員の知識や情熱や息遣いが感じられるPOPがお気に入りになった。遺跡発掘調査のような胸の弾みがそこにはあった。「あっ、20歳の美人の化粧道具発見」みたいなね。だから、ちょっと人生の折れ線グラフが下を向くと、店内に流れるCDを1枚買って、本を数冊買うのが僕の自己救済だった。

されど数年前の店とあまりに風変わりしていた、いや本当はビレバンは何も変ってないのかもしれない、変ってしまったのは俺の方かもしれない。

確かにビレッジバンガード はその出店場所を巨大ショッピングモールに移してしまってから、モール病になってしまったのかもしれない、店先を通る多くの女性の顔色をうかがい、どこか大衆に迎合し、POPのペン先まで錆びてしまったようにも見える。連想ゲームのように、例えば旅の本のPOPの近くには、南国のホテルから取り外してきた電話や、スーツケースがおかれ、ムーンサルト「後方二回宙返り一回ひねり」みたいな技の伝授が売り場にあったのだが、人間の慣れというのは、幸せも不幸もひっくるめて「あたりまえ」の世界となり、薄型テレビがもうこれ以上薄型にならないところもまで来てしまったのかもしれない。

ビレッジバンガードは年をとってしまった。20代の燃えるような夏はもうこないのだろうか。大学の時28日間沖縄周辺を貧乏旅行した。与論島のサンセットビーチの頭上をプロペラ機が着陸していき、俺達は焼けた砂の上を素足で「あちち」とあるいていた、ビーチでは山下達郎のFOR YOUがモノラルのトランペットスピーカーから流れていた。昼食はビーチの屋台にインスタントラーメンが売られていて100円だった。あの場所で飲んだバドワイザーの脳天から抜けるようなうまさだった。ヒリヒリして、凍てつく体にしみこんだコパトーンの甘い香りに、俺達は自己陶酔できた。

昔ビレッジバンガードに売っていたモノは日常ではなかなかお目にかかれなかった。ところが世の中にFACEBOOKやTWITTERなどのSNSが登場し、国民総キュレーターの時代が到来し、AMAZONではの購入者のレビューは見事に的を射貫き、情報の洪水の中で、そのチョイスの「洗練」はエッジのキレを失った。

この「洗練」という奴は、日本人の得意技だ。日本人は鎖国からはじまり、武道や学問もたしなんだ。日本には日本独自の共同体という仲間意識があって、そこに外国人や、宗教や、違う言葉がないから、仲良くも知性が競争しあい、抑圧の中で技術は共同体の中で「洗練」 され「改善」されながら伸びていいった。そして、その味を高度成長時代から味わってきた僕たちは味わい、どうやら舌が肥えてしまったようだ。

モノが売れるのはチラシやPOPではなくなってきている、FACEBOOKやTWITTERやInstagramのようなSNSが圧倒的なスピードと親近感で世の民くれにせまってくる。そしてそれらは、大手のデパートでも今やモデルを雇わず、ショップの店員さんがモデルになってSNSでその着心地を伝えてくる、圧倒的なスピード感、その店員さんと会える面白さ、その店員さんとSNSで友達となりつながることで得られる情報、スマホでとられる動画。ショップの店員さんが数千人のフォロワーを持つことのポテンシャルは恐ろしいほどだ、ここに大差がつくともうその差は開く一方だろう。

そして情報の受け手であった、消費者の感想が、時には親友の感想が世の中をさし抜いている。凄い時代だ。まだ、世の中の経営者はそれを甘く見ているので、僕の活躍の場面もそこにあるんだろうけど、今度2年ぶりくらいにそんな総括のイベントでもやってみようかな・・・などと年の暮れに考えている。お遍路88カ所結願祈念でね(笑)

古い考え方は捨てないとムーブメントは起きない。僕たちは、自分を上書き保存して生きなければならない時が来ている。変ってないのは、自分だけだと気がつかないとね(笑) おわり

 今日は、こんなところです。

2016年11月28日

結局は女性には勝てない

ネタ帳ラボ!一期一会

おはようございます、クレストデジタルズ渡部です。

 スタバの新発売のプリンは相も変わらず、開店とともに売り切れているらしい。なにごともない平和な世の中で、OL、主婦という女性は、女性という性を楽しむ術を100%フルに早朝から発揮できるようで、末恐ろしい。

 セブンイレブンで「水ようかん」を買い、ローソンで「京挽ききなこくるみ」、サンクスで「濃厚焼きチーズタルト」、そんな彼女を観察している俺は変態の域を生きていて、今やこの観察は興味深い遊びでマイブームとなった。(笑)しかし、残念なのはこれらのモノを手早く仕入れ、手裏剣のように手土産で配ると、一瞬で男の株が上がり、妻にでも買って帰れば夕食のおかずが一品増えそうなのに、世の
中の男達の考えはそこまで及んでいない。男は鈍感なのだ。

 この際、これらのスイーツを撲滅すれば、この世の女達の元気を一網打尽に根絶やしできるかもしれない。しかしスイーツインフルエンザか流行るか、「えらい太ったね」が流行語大賞でも取らない限りそれは難しそうだ。コンビニが悪い、女を元気にのさばらしているわけだ。

 失恋すると男はダメだ、いつも通り朝食など食べれない。いい女は違う、失恋しても、ちゃんとトーストを焼き、マーガリンを塗り、珈琲をいつも通り入れていつも通りのルーチンを崩さない。こういう女性は伝説のアルビオンのいい「スキコン」という女の武器を持っている可能性が高く(笑)、失恋しても愛用品が顔にハリをもたらしてくれることを頼りにしているだろう。こういう女を男は結婚相手に選びたいモノだが手強いだろう。

 そういうときはドライブにでも連れ出して、スタバのスノーピーカンナッツフラペチーノをドライブスルーで頼み、安室奈美恵の「Love Story」や「ALL FOR YOU」でもさりげなくかけてカッ飛ばすのも良いかもしれない。まあ・・小さな親切、大きな下心で一瞬のうちに玉砕されるかもしれないけどね。

 今日は何を書いているのか、思いつくままのメルマガなのだけど。

 女性は失恋したときにいろんなことをしますよね、友達に話を聞いてもらう、美味しいモノを食べる、めちゃめちゃ忙しくするなどなど・・・でもできないのは「メアド、携帯番号を消す」こと、もしできたとしても頭の中の思い出、未練、執着は消えないに違いないけど。失恋すると、恋の痛手は女性の方がぽっかり穴が空いてしまうようで・・・それを助ける女友達は本当にたくましく勇者のようで、女の世界に男達は勝てません。

 そして、時がたてば女は自分をワードの上書き保存のように塗り替えて、立ち上がっていく・・・

 僕はつまらないことがあると、ジューススタンドの釣り銭のところに自分で100円いれて、誰かがおつりで100円得したを覗きます。女性のリアクションは面白いです、恥じらいながらラッキーの温度の受取り方が違います。やってみてください・・(笑)

 結局は女性には勝てないという結論で今日も終わりです。

2016年11月21日

無駄な金と時間は僕の個性なのだ

ネタ帳ラボ!一期一会

人生は無駄な金と、無駄な時間でできている。

無駄の中で個性は生まれ、無駄が母のように個性をはぐくむ。

無駄の敵はなんだ、競争、結果、効率という時代が求めるものだ。

集団という群れの中で、安住の地を探すのは楽だろう、でもそんな居場所にいる人がダメだというわけでもない。むしろ、その中に幸せである人はたくさんいて、僕には羨ましい。集団にいても、旅に出ると、旅のインプットは見事な彩りと、グラディエーションを放ち「物事の味わいを感じ取る能力」を覚醒させてくれるだろう。

2016年、僕は群れの中から飛び出てお遍路を廻った。一人も知っている人がいないというのは心地よい。

うるう年で、88番札所から1番へと逆に巡る「逆打ち」

60年に一度の丙申(ひのえさる)

弘法大師・空海のご利益が3倍になるとの言い伝えがあるらしい。

2015-11-23-12-20-53

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それは初めてお遍路周りをした衛門三郎の故事に由縁があります。

伊予国河野家の一族で、砥部の運動公園からほど近い、文殊院で豪農である衛門三郎という者の物語です。欲が深く、情け容赦なく農民に接する、この男の前に、みすぼらしい僧が現れ、托鉢を行います。八日目、衛門三郎は、怒って僧が捧げていた鉢を竹のほうきでたたき落とし、鉢は8つに割れてしまいます。そして僧も姿を消します。実はこの僧は弘法大師でした。

三郎には8人の子がいましたが、その時から毎年1人ずつ子が亡くなります。8年目には皆亡くなってしまいました。悲しみに打ちひしがれていた三郎の枕元に大師が現れ、三郎はやっと僧が大師であったことに気がつきます、そして自分は何という恐ろしいことをしてしまったものだと後悔するのです。

三郎は懺悔の気持ちから、田畑を売り払い、家人たちに分け与え、妻とも別れ、大師を追い求めて四国巡礼の旅に出ます。二十回巡礼を重ねたが出会えず、大師に何としても巡り合い気持ちから、今度は逆に回ることにしました。ところが、巡礼の途中、阿波国の焼山寺の近くの杖杉庵で病に倒れてしまいます。死期が迫りつつあった三郎の前に大師が現れました。三郎は今までの非を泣いて詫び、「望みはあるか」との問いかけに「来世には河野家に生まれ変わりたい」と託して息を引き取るのです。大師は路傍の石を取り「衛門三郎再来」と書いて、左の手に握らせます。それは、天長8年10月のことです。

翌年、伊予国の領主、河野息利(おきとし)に長男が生れるました。その子は左手を固く握って開こうとしません。息利は心配して安養寺の僧をよび、祈願をします。すると赤ちゃんはやっと手を開き、手の中から「衛門三郎」と書いた石が出てきました。その石は安養寺に納められ、後に「石手寺」と寺号を改めたます。石は玉の石と呼ばれ、寺宝となっているそうです。

衛門三郎は妻と別れの水盃をかわし、死に装束ともいわれる白衣(びゃくえ)に、手には手っ甲、足には脚絆、頭には魔除けの菅笠をかぶり、右の手に金剛杖を持って旅立ちました。この出で立ち姿が、お遍路さんの姿となります。

巡礼したお寺に紙には自分の住所、氏名、年月日を書き、お札をお堂にはりました。これが、お納札になったそうです。(自分の居場所を弘法大師に伝えるため)うるう年の巡礼者は通年の数倍に上るともいわれる。しかも逆打ちで弘法大師に巡り会えたという伝説が残る60年に一度の丙申(ひのえさる)

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丙申(ひのえさる)の意味はわかりますか?一応説明・・難しいけど(笑)

今年は申年(さるどし)ですが、正確には丙申(ひのえさる)なんです。

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干支(えと)は十干十二支(じっかんじゅうにし)でできていて
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十干(じっかん)は、甲乙丙丁戊己庚辛壬癸
甲(こう)、乙(おつ)、丙(へい)、丁(てい)、戊(ぼ)、己(き)、庚(こう)、辛(しん)、壬(じん)、癸(き)

十二支(じゅうにし)子丑寅兎辰巳 馬羊猿鳥戌亥
子(ね、し)、丑(うし、ちゅう)、寅(とら、いん)、卯(う、ぼう)、辰(たつ、しん)、巳(み、し)、午(うま、ご)、未(ひつじ、び)、申(さる、しん)、酉(とり、ゆう)、戌(いぬ、じゅつ)、亥(い、がい)

十干(じっかん)甲乙丙丁戊己庚辛壬癸
十二支(じゅうにし)子丑寅兎辰巳馬羊猿鳥戌亥

甲子(きのえね)→乙丑(きのとうし)と順に進み、壬戌(みずのえいぬ)→癸亥(みずのとい)で60で一巡して最初の甲子にもどります。

「10×12=120通り」ではないのです。60通りです。
※「甲子」はありますが、「甲丑」はないのです。
詳しくはgoogleで調べてくださいね。

60で干支は一周し、還暦を迎えるというわけです。

丙申(ひのえさる)の年、お遍路にいっても御利益があるかどうかはわからない。

煩悩が消えるかと思ったけど、ますますそれは輪郭がくっきり表れてきて、キラキラ輝いている。(笑)

こうなれば、何も期待しないで生きるしかないか、と笑い飛ばす。そうすれば、何かいいことがあれば、早天の慈雨として受け止められるだろう。いつもなにも期待しない事が原点だということだけは、お遍路でわかった。

2015-11-23-12-21-00

たくさんのお守りを買った、御朱印も集めた、三途の河の渡し賃の寛永通宝六文銭も70番本山寺で1,000円で買い求めた。招き猫も財布に入れた、白衣の襟に光明真言の文字(梵語)を16番札所の観音寺2,500円で書いてもらった。無駄なことばかりしているようだが、孤独を纏うようにそんなものを買い求めてしまう。まあ、そんな付属品を含めて自分自身なんだろう、それを信じるのも才能で有り、その才能は時に運命と同意語なんだと思ってしまう。

多分、僕は1mmも成長してないかもしれないけれど、こころ萎えたとき、何か一定ともいえる確かなことが、思い出されるかもしれない。

いよいよ12月10日(土)お遍路結願!!へ

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