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2018年3月5日

松本清張の「動機」へのこだわり

ネタ帳ラボ!一期一会

今更ではあります、僕は松本清張を読み始めた。なんだこれは、流れる時間がここちいい、あっという間に夕方が来る。

 

少しあたたかくなり、カッターシャツになった僕。その胸のボタンを開いて、彼は何の衒いもなくメスをいれ、胸を切り開いてゆく。心臓の地金を木槌で軽快にたたく。ひとしきり形を整えたら、サンドペーパーで磨いて僕の一握りしかない感性をピカピカにしてくれるのだ。

 

「黒革の手帳」を読んでいる。

となりには、コナコーヒーが独特の香りを奏でている。

 

描写が丁寧で、主人公のハルエの生活が脳のスクリーンに動画で再現される。それが映画のように思えるのは、映画カメラのアングルを意識しているような、高低差のある視線の描写が秀逸だからだ。

 

日本の探偵小説のトリックを、江戸川乱歩、松本清張、横溝正史が喰いつくしたのは間違いない。(笑)

なんで松本清張が面白いのかが、やっとわかってきた。

 

主人公の生活が丁寧に書いてある。なぜこんな生活をしている人が、犯罪を犯すのか、その「動機」を登別温泉に浸り、のぼせる手前まで、懇切丁寧に書いているからに違いない。まあ、登別温泉でなくてもいい。(笑)

 

「動機」は人を動かす。そこに秘密のスイッチがある。

 

恋人同士なら、なぜ僕は彼女を好きになったのか。その動機は必ずある。だれでも、そこが知りたい。

 

いきなり、答えの説明では面白くない。

 

「じらしくれないと」僕は燃えない(笑)

 

3月1日から就職が解禁された。

 

面接で一般的に最初に志望動機をきく。ダメでしょ。

そんなんじゃ、推理小説の犯人は口を割らない。

 

もしも松本清張が学生の就職面接官だったらなにを聞くだろう。

 

家族の事や、親孝行の話しなどして、胸襟をゆるめるだろう。

 

そして「どんなアルバイトをしていましたか?」などとざっくばらんな話しへ。

 

次ぎに「アルバイトで貯めたお金で何をしましたか?」という質問をする。

 

この質問で、相手の深層心理とか人物像は結構出てくるに違いない。

 

動機というのは恋とか、お金とか、人間関係とかに起因することが多い。

 

人は他人の「動機」に興味津々だ。

うそじゃない、恋バナや趣味など、動機を教えてと居酒屋でやれば

朝まで話が尽きないのですから・・。

 

松本清張を一冊読みましょう。

僕は次は「点と線」であります。

 

2018年2月26日

ガードストーンを置こう

ネタ帳ラボ!一期一会

平昌オリンピックでの日本カーリングの銅メダルおめでとうございます。

 

松山の伊予鉄スポーツセンターにもカーリングレーンが1レーンあるらしい。

(OPEN時期限定?)知らなかった。

 

ちょっと調べると専用リンクは全国で11か所、通年利用可能は4箇所とのこと。

競技人口も3,000人程度。

 

オリンピックのカーリングの番組。3時間という長いゲーム。見ていて面白かった

のは、ガードストーンの存在だった。

 

ガードストーンは、どこかしら犠牲者的な存在で、実社会でもリアルに粗末に扱われて、簡単にはじき出されるイメージがある。

 

しかし、ガードストーンは、ラストショットで輝きを増す。自陣の石をはじき出されないための最後の砦のボディガードになる。このゲームをドラマにかえる助演の賞のような感じだ。

 

緊張・難解・ガードがなくなった未来の構図など、いろんな場面で勝負をおもしろくする。捨て石のようなガードストーンの深層には魅力がつまっている。

 

さて、人生つまらないときは、「つまらない」自分の前に、ガードストーンを置いて「つまる」状況にするのはどうだろう。

 

だからといって、ガードストーンは煩悩とか、敵対するものとか、そういう自分を悩ませるものではない気がする。

 

どちらかというと美味しいものとか、旅行とか、恋とか、趣味とか、そういうものではないだろうか。

 

ちょっくら風邪気味で、微熱のため

今日はこんなところです。

 

2018年2月19日

小平奈緒選手、金メダルおめでとう

ネタ帳ラボ!一期一会

8時ちょうどの、あずさ二号で

私は私はあなたから旅立ちます。

 

小平奈緒選手、金メダルおめでとうございます。

なぜか、500mで彼女が金メダルを取って、彼女の地元、相沢病院や、信州大学がある、松本・諏訪辺の事が頭をよぎってしょうがない。

 

国鉄の特急あずさに乗って、僕はなんど新宿、長野駅を往復しただろう。

 

出発駅の新宿の火照った駅ビル。すえたあせ臭いビジネスマン、ハマトラからニュートラに変わったOL、ごった返した駅の人波は佃煮のようだった。無駄にざわめきが涌いている新宿駅の光景を車窓から見ながら、木島平にログハウスを一人で建てているおっさんの夢を、僅かばかり手伝うために、20代後半から4年間くらい夏休み、冬休みは必ず木島平を訪問していた。

 

もちろん交通費は自腹、毎度ボランティア。オーナーは大阪でLIVEハウス(JAZZ)をそのまま、木島平でやるのが夢だった。そして、その夢に巻き込まれた家族の苦労は、なんども僕の胸を抓ったもので、涙物語りの本線をいくものだった。

 

天井の断熱材をはめたり、水道をひくためにスコップで穴を掘ったり、ともかく肉体労働がつづく日々。それでも、朝牧場まで30分歩き味わう牛乳、オーナーの息子二人にトランプマジックみせてあげた昼食、奥さんの夜のおいしい食事、そして信州の日本酒。おまけに秘境の馬曲(まぐせ)温泉の露天風呂。その時間たちに囲まれ、僕は何かしら満ちたりていた。

 

行く度に自衛官の人や、大阪のバンドマンや、ともかくまった女っ気がないメンバー達(笑)。そこ抜けに楽しい男達の数日の夜があった。僕も、東京からつれだって、友達をよく連れて行った。

 

こういったボランティアメンバー達の応援する思いを下敷きにして、基礎工事から、地下室で家族が暮らせるようになり、1F、2F、屋根裏と完成して行く。そこまで着工してから3年。なんども資金不足に陥っては、資金を集める自転車操業の繰り返し、とうとう雪で仕事の進まない冬場はマスターは歌舞伎町で小さなバーを出したりもした。焦っていたようにも思えた。

 

出会ってから約4年の月日が流れ、1Fのホールにステージができてピアノやドラムセットが持ち込まれた。70%くらいの完成度でありながら、50名は泊まれるログハウス。冬場はスキー客で週末は満員になっていった。家族は意気揚々としていた。

 

思い出したくない悪夢の日から何年たっただろう。僕は、再び大阪堂島でログをつかったLIVEバーをはじめたマスターと会った。どでかい夢までのっけたログハウスは、薪ストーブの熱処理がわるく、完成まで残り10%というところで出火し消失してしまっていた。

 

酒をのみながら、60歳を超えたマスターは「もう1回再建する」と意気地を込めて語っていた。

 

そして、不死鳥のように彼は立ち上がり、孤高に木島平に作業小屋をたて、一人で小さなログハウスを建てようとしたが数年後挫折してしまった。

 

「夢は必ず叶う」

「人間は何度でも立ち上がれる」

 

そういう思想は人間が考えだした最大の虚構だろう。まぼろしだ。そして97%の人は、こんな物語を訊きながら、アクセルを踏まずに星になる。それでも、狂うというイデオロギーに殉職することができるのは、幸せかも知れない。

 

司馬先生が幸村にこんなこんな言葉をしゃべらせている

 

幸村は、男はたれでも、自分の才能を世に間うてみたい本能をもっている、といった。男が世に生まれて生きる目的は、衣食をかせぐためではなく、その欲を満たしたいがためだ、ともいった。「むろん、煎じつめれば、それも所詮、屁のようなものさ。しかし、その屈のようなものも当人にとってみれば、たいそうなことだ。ひらずに死ぬのかと思うと気が狂いそうになる」

 

小平奈緒選手31歳、どうやって彼女はアクセルを踏んだのだろう。

 

「夢は必ず叶う」の言葉は、どう扱ったのだろう。口にも出さず、金庫にいれていたのだろうか?

 

朝一、メルマガを書いているとあっという間に配信時間の9時になってしまう。(笑)

 

スポーツの縦関係というのは、いつまでもつづく落語でも師弟関係というの根強い

 

そこは垂直軸が、姿勢をただすような謙虚さを産み出すしている。ひとつの思想なのか、つきつめれば宗教ともいえるほどなのか・・・

 

金メダリストの孤高の心はどうなっているんだろう

 

小平奈緒選手の茅野っていいとこですよね。

 

白樺湖でSQUAREのスキーツアー企画したな・・とか

三井の森蓼科の白樺のゴルフ場は最高だったなーとか

茅野から八ヶ岳をぬけるドライブコースを一人で走り抜けたなとか

 

今日はこんなところです。

 

2018年2月13日

平昌オリンピック、高梨沙羅のリベンジ

ネタ帳ラボ!一期一会

平昌オリンピック 開幕。日本も寒いですね。

 

「こんなの中止でしょう、と心の隅で文句を」と、マイナス10度を下回る極寒の中、葛西選手。「今年は夏にカメムシが大量に出たんで、冬は大雪になるよ」と、親戚の従兄の予想は見事に的中した。(^^;)

 

僕が体感したのは、ニュンヘンの-25度。鼻毛が凍り、痛かった。暖房の店内に入り、鼻が痒くなり。鼻毛をぬいたら、あれー!!鼻毛が30本ぐらいとれたのを思い出す。どうでもいい話だ。(笑)

 

人間の好運と悪運の量が同じなら、日本の冬季オリンピック通算金メダル9個(団体を1個として)は、合点がいかない。世界選手権で何度優勝しても、運がなければオリンピックの金メダルは獲得できない。

 

日本を応援する時に、どうしても他国のミスや不幸をよろこぶ心が、どこかしこで芽をふく。(^^;)それだけは、やってはならないと思っても、詮無いことだ、煩悩は消えない。(笑)

 

さて、高梨沙羅さんがノーマルヒルで銅メダルを獲得。彼女は4年前の素朴な自分を断ち切るように、アイラインをくっきり入れ女の色気を放った。外見情報で「いい女」を品定めする男性が騒ぎだし、女性までが「女が女に」どこか嫉妬していた。

 

「ありのままの自分が好き」とか「化粧を落とした素顔をみたい」、男はそんな古文書に書いてあるような台詞を吐く。なりませぬ。虚飾とか、見栄とか全部はぎ取った女性なんて存在するのか、女性はオシャレをして、自分の輪郭をハッキリとさせるのだ。ブランド品は自己回復ギフトであり、スマホのケースなどの附属品を含めて、自分自身なのだ。

 

メルマガを書いているとNHKに高梨沙羅選手が登場。根っこは「素朴」なんだと思わせてくれるインタビュー、何か憑きものがとれたような顔に、僕には思えた。さあ、4年前のリベンジへ、薄紅のルージュをひいて、次はラージですね。

 

そして次ぎに、モーグル銅の原大智選手が登場。僕は、なぜか単純な理由で彼が飛び出してくるのではないかと思っていた。彼はテレビの画面で見て、誰もが選択しない一番右のコースを選択していたからだ。上村愛子選手がソチでこの右コースにこだわったいた。里谷多英選手が長野で金、ソルトレークで銅を獲ったときも右コースだった。なにか、神様がいる予感がしてた。

 

そんなことをあれこれ思いながら、萩本欽一さんが、知恵を振り切ってアイデアを出さなきゃいけないときには、普通の人が寝ている時間に努力します、と本で書いてあったのを思いだした。昼間だと、神様は誰に運をあげたらいいかわからない、だから人数が少ない深夜がいいんだと・・。

 

ヒラリと宇宙の果てからアイデアが落ちてくるような感じで、それをつかんがだ時に、凄い運が来たって自信がもてるんだと・・。

 

さあ、高梨沙羅選手(銅)、高木美帆(銀)のリベンジがみてみたい。

 

絶望の壁にはじかれ、人生の黄昏に包まれたような孤島に流された。

 

私たちをなじった言葉の数々、本音を吐いたらきらわれそうだと思ったみじん切りの心。

 

何百の疑問符を、夏空のベランダに干してきただろう。

 

今まで傍観していた人たちが、吸い込まれるようにコレはなにか起きそうだと、意味ありげな顔をつくりはじめた。

 

僕の安っぽい洞察力・・

 

冷たく凍りそうなシャワーをあびて、

女のリベンジがおこりそうな気配だ・・・。

追記)女子にラージジャンプはありませんでした。すみません(^^;)

 

※金メダル 参考資料

=================
2014年 ソチ五輪
羽生結弦
フィギュアスケート男子

2010年 バンクーバー五輪
該当者なし

2006年 トリノ五輪
荒川静香
フィギュアスケート女子

2002年 ソルトレークシティー五輪
該当者なし

1998年 長野五輪
船木和喜
スキージャンプ個人ラージヒル
岡部孝信
斎藤浩哉
原田雅彦
船木和喜
スキージャンプ団体ラージヒル
清水宏保
スピードスケート男子500メートル
西谷岳文
ショートトラック男子500メートル
里谷多英
フリースタイルスキー女子モーグル

1992年 アルベールビル五輪
荻原健司
河野孝典
三ヶ田礼一
ノルディック複合団体

1988年 カルガリー五輪
該当者なし

1984年 サラエボ五輪
該当者なし

1980年 レークプラシッド五輪
該当者なし

1972年 札幌五輪
笠谷幸生
スキー70メートル級ジャンプ
=================

 

2018年2月5日

日曜日は、山下達郎さんの65回目の誕生日

ネタ帳ラボ!一期一会

日曜日は、山下達郎さんの65回目の誕生日。

 

サンデーソングブック「山下達郎特集!棚からひとつかみ」を聴きながら、日常に、生きている実感を感じる午後。

 

18歳で達郎ファンになった。言葉を尽くしても説明できないほどの人生の潤いを、得てきた。

 

たとえばこんな感じ。

 

2012年9月2日

 

30年ぶりに夏フェスに達郎さんが出演することとなり、松山から車を飛ばして僕は山中湖に駆けつけた。「夏フェスは最初で最後かもしれない。野外で達郎サウンドを夏のLIVEで聴いてみたい」、胸がヒリヒリして止らなくなり、この世ならざるモノをみたいという気持ちは、過剰で、狂るおしいモノとなり、心に噛みついてきて増殖し制御ができないほどになっていた。

 

夏フェス山中湖湖畔。会場の大多数の若者は初めて見る生の山下達郎。達郎さんは登場すると、挨拶代わりよろしく夏フェス用インスト「LOVELAND、ISLAND」を演奏。

 

「ようこそ」と祝福するように奏でられた、山下達郎の世界観。そして「こんにちは、山下達郎です」と気合いの挨拶。僕には、その声が若いアーティストへの挑戦状のような聞こえた。

 

(中略)

 

12時間以上一人で四国松山運転してやっと逢えた、達郎サウンド。号泣きだった。情けない(笑)まさか、まさかSPARKLEにこんなに泣けるなんて思わなかった。

 

人生が「つまんない」とき。「つまらない」ものを「つまる」ようにすることが大事なようだということを知った。そう、かなり無理して自分を「つまらせて」山中湖まで来たのだ・・。

 

こういう時に神様は、人生の双六で、ジャンプポイントを用意してくれている。それを実感した瞬間だった。

 

そして、それだけの見返りがある、対象というのはそうは人生でお目にかかれない。ただ僕にはひとつだけある、それが達郎さんだ。

 

そして、エンディングへ

10. RIDE ON TIME

 

(中略)

 

達郎さんのギターのイントロに、エレピの難波弘之 ( キーボード )がリズムを重ねて行く。

 

キーボードの難波さんの髪型も何十年も同じというのもすごい(笑)そう、変わらないもののすごさ。ここにもあり(^^;)阿吽の呼吸で何十年のコンビが紡ぎ出すRIDE ON TIMEのイントロ。

 

ギアをローからセカンドへと、クラッチを踏んであげていくようなアナログの疾走感。

 

抜き差しならない日常に、くだらないことに拘泥している心に、立ち上がれ、立ち上がれ、と信号を送ってくる。

 

そして夏の終わりの夕暮れのラスト。プレシャスなひととき。ラストに「サヨナラ夏の日」が流れた。

 

夏の火照りとともに、達郎さんが天空に押し上げてくれた孤独。まるで、その孤独が、絶望と挨拶を交わし歩き出してゆくようだ。

 

体の隅の隅まで、音楽に満たされるというのはこういうことだろうか。細胞がリブートしたような感覚、体のどこかを押すと「ドミソ」と音がしそうな程だ・・・。

 

僕は2012年の夏、その次の出番のperfumeを観ることもなく松山に向けて、山中湖を後にしていった。

 

そして、達郎さんは65歳。年金受給者ですと笑いをとっていた。あと、何度コンサートに行けるだろうかと考えると、寂しい気持ちになる。

 

今日はこんなところです。

 

2018年1月29日

お江戸2「川崎大師」へ

ネタ帳ラボ!一期一会

お久しぶり東京、全日空は68番ゲートに到着。到着口までのガラス廊下。

 

ふりそそぐ朝の光のプリズムに頭がくらっとする。20代の頃、この東京で青春をひとつかみしながら、僕はたしかに生きていた。

 

それが、どうだ「あれから30年」背中の加齢というフェードアウト装置が、起動して止められない。(笑)解除装置は背中にあるのだけど、この野郎!絶対に手が届かないとこにスイッチがある。それだけの柔軟な体は、取り戻すことができそうにもない。(笑)このフェードアウト装置は二回人生をやれないということを、実感させてくれる。

 

それでも、なにかしら生きることは捨てたモノじゃない。そう思わせるのは、到着口で待つている永遠にかわらない友達だ。

 

羽田から友達の車に乗り、「川崎大師」へ。カセットテープを入れるだけであの頃に飛んでしまう。ナビなし、ETCなし、30年前と同じ時間を届けてくれる。社会的に時代の流れに抹殺された文化を大切にしているその生き方は、僕に一喝を与えてくれる。

 

さてさて、「川崎大師」は弘法大師を本尊として祀っているお寺。

 

参道の仲見世には久寿餅(くずもち)やとんとこ飴(包丁のリズムが有名)、せんべい、だるまなど、物見遊山的に散策する人にも、たくさんのエンターテーメントが用意されていて、お江戸の頃から庶民に脈々として、娯楽を提供してきたようだ。

 

八十八箇所を廻った僕は、弘法大師の古刹なお寺ばかりを廻っていたので、不思議な感じだったけど、こういう風に宗教が身近にあるというのも悪くないなと思った。

 

ヒリヒリする毎日を変えてくれる、平場で誰もに愛されるような力を放つような場所は、何かの入り口かも知れない。

 

車にカーナビがないので道を間違える。久し振りの感覚だ。そして間違えたおかげで、美味しい「ぜんざい」に出会う。こういう時間は、人生に「うるおい」をプレゼンとしてくれる。

 

友達と二人で行動すると、かならずこういうことが起きる。そういう偶然の産物という奴を、俺達はなんど体験しただろう。皆さんにも、アイツといるときは何か起きるなんてことないですか?

 

「ぜんざい」だけで2時間しゃべれる。絶妙の合いの手と高笑いがあふれていた。

 

2018年1月29日

久し振りにお江戸へ、そして小室哲哉さん

ネタ帳ラボ!一期一会

先週末の早朝、松山空港。久し振りにお江戸へ・・・。

 

前日眠れなくて、ボーイング787のシートに背中を持たれたら、背が泥沼に吸い込まれるように、睡魔の底なしの泥に体がのめりこんでいく。

 

隣にいた、左手でLINEを打っていたサウスポーの女性も一寸僕より遅れながらも同時進行で眠りに落ちて行くのがわかる。こんなに肩を寄せて隣に美人が接近したのは何年ぶりで、その眠り顔を僕だけが独占して拝んでみようと不埒なことを考えた。

 

だが彼女の甘ったるい香水の匂いにつつまれると、逆に軽い眩暈に襲われて、頭の回路がショートしたように数秒で眠りこけてしまった。

 

パタリ、ブランとした時間の中で、突然床下からワイヤーを巻き上げるような音がして、目が覚めた。飛行機は既に羽田空港にレーダーで導かれるような線をなぞって、東京湾を羽田に向かい着陸態勢で滑空していた。右隣から、再び甘い匂い、そう記憶の中の抽斗にある匂い。なぜだろう、古い記憶が覚醒されていく。その香水を纏った女の顔が浮かびそうで、思い浮かばない。

 

ボーイング787のコンピューター制御された機体は微動だにゆれず最終着陸態勢にはいった。僕は機中にいるのに、まるで羽田空港の管制塔の管制官のように、787の着陸態勢の美しいフォームが手に取るようにわかる。長野オリンピックのジャンプ競技(団体)でただひとり20点満点をたたき出した、金メダルの最終滑走者、舟木選手のような、きれいな着地フォームを思い浮かべていた。

 

一月の東京の空は、青空をはにかみながら、久方ぶりに上京する僕を迎えてくれている。到着と同時に、サラリーマン軍団は上着を着こなし、シートベルトを外してもいいサイン音と同時に、一丸となり礼儀正しく、立ち上がる。フライングがない(笑)

 

こんな光景は日本にしかない。日本人のプライドここにあり。(^^)/~~~

 

荷物棚のピンクのminiスーツケースをおろして、彼女に無言で笑顔を投げた。上目遣いに僕を見た左からの笑顔は、彼女の利き顔だろうか、男をだいなしにするような魅惑の微笑みだった。

 

上京中に小室哲哉さんが、奥さんの終わりのない看護に疲れ、それを支えてくれる女性が必要になったというニュースをTVでみた。私のような民草の生命体でも、東京に行くだけでもなにかしら、旅と同時に、くだらなくときめくように(比べるのもしつれいだけど)、小室さんの今回のことをかんがえると、人間として健康で、安心で、至極健全なことだと僕は思うのだけど、どうだろう。

 

一見、奥さんの介護と自分の体調不良を理由にしたような会見にニュースは見えてしまうのが残念。TWITTERが、人間は他人の心の弱さや痛みには鈍感で、人間は正義なんかでできてないよと、同情して叫んでいるのが、妙に新鮮だった。

 

長くなりそうなので、ひと言わせてほしい。小室さんは、音楽家なんだ。芸術家なんだ。
孤独で、どうしようもないうらぶれた夜に、暗闇の中できっかけを与えてくれるようなしごとをしてきたんだよね・・。

 

たとえば何万人の人が、小室哲哉&安室奈美恵の芸術に助けられただろう。

 

wow wow tonight 時には起こせよムーブメントができあがったときに、小室さんはヒットを確信したという。どんだけの若者がこの歌でストレスを発散しただろう。

 

Hey Hey Hey 時には起こせよムーヴメント
がっかりさせない期待に応えて 素敵で楽しい
いつもの俺らを捨てるよ
自分で動き出さなきゃ 何も起こらない夜に
何かを叫んで自分を壊せ!

 

倫理感や道徳観を人質にとって、ナイフを突きつけ、正義を振りかざす奴は音楽を聴く資格なんてないんだよ。

人間はもっと薄汚れているんだ、知っているだろう、そんなこと。もうやめようぜ・・。

 

小室さんが、孤高に立ち上がり

生き恥を晒しても、

イイ音楽を届けるために、再びたちあがる日を

まっています。

 

※お江戸の話しは次回につづきます。(笑)&(;゚ロ゚)

 

今日はこんなところです。

 

2018年1月29日

大河ドラマ バカ正直な西郷どん

ネタ帳ラボ!一期一会

西郷どん「第二話」

貧乏を貧乏とせず、こやしにした時代。

西郷さんは、寡黙な人というイメージとは裏腹に、そこは小説らしく快活にテレビドラマとして描かれていく。

調べると、西郷家は御小姓与(おこしょうぐみ)という身分で、これは10の家格に分れていた薩摩藩士の下から2番目の身分だそうだ。(大久保さんも同じ御小姓与)西郷家は七人兄弟+父母+祖父母の11人家族、どうかんがえても生活は困窮してたに違いないと思える。

原作者、林真理子さんの女性目線で、ドラマは進行。西郷家の妹たちの困窮や、お手伝いの女の子が売られてて行くシーンなど、細切れにちらちらと、挿入されていく。

正直にバカがつく、西郷さんの絡み方を見ながら思ったのはおふくろのことだった。

正月のこと、ビュッフェで親戚一同が集まり食事をし、母は家にかえり、ハタと領収書をみる。そこで一人分払ってないことに気がついたおふくろ。すると何の衒いもなく、寒い中その一人分を払いにわざわざ店まで戻ったという。お店の人も何を感じたのか「わざわざこんでも、わからんかったのに」と告げたそうな、「食べたモノはお支払いしないとバチがあたるから」と母は、どうやら笑い飛ばしたらしい。

「バカ正直」というものの、もう八十歳まで続けていれば、モノが違う。この話しを聴きながら、ただひたすら不埒な自分を恥じ、襟を正し、居住まいを正さねばと、ロープ最上段からの脳天唐竹割りを浴びた気分になった。そうだな、母の一生の事実を新聞にするなら、このシーンを切り取らないといけないなと思ってしまったのだ。

夏目漱石は「愛嬌というのはね、自分より強いものを倒す柔らかい武器だよ」と言った。

その言葉は、最近の自分の好きな言葉だった。

さりとて、ですよ、正月に母のこの話をきいていると、愛嬌には「気に入られたい」という意図がどこか滲んでいて、「愛嬌」は「バカ正直」と正面対決では勝てない(笑)「バカ正直は」漆を何重にも重ねた、母の場合は八十年塗った、匠の逸品のようなもので成立しているらしい。

そんなこんなも、「西郷どん」のおかげですね。

一日メルマガ発行が遅れてすみません(^^;)

今日はこんなところです。

2018年1月9日

不完全燃焼、大河ドラマ 西郷どん

ネタ帳ラボ!一期一会

大河ドラマ 西郷(せご)どんを見た日曜日。

正直つまらなくて、僕の心の桜島はもう少しで噴火しそうだった。(笑)

ならぬものは、ならぬ。女性がつくると・・、こうなるのか。

 

僕が初回を演出すると、どうなるだろう。

西郷(せご)どんのファンタジー演出とは違うことをやってみたい。

 

時は、鎌倉時代、初代島津のルーツを探す・・。

 

御家人島津忠久は、先住民がどんな種族ともわからない未開の地九州薩摩に、薩摩芋しか育たない不毛の地に、源頼朝から守護職を命じられ赴任した。

 

実は忠久の母親と、源頼朝は同時期に同じ乳母の乳で育ったらしい。そう、かくして、同じ伝説の乳首で育った兄弟なのだ。僕も参加したい(;゚ロ゚)これは歴史学的に見ても稀なのだが、ここは話しを膨らますのはやめる。(笑)多分無理矢理、この歴史は美談のように歴史にねじ込まれたのだろう。

 

二年ほど前に母親を連れて鹿児島へ行った。城山ホテルの桜島が見える露天風呂。そこには桜島が今日何回噴火したのかを掲示していた。桜島は年に1,000回は噴火するらしい。

 

不思議なのは、その桜島にたくさんの人が今でも住んでいることだ。

 

桜島の麓にある小学校にはいまも脈々と続く、恒例行事がある。桜島の対岸まで4キロを全員で泳ぎ切るという伝統だ。

 

西郷どんで郷中教育を説明していたがわかりにくいこと限りない。(笑)これこそが、薩摩の教育の象徴だろう。

 

桜島の対岸まで4キロを全員で泳ぎ切る。ずっと続いてるんでしょうね。泳ぎが得意なものは、友達を支え、泳ぎが苦手なものは、迷惑にならないように必死に練習する。誰一人、落伍者を出さず泳ぎ切る。薩摩の血の結束がそこにある。

 

学校なんてない、朝6時に先輩のところに行き四書五経を学び、10時から相撲をとり、午前中再び先輩は後輩に勉強を教える、午後は山、川、海で遊び、夕方武芸の稽古をし、武士としての心得を学ぶ。

 

桜島がもし噴火すれば、全員が錦江湾を泳いで逃げる。このポテンシャル、団結力を持っている薩摩に日本のどの藩が勝てるというのだ。

 

そして、この「負けるな、ウソを言うな、弱い者をいじめるな」という郷中教育の教えをつくったのは島津義弘。

 

「関ヶ原の戦い」ではいろいろあって西軍だった。敗戦濃厚、まわりは東軍だらけ、どうやって血路をひらくか。義弘は鬼将「福島正則」に正面から切り込み、士気を束ねて徳川家康に突っ込んでいき、にらみをきかし、血路を開き退散す。

 

追いかける、本多忠勝などの徳川四天王に対し、「捨て奸(がまり)」という戦法をとる。殿(しんがり)部隊は敵を食い止め、全滅すると、新たな部隊を再編し、再び全滅するまで義弘を逃がすという作戦。さらに、退路には小部隊をつくり、追撃する敵の大将だけを狙うという鉄砲隊を配置。追撃隊の大将・井伊直政には致命傷を負わせて逃げ切った。すべては練習済み、折り込み済みの知略なのだ。

 

島津義弘は関ヶ原の闘い後、重傷を負わせた井伊直政に和平交渉を頼み、それには福島正則も尽力し義弘を助けた。名将というのは敵味方問わず信頼され、リスペクトされるんでしょうね。

 

最後は、薩摩にはお金があったのかと言う話題です人生はお金です、「金がなくては戦はできぬ」であります。

 

歴史を歪めるのは、結局は運がある人物だと思うんです。

薩摩にもいます・・・あり得ないほど変な人が。

 

島津重豪(しまづ しげひで)

・薩摩藩の財政、500万両にも及ぶ膨大な借金。※藩の総収入15万両

・老中広郷は行政改革、農政改革。商人脅迫、借金を無利子で250年の分割払いへ

・広郷は密貿易、砂糖の専売制など改革。汚れ役だが彼なしでは薩摩はない

・最終的には100万両を超える非常用積立金が藩庫に収められた。幕末に役立つ

 

重豪は・・

32年の長きにわたって藩主の座にあって藩政を独占

贅沢三昧をして藩の財政を破綻させる。桜島も噴火で散々

愚君の評価を下す人が多い

 

しかし型破りの殿様の「無茶」こそが・・・

西洋文化に造詣が深く、蘭学に大変な興味を示し、自ら長崎のオランダ商館に出向

藩校・造士館や演武館を設立し、教育の普及

明時館(天文館)を設立し、暦学や天文学の研究

医療技術の養成、医学院を設立

曾孫の斉彬の才能を高く評価、斉彬とともにシーボルトと会見

当時の西洋の情況を聞く。彼はローマ字を書き、オランダ語を話す

「蘭癖大名」と呼ばれる

 

幼少時にその教えを受けた斉彬は重豪の教養を基盤として集成館事業を興す

※反射炉の建設や軍艦の製造へ

 

島津重豪の藩政下

・当時薩摩藩の人口のおよそ4分の1が武士。これは全国の武士の1割にあたる

・城下町に収容しきれないという名目で、麓と呼ばれるミニ城下町となる

 ※知覧に行きましたが、武家屋敷は圧巻

・「薩摩の方言や服装は野蛮だ。上方の風俗を見習うべし」上方から遊女を積極

 的に薩摩へ呼ぶ

・徳川11代将軍家斉(いえなり)に自分の娘を嫁がせる

・多くの子供や孫を、有力大名の養子や妻の座へ送り込んでいく

→このことが外様大名島津に権力を与えた

 

明治時代の「廃藩置県」を機に返済はストップ。事実上「200年以上ふみ倒し」

島津重豪という、異分子があってこその薩摩藩の歴史ですね。(^O^)

 

「薩摩に暗君なし」この後の系譜はこうです

島津斉興 → 島津斉彬 → 島津久光

 

時間がなくなりました。配信日の朝、書いているもので。

 

西郷どん、次回は跳ねて欲しいですね。

 

これらのデーターはネットや、書籍から得たモノです。

裏付けはまったくありません。

そこのところ、よろしくお願いします。

今日はこんなところです。

 

2018年今年もよろしくお願いします。

 

2017年12月25日

鷹揚(おうよう)は人柄

ネタ帳ラボ!一期一会

おはようございます。クレストデジタルズ渡部です。

クリスマスの週末あたりを、年の瀬と誰がよんだのだろう。瀬戸際という言葉、瀬戸内海、何かしら狭そうな場所で、押し迫った感じ。さて、2017年のメルマガも最終回です。

その年の瀬に実家にいると、ピンポンと玄関のチャイムが鳴った。

「こんにちは、研ぎ屋です」

と、70代半ばくらいの笑顔のおっちゃんがやってきた。

「おふくろ外出してるんですよ」

と伝えると、

「いつも年末来てるんよ、また来ます」

と、ちょいと帽子をあげながら、にこっと笑って、一秒ほどの好印象を確かに残して、足早に去っていった。

家に帰ってきたおふくろに、

「包丁の研ぎ屋さんが来たよ」と告げると、

「あのオジサン毎年来るのよね」とおふくろが言う。

「いくらなの?研ぎ賃て」と僕は下世話なことをきく。

「300円よ」と、おふくろがニッコリ答えて熱いお茶をすする。

「安っ!年末ボランティア的にやっているのかな?」

「ちゃんとお小遣い稼ぎなのよ、もう10年くらい来てるんよ、毎年の年末の風物詩みたいなもの」とおふくろが、当確印をつけて応える。

「お小遣いかせぎってなんでわかるの?」

「野菜をいつも売りに来るK西のお祖母ちゃんいるじゃない。春になるといつも食卓にのる、春キャベツが美味しい、あのおばあちゃんよ、覚えてる?」

「えっ、もう90歳過ぎてるでしょう、まだ売りにくるの」

「旦那さんが亡くなって野菜つくらなくなったのよ、だからK西さんもう行商をやめるのかなって思ってたら、初夏には庭のイチジクをもいで、秋には庭の柿をつんで売りに来るのよね。100円とかそういう値段なんだけどね。その100円で缶コーヒー飲んだらうまいんだって・・・」

うーーーん。どこかしら奇妙だが、面白い!昭和の風景だ。

もう40年近く野菜を売りに来てるらしい「なんとたくましい」ではないですか。そして、おふくろも買わなくてもいい野菜をそれは何十回も買っていたものです。まさか、庭のイチジクまで食べることになるとはね・・(笑)

富山の薬売りの人も40年くらい春、秋と来ていたのですが、いつもうちの玄関で自前のお弁当を食べるんですよね。もうそろそろ、薬売りのおじちゃんが来るねと母もいつも美味しいお茶を用意してたものです。いつのまにか、そんな温かい関係ができてしまうのがおふくろです。

ひと言で言えばおふくろは「鷹揚(おうよう)」なんですよね。ゆったりとして、せこせこしない、ちょいと上品に楽しんでいる。たぶん、野菜を買わなかったことはなかったと思います。(笑)

人生は無駄づかいや、無駄なお付合いであふれている。いや、ほとんどが無駄なことで、できちょる。全ては出会いの中にある。

小学校四年生の時に父親がなくなり、母は高校卒業まで家の家事をやっていた。おふくろの兄貴は、結婚するまで文句ひとつ言わず、畑仕事を手伝って。高校をでて農家を継承した。僕はそのおじちゃんが怒ったのを一度も見たことがない。奥さんも見たことがないそうだ。

誰が教えたわけでもなく、人が困っているときに、自分の一杯のミルクを差し出すような美しさを持てたらなと思う。そういう大切なことは、家庭の中でしか身につかないんだろうね、自然と身につけるのは家族の才能だと思う。

2017年お疲れ様でした。

来年は1月中旬から、再びメルマガスタートです

皆様、よいお年を・・・(^O^)

今日はこんなところです。

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