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2016年5月23日

お守りを信じるのも才能

ネタ帳ラボ!一期一会

初夏を感じさせる夏の光が、キラリまぶしい五月!そんな夏へのグラディエーションを浴びながら、8回目のお遍路まわりへ阿波路旅。19番札所立江寺、18番恩山寺、17番井戸寺、16番観音寺、15番国分寺、14番常楽寺、13番大日寺と7ヵ寺を巡礼。

旅というのは、内蔵と内蔵がふれあうような、感動増幅装置を搭載している。停滞感、閉塞感、理不尽などを抱えていることが装置稼働オンのきっかけになるかも知れない。そのボタンは無意識のなかにあるような気がしている。

ある夏の夜。自分が主人公でミッションインポッシブルの主役を演じる夢を見る。オレは本編とは全然違うミッションがあたえられ、主人公になり、時に想像を絶する失敗をして朽ち果てる。そのストーリーは自分が意識してつくったものではないんだ、無意識に脳がなにか時空をゆがめたように演出してくれる。なぜか、マブイ女とのラブシーンはない(笑)ここで不思議なのは主人公なるオレは、流暢な英語や、フランス語を話していないことだ。不思議か、不思議じゃないだろ。すべては夢は過去の貯蓄のミラクルな組み合わせじゃないの?これって?無意識というのは人知が及ばない世界。それを脳は勝手に組み合わせてくれる、鍛えれば無意識が、いいメロディを奏でてくれる。禅の世界なのかな・・・。

人生は、無駄な金と、無駄な時間でできている。そのくだらないモノだけが、無意識に振り子の幅をでかくするようだ。

しかし、あまりにも平和すぎる、このお遍路の旅でボクはそんなモノに少しでも出会えるだろうか。お遍路ってなんなんだろう。まあ、それでもきっと100年プリントに出会えるだろうと思えるのは、お遍路に飽きてないという純粋な気持ちだ。恋も飽きる、夫婦関係も飽きる(爆)オレは、お遍路に飽きてないのだ、確かに。(^O^)消化試合のお遍路だけにはしない。

さて、18番恩山寺で摺袈裟(すりげさ)という、四国八十八カ所の中でも隠れたお守りを買いました。皆さんは、宗教やお守りを信じますでしょうか?このお守りを見つめながら考えるんですが、お守りを信じるのは、才能。信じないのも、才能。

人見知りなども、自分の才能だと思えば力強く才能になるんじゃない。

人見知りは、引っ込み思案で、社交性がないとか、長いものにまかれるとか、そんな傾向を言われる。逆に言えば他人への観察力があるから、嫌われるようなことも呑みこむことができる。

人見知り君の想像の翼は、こう言ったら相手が喜ぶということも、無意識のうちにきっと想像できているんだ。何度も、何度も自分に浴びせられた嫌な気持ち。過去の記憶も含めて、才能なのだ。モテない男やモテない女は謙虚という毒薬をいつまで飲んでいるのだろうか、謙虚というのは褒めてもらいたいための裏返しじゃないの。謙虚は、生ゴミのようになかなか捨てられない。たまには捨てちゃえ。(笑)もう、すでに謙虚なんだから。もうオレの謙虚は、箸にも棒にもかからない時があるのは間違いない。(笑)

夏目漱石は「愛嬌というのはね、自分より強いものを倒す柔らかい武器だよ」と、いった。謙虚も武器にすると才能になる。

さて、日曜日は親父の49日で親戚が集まりました。
いろいろ寄り添いあったこの何年かは、家族ということを考えさせられる大事な日々でした。会話ができなくなっても、毎日病院に通う母を見ながら、夫婦の本当の愛を少しばかり勉強させられました。今日喪が明けて、足下に再びスタートラインを引いて、スタートです。

久しぶりに自転車を倉庫からだして、ブレーキなどを全部新しくして、ペダルをまわす。夏に向かう風は、自分がとかく伏目勝ちになっていた気分を変えてくれる。

荒野を駆け抜けなければ(^O^)

2016年5月16日

オレたちは荒野であの「ハッピーターン」を探す

ネタ帳ラボ!一期一会

最近、めっきり興奮することが少ない。(笑)世の中もそんな気がする。

先週で考えると錦織圭の放埒なテニスだけが、興奮の種だった。彼はジョコビッチとのイタリア国際で途中から、邪気を放ちながら、赤鬼となり怒りを少しばかりむき出しにしてきた。その瞬間に何かが膨らんでいくのがわかった。

さて、オレのばあちゃんは明治の人だった。小学1年生の夏休みに泊まりにいった。

その1日は今でも鮮明に覚えている。お竈(くど)でご飯を炊く。小斧で木材を細かくするのを手伝った、乾燥した松葉をいれて、徐々に火をおこしていくことに子供のオレの脳はチンパンジーのように興味を示した。人類というのは、この火を使い、料理を加工し、料理を開拓した。獣達が狩りをして、そのまま生肉を食べるのとは根本的に異なる。火を使うことが人間を人間にしたのだ。なにせ衛生的だ。いつでも料理できて、最大のメリットは栄養というエネルギーがとれたことだ。おまけに暖もとることができる。

親父は入院中、誤嚥肺炎になって栄養を点滴でとりだしてから、こちらがしゃべる言葉がわからなくなっていった。その時思ったんだ、噛んで食べるということが、どれだけ大事かということを。咀嚼(そしゃく)することで顎が鍛えられ、脳も刺激され、声帯が発達して言葉をしゃべれるようになったのだろう。くだらない仮説だが、チンパンジーに火を使うことを教えられたら、何万年後には人類が誕生するかも知れないというのは大胆すぎるだろうか?

今はご飯を炊くのは20分もあれば、早炊きでご飯がたける。便利になりすぎた、電子レンジ、冷凍食品、だしのもと、時短料理のオンパレード。そこで産み出された時間というゆとりで、人はテレビをみて、スマホに向かいあい、自分と向かい合うことを忘れている。興奮が身の回りにないと、自分で打ち上げ花火を発射するのは無理だ。発射台に打ち上げ花火を載せてる人はどうやらすくない。

さてさて、アダムとイブが禁断の果実を食べて、いわゆる無垢から意識をもつようになり、局部を隠すようになった。恥じらいという、自意識の目覚め。今日はくだらないことを書くけど、ホモ・サピエンスは、偶然にも必然にもワインをつくったのではないだろうかと仮説をたてる。(笑)ある種族では、ワインを秘伝の方法でつくることができた。その種族は体格が一回りも、二回りも大きかった。ワインの効能のポリフェノールが、老廃物の排出、ピロリ菌の退治、老化防止、骨格の構築の効果を生みだした。肉食とワインにより脳が発達した、それがホモ・サピエンス。ワインは人を饒舌にし、会話を加速させた。

動物たちのセックスはOPENで、親さえ誰だかわからないが。脳が発達したホモ・サピエンスは一緒に食事をしワインのもたらす高揚感は人と人を近づけた。セックスした相手を好きになった、光源氏現象だ。(笑)たぶん、ワインによりセックス時に何らかの惚れ薬のような分泌液ホルモンが放出され、それは愛情のようなもので、あるときは母乳を通じて伝わり赤ちゃんにも愛情ホルモンがゆきわたった。この予想の大事なところは、セックスが先だということだ。セックスにより惚れ薬ホルモンが受けわたされたのだ(笑)今でも見られる・・。

20世紀のアダムとイブ、ジョンレノンとオノヨウコは語った「人間の大半は土曜の夜に、ウイスキーのボトルを、空けた勢いで産まれてくんだよ」と。新しい求愛として音楽が誕生した。時が変遷すれば、脳は派生して変化し、パブロフの犬のように、鈴が鳴ることでよだれが出るようになった。セックスする前に、セックスを感じるようになり、言い換えれば、思い込みで相手を好きになれた。近年ではセックスは何度か会ってワインを飲んで、相手を値踏みしてからというようになってしまった。その先は、もっとひどいが長くなるので割愛。(笑)

そして、オレは思う。高度な高齢化社会になってきて、大事なのは。「セックスより(・・・と同等)興奮できるモノ」を見つけておかなければ、ならないということ。小さな塊でもいい、錦織圭のテニスか、読書か、ワインにこだわるか、宮沢りえの「サンタフェ」を古本屋で探すか、再び「カミカミするめ」という伝説の一物を探すしかない。俺たちは荒野を歩いているのだ、そして荒野の思考を今試されているのだ。

最後に明治のばーちゃんの話をしたい。それはオレたち3人兄弟がばあちゃんと会話していた時のことだ、ばーちゃんは「ハッピーターン」というお菓子が好きだった。「ハッピーターンおたべ」とおばあちゃんに勧められた。妹がおなか一杯だったので、「お腹いっぱいなので、ばあちゃん食べて」と答えた。オレたちのまえに置かれた「ハッピーターン」は寂しく凍り付いた。

すると、おばあちゃんの顔色が明らかに変わって鬼婆になった、「なんで美味しいのにハッピーターン食べんのよ」と、言うなり。右手を振り上げた。そして、「ちはやぶる」ではないが、百人一首で当確のカルタを見つけたように、その手を振り下ろし、「ハッピーターンおいしいのよ」と言いながら、カルタ(ハッピーターン)を右手でたたき込み、ハッピーターンに一撃を加え、彼は横に跳んだ。おびえるオレたち兄弟の目線の先には、障子を突き抜けた軌跡があった。

いまでもその光景に、オレたちは興奮を押えられないのだ。(笑)まさに、ハッピーターンである。

英語名をハッピーターン(英名:Happy Taaaaaan)という。このお菓子にまぶされた、合法麻薬は人をかえてしまうようだ。表面だけ舐めるという種族も見受けられる。一度摂取すると、もう後戻りできない(笑)

このメルマガを読んで、あなたが今日コンビニでこの「ハッピーターン」を見つければ、買わなくてもいい、必ず一度手に取ってみてほしい。そこには、人間の脳の煩悩を見ることができるだろう。(笑)

2016年5月9日

猫ひろし、カンボジア代表についてコラム

ネタ帳ラボ!一期一会

今日は朝4時に起きてオフィスへ。しんしんとするオフィスに、サーバーの安静な
吐息が。早起きは16文キック気持ちいいものです。

今日のメルマガ何を書こうかなと、YAHOO!のトップニュースを見ると面白記事が、

「猫ひろし、カンボジア五輪代表選考会で優勝…五輪条件揃った!最終結論待ち」

”カンボジア国籍を取得し、同国代表として今夏のリオデジャネイロ五輪出場を目指している、タレント・猫ひろしが8日、カンボジアで行われた、リオ五輪の「カンボジア代表選考大会」のマラソン競技で優勝した。(デイリースポーツ)”カンボジア国籍を取得し、2月にはカンボジア代表として東京マラソンに出場し、カンボジア人選手としてシーズン最高タイム(2時間34分)も記録しでいるとのこと。

ボクはこんな「猫ひろし」好きだなとか考えていた。日本では到底マラソン代表は無理で、カンボジアでなど・・それは邪道で出鱈目なゲスの考えることと批判する人もいるだろう。昔なら「それでも侍の子か」と声を上げるだろう。さりとて、さりとてだよ、男としてオリンピックを走りたいという願望は、ただならない葛藤なんだろうことは誰しもが察しがつく。人がいとも簡単にあらゆることに、投げやりになるのに比べれば、なんと強情で意地っ張りな男だと思いながらも、自分の才能を最大限に発揮し、血路を開いていくこの男を、なぜか恥ずかしいとは言えない。すくなくとも、僕は好きだ。

そして、4年前のロンドンオリンピックは 国際陸上競技連盟が国籍取得が性急すぎて「参加資格なし」と判断したらしいが、それから4年という時間は彼を許すだろうか?彼はこの4年間人に優しくなれただろうか?彼がもし、カンボジア代表になればそれは間違った幸福と人は言うのだろうか?

どうもゴールデンウィークに五木寛之先生の「親鸞」の長編を6巻読んだので、眠っていた細胞が変に自分の中でスパークしたようだ。(笑)どうもなんでも深掘りせずにはいられない性分が蘇ってくる。吉田松陰先生は明治維新の震源地で「万巻の書」、つまり1万冊の書を読めと言っている。獄中の4年間で1460冊の書物を読んだという記録があるらしい。つまり1日1冊、しかも抄録といって要点を書き出しながら読むというのが松陰先生の心を鍛える読書術。

 あわせて講孟箚記(こうもうさっき)という松蔭本もGWに手にとった。この本は獄中での松陰先生の講義の内容。なんだこれは、読めば読むほど頭のさきが混乱でいたくなってくるではないか。とてつもない24歳の化け物を見てしまった。黒船に乗り込んだあと江戸伝馬町の獄、長州の野山獄、幽閉された松下村塾でこの1000ページにも及ぶ講義をしたというのか。放たれる熱量は抜き差しならない。ひとり、自分の心を焦がしながら、日本を憂いながら・・。この本は松陰先生の香りが伝わってくる。と、同時にこの松陰を教育した。叔父、玉木文之助という、狂気じみた存在が気になってしょうがない。

 それにしても・・・読みにくい、噛みにくい。妖怪みたいな本だ。(笑)イントロ程度ですすまない。

 さぁて、本日GWあけ。

 土曜日マイブームのトットてれびをみながら、向田邦子さんが予知的に登場するシーンの美しさにドキッとする。ミムラさんという俳優らしい。向田邦子さんは無名の頃3ヶ月のサラリーを1枚の水着にかえたというのを、何かの本で読んだことがある。それだけで、彼女の何かしらかのこだわりがつたわってくる。そして、「花咲かじいさん」とか、「かちかちやま」とか、おとぎ話に登場するのは、おじいさんと、おばあさんそれに赤ちゃんだという。ロマンスがない。なるほど、さすが家族ものを書かせたらNO.1の女流作家の視点は面白い。

 これからドラマでどんな感じで、黒柳徹子さんとドラマにからんでくるのか楽しみ。夏頃、鹿児島の近代文学館に彼女の息づかいを感じに行きたいなと思っています。

 「今日の読書こそ、真の学問である。」松蔭

 今日は、こんなところです。

2016年4月25日

厄払いで全国に有名な23番札所薬王寺にて

ネタ帳ラボ!一期一会

オフィス前の花水木通りの5月のハナミズキの淡いピンクは、洗濯機に洗われた空をバックにすれば、ふんわりとして心に安らぎという変化をあたえてくれる。桜の花の葉桜の姿より、葉姿のハナミズキが一段と美しいのはなぜなんだろう?そんなことをふと考えた。

出会いと別れの季節をつげる「桜」は、純真無垢に咲き、盛者必衰の儚さを奏でるように、それはそれは見事に舞踏し散りさっていく。その散り様はいかにも日本人の死生観を投影しているようで、この花を見るたびに桜JAPANを連想させてくれる。そして、ハナミズキという日本産リカちゃん人形に対抗して、登場したバービー人形のようなこの花は、アメリカからやってきたらしくファッショナブルであり、街路樹ともなれば、自信に満ちあふれたようなエネルギーでランウェイをつくる。

一年に一度、この二つの花の共演の連続は、安心してみていられる、心の平穏と必然の法則をおしえてくれ、くだらない見栄や欲など捨て去り、あるがままにと語りかけてくれる。

さて、そんな仏教僧のようなことを書き綴りながらも、頭の中は煩悩の塊である。頭の中は「セーヌ川公園で芸術的にキスするカップル」をいつも思いだし、野心的なオスを生きている。セーヌ川のキスより、興奮するモノがないと男はアウトだと言い聞かせながら・・・。

そしてさて、お遍路逆打。バスは、逆打の御利益効果の宣伝が行き届いたように満員でござり、なんとも女性の参加が多いこと。トラベリングバスは23番札所薬王寺へ。「発心の道場」といわれる阿波最後の霊場、お大師様が42歳の厄除のため薬師如来像を刻み、伽藍(がらん)を建立して安置した縁起があり、全国でも有名なお寺らしい。

お遍路ではご本尊様が、薬師如来のお寺が多いんですよね。昔のお医者さんとでもいいましょうか、古来から病気治癒や除病安楽などで巡礼されるかたが、すがるように光をもとめて来られたんでしょうね。なるほど、「おなつかしゅうございます」という境内の空気がしみこんでます。

巡礼をおえて山門で一礼をしているときに、酸素吸入器をつけたご老人を寝台にのせ家族が囲むように祈ってらっしゃる姿に出会った。「人は死んでいくのだ」、かけがいのない人生の一瞬を記憶にとどめなら・・。家族が父を見送ってあるく長い長い慈愛の一本道がそこにみえました。

ところで、ちぃっくと厄払いの薬王寺で思ったのです。生老病死、災難というのは、ひとを立ち往生させ、ため息をつかせ、あまりにも無常であるということ。そして、それを断ち切るために、現世利益をもとめている人が切実に多いこと。報われたいのだ、どうか、この人生の辻褄をあわせてくれと大勢来ているのだ。(^^;)

しかし、お賽銭は15円(5円玉3枚で十分ご縁)なのが、なりませぬ。

パチンコでは投入機に1万円を無心でいれるくせに、浄財のお賽銭箱にはなんと、みみっちい、しみったれた、けちくさい金額しか入れないモノか。なぜ、できないのか?お前はポンコツか(笑)と自分をなじる。

実は、先日、倫理法人会の講演で、会社の会長が 数十万円を地元の神社に「地元の街が平和でありますように」とお賽銭にいれた話をきいた。音がしない、賽銭というのはイイモノだと実感した。そこで早速実行に移した。普通では面白くないと、薬王寺では、お賽銭を巾着袋に満タンにして、水戸泉のようにわしづかみして、丁寧に音をおさえて賽銭箱にながしこんだ。

「世の中が平和になりますように」と・・・通常ではありえないことを祈願した。(笑)そして、家族の人数分の厄払いのお守りを買いもとめた。

家に戻ると、息子が柔道でいつも優勢負けする、宿敵に勝ち優勝したという。高校生活で初めて勝った、しかも1本で。さすが薬王寺の厄払い!即実践、信じるモノは救われる。(笑)

しかし、なりませぬなこともあった。今日は玄関の履き物が乱れまくっていた。

当家では、息子に毎日履き物を揃えることを課している、やっとこれが定着してきた。「家に帰るとね、履き物がそろっているんでめちゃ気分がいい」、と息子をよいしょしながら始まったこの儀式。最初はそろうと500円を払い飼い慣らしていたんですが・・。(^^;) 今日はダメ。「勝って兜の緒を締めよ」と唇のさきまででかかったが、「そのくち閉じよ」と天から声がしてなにも語らず・・・まだまだ未熟やな・・・「太か男になれ」と念じながら、自分で履き物をそろえ、息子の履き物だけをあきらかにわかるように真ん中に置いて(笑)、父は荒野に眠るのでありました。※当家はマンションです。(笑)

2016年4月18日

「私」が「私」であるために

ネタ帳ラボ!一期一会

おはようございます。クレストデジタルズ渡部です。

深夜に緊急地震速報を伝える、スマホのアラームが鳴った。(松山市、震度4)すぐさま、枕元のSONYのラジオに手を伸ばす。1秒で起動し「強い揺れに警戒してください」と甲高い声がきこえる。アナウンサーは冷静さを保ちながら、汗ばんだように原稿を読んでいる。

熊本、阿蘇と中央構造線状で地震が起きているので、愛媛もあぶないかもと、朝までラジオをつけていた。スマホには甲高いチロリン・チロリンのアラームが何度も届き、被害の大きさがだんだん伝わるたびに、寝れなくなった。

「あきらめないでください、必ず助けは来ます」のアナウンサーの呼びかけ、朝まで、暗闇の中でラジオをつけながらボクは布団でもがきながらすごした。

朝になり、もやもやをかき消すように、スタバにコーヒーを飲みに行く。店内にはボクしかいない。「決して、諦めないでください」という言葉が、まだ、頭をぐるぐる廻っていた。砂漠のような荒野で飲んだような珈琲の苦みで、思考停止から救済されたような気分になる。怠け者に用意されたような、お膳立ての珈琲味がしみている。

人間というのは「言葉」に敏感だ。

病院で病名でも伝えられたとたんに、エネルギーが吸い取られたように元気が無くなる。告知というのは本当にいいのだろうか?「手術前に成功の確率は・・」などと告げられると寿命が短くなるような気分になるのではないだろうか。「私」が「私」でなくなり、厄介なことになる人の方が、多い気がする。

スマホに向き合う時間が圧倒的に増えている。

自分に向き合う時間は着実に減っている。

SNSで言葉があふれかえり、LINEで既読になっても返事が来ないとイライラするらしい。もうこれはマスターベーション覚えたての猿みたいなものだ。(笑)便利になった副作用はおそろしいもので、「私」が「私」でなくなっていく。

地震が起きると、様々なイベントプロモーションが横並びで自粛されている。サッカー日本代表FWの本田圭佑選手(ACミラン)は「様々な分野で自粛のニュースを目にしますが、僕は自粛するのは間違ってると思います」「僕にできることは微力で何もありませんが、日本人としてイタリアからただただ気にしてます。心配してます。応援してます」とコメント。その上で「こういう時だからこそ、各々(おのおの)に与えられた役割を行動に移すことが求められているんじゃないでしょうか」と訴えた。

安全圏内にほめられるものを求めたりする世の中で、本田選手の言葉は力強い。誰しも、こんな気持ちを持っているのだけど、「私」が「私」を殺してしまっているのだ。「抑圧された自分」「とりあえず横並びスタイル」、どうしちまったんだ?時代や環境に流されて。「自分で決める」という「私」が成仏して、背後霊になっているんじゃないか。

その日地震報道をつたえたNHK ニュース7。最後にNHKの高瀬アナが疲れた顔をきりっとさせて、「避難所のみなさん」と呼びかけた。

「避難所の皆さん、お年寄りで、一人でいる方に声をかけてあげてください、お子さんがうるさいので、外にいるお母さんにも声をかけてあげてください。みんなで声をかけあって、どうか今夜を乗り切ってください」

いい言葉だな・・・と、言葉の呪力のようなものを感じた。

「私」が「私」であるために・・。

がまんならない、こらえられない、伝えたい、背後霊をたたきのめしてしまえ。冬眠してしまった、「あなたが捨てた私」が本来の私ではないのか。

 今日は、こんなところです。

2016年3月31日

愛媛新聞の見出し「ファン 大きな肩すかし」白鵬優勝

ネタ帳ラボ!一期一会

国技大相撲、千秋楽で白鵬優勝

愛媛新聞の見出し「ファン 大きな肩すかし」満員館内 拍手ほぼなく

僕が相撲を見たのは人生で1回しかない。2008年1月場所。朝青龍がケガをおして出場し、勝利を重ね、好成績で千秋楽を向かえていた。 「白鵬 vs 朝青龍 千秋楽相星決戦」、モンゴルの日本滞在の富裕層で湧いていた。チケット待ちで数百人の列ができ、会場も当然満員御礼で、会場は高ぶっていた。

親友はいつも娯楽を招待で手配してくれた。彼と一緒に行くといつもドラマがおきる。西武の試合を見に行けば、秋山選手のバク転を見ることができたり、山下達郎さんのコンサートを大阪で最前列で観て、達郎さんに会話で僕がいじられたり(笑)人生の中でも・・・不思議なことがおきる。今日もそんな予感がすると2人で話していた。

枡席で見るのは狭そうでつらいなーと思っていたら、用意されていた4人掛けのなんとテーブルという特等席。お茶屋さんのご案内が付いて、お弁当やおみあげも4人分用意されていた。それを2人で見るのだから、取組表をみながら大名気分の観戦となる。

冷え切った焼鳥の串2008は、それでも味わいが深くうまい。滾るような熱気でビールが喉にグッとくる。千秋楽の大一番を見に来た観客は潮合いを同じくし、千秋楽終盤へ向かっている。「相撲あなどるなかれ」そんなきもちが渦々とし、ボルテージは高鳴る。男は女以外にも、興奮することを久しぶりに感じる。

千秋楽には三役そろい踏みがある。土俵が丁寧に清められ。背中におなじみの「なとり」と書いた前行司が、東西を呼び出し、おなじみの「東方三役そろい踏み・・・」とアナウンスが間髪入れずはいる。思いのほか勢いのある四股に魅了される。

残り三番、バスケットでいえば残り時間をオールコートマンツーマン。サッカーでいえばディフェンダーがバックラインを魂で押し上げる時間帯、濃厚が織りなすゾーンへ突入する。

懸賞の目つぶしのような派手さの行列が延々とつづき、それを数えている人が何人もいる、それが日本人だ。

観客は前傾姿勢をとり、「この一戦何か起こりそう」な兆候を、鼻息荒く感じているようだ。

千秋楽結びの一番。とき満ちる。蹲踞で一息入れて、立ち会いでスパークした。力漲る、力と力のぶつかり合い。グッグッと腰を下ろし、意地と意地がぶつかり合う。闘いが一呼吸おかれると、歓声はたちあがる。血沸き立ち、長老も青年のように意気軒昂する。一秒一秒に熱を放つ闘い!そして白鵬は、人気抜群の朝青龍を打ち破った。

「すごいものをみてしまった、ありがとう」

と、友達と握手していた。今回も二人だけの時間にミラクルは降りてきた。

館内に乱舞する座布団は、「堪能を籠めた」大衆のご褒美のように思えた。

大衆はこの世ならざるをみて、千秋楽を確かに実感できた。

僕たちは、その余熱の勢いのまま「六本木に」繰りだした。

横綱、次は頼みます。

2016年3月22日

「やっぱり結婚式は苦手だ」

ネタ帳ラボ!一期一会

おかしな話かもしれません。ボクは、結婚式に参加するのは苦手だ。いや、嫌いなのだ。
  
なぜか?というと、馴れあいという空気が蔓延し、予定調和がはびこっているから。新郎や新婦が勤務する会社の上司には的確に招待状をだす、内輪受けのイベント。披露宴では上司は飾り言葉スピーチで祝福をならべ、地位が高い有力者をセレモニーの格付けをあげるように配置させ、その挨拶の、妙に手慣れたたとえ話など聴くと、今は窒息しそうになってきた。(笑)
  
セレモニー的な挨拶は、登場人物が変われど、それぞれが言葉を操っているようで、自分の言葉に酔い、論を重ねていくほど、偽善の香と、論理矛盾が膨らむ。本人は気づいてない(笑)結句、この人は新郎新婦とそんなに深い関係じゃないな・・などという疑念が湧く。(汗)仲人などがいて、二人を紹介すると、日本作り話さながらの経歴詐称が確信犯の手で、美談にすりかえらる。それをまっとうに信じているのは、奇妙な光景で、妖怪の城にでもいる気分だ。
  
これは、自分がいろいろなセレモニーに出てきた経験の多さのせいかもしれない。オーバフロー現象。忘年会、新年会、クリスマス会、〇〇会の講演の後の飲み会、もうお腹が満腹だ。日本という社会で、人間関係をうまくやる、手っ取り早い方法は、偽善以外にはありえない、と思う。それが情けない。プロジェクトの打ち上げみたいなのをやろうよ。それも、一瞬遅からず、早からずの絶妙のタイミングで・・。そんな酒は大歓迎だ。
  
もう教育から腐っている。幼稚園ではランドセルを待ち焦がれている幼児にこんな歌をうたわせる。「一年生になったら、一年生になったら、友達100人できるかな」。できるわけないやろ(笑)社会は嫉妬で作り上げられ、人はそれで苦しみ、大好きな人に少しでも裏切られたら、攻撃に転じるのはよくある話。妬む、妬む・・・それは、それは、泉が湧き出るほどに(笑)
  
さて、さて、さて、そんな私が昨日は”いとこ”の結婚式に参加。(爆)
 
案内状がきてびっくり、高浜観光港であるという。新ターミナルができた時に、ちょくちょく、ここから大分まで関西汽船を利用した私は・・・こんなとこで結婚式があったら願い下げだ、と思っていたが・・現実は突如やってくる。(笑)なにせ、通常の結婚式場に行くのに比べても、往復1時間は余分にかかるロケーション、くらくらする。
  
結婚式当日、雲一つない天色の青い空がひろがる。天色(あまいろ)というのは、日本色の伝統色の呼び名で、そんな呼び名は化石のようではあるが、どうだろうスカイブルーなどという、ちんけな呼び名より、伝統と格式があるんでは。高島屋の前で、新郎のバスに乗車。親戚一同と久しぶりに御対面する、たまにあう親戚というのは好きだ・・・なにせ共に歩んだ歴史がある。色でいえば青碧(せきへき)だろうか、苔が緑に向かう前、青みがのこるような、感じ。だが本来なら、その場を支配し、長年仕切っていた親父がいるのだが、今はベットの上なのが残念だ。
  
チャペルでの結婚式はウエディングプランナーが、牧師の言葉までコントロールしたくらいに短く構成され、式場はバイキングで堅苦しくない。仲人もなく、セレモニーは短く、堅苦しいあいさつもなく、生バンドよろしく、結婚式終了間際には、ビデオでその風景が流されるという・・今様の結婚式で、よく練られていた。
  
いとこの2回目の結婚式なので、乾いた空気感があり、それを十分に察知している共にアラフォーのカップルの余裕のなせる折り合い感がよかった。奥様も綺麗なかたで安心した。ぜひ、北条政子のように、尻に敷いておいてほしいと願うばかりだ。
  
式場の側面は、ガラス張りであった。そとのウッドデッキで久々にみた瀬戸内海の凪をみながら、親戚の外国航路をのっていた船長のおじさんの息子が「こんな凪、めったにないですよ」、と右斜め45度から声をかけた。彼は今、親父の跡を、おうように豊後水道にスクリューの軌跡を描いている。20歳の頃、親戚の集まりであったから、もう時は15年以上流れていた。二人で、サンセットをみつめながら会話していると親父の話になった。「君の夢はなんだ・・」そう親父に問い詰められたらしい。それは、鮮明な記憶であるようだった。そんな彼に、今まで疎遠になっていたけど、いろいろおつきあいしてほしいですと、真顔で頼まれた。
  
You are welcome! 新しい絆ができた。
  
結婚式が終わり、東京の仲むつまじいおじさん夫婦と、弟と4人でJALホテルで、ワインを飲んだ。昔話に話が咲くと思いきや、旅行話から日本の歴史の話しになった。飛鳥時代からはじまり、天智天皇から天武天皇の話、平安時代から、鎌倉仏教まで、こんなに話せる夫婦と久しぶりの歴史談義だった。行基知っています?というと・・バンバン答えが返ってくるという具合で、傍らの弟は呆気にとられ、兄貴の歴史バカを初めて覗いたようだった。(笑)奥様とは「親鸞」を最後まで読みましょうねと約束。(お互い激動編をよんだところ)おじちゃんとは、さらなる日本の歴史話を次回はしようと、男約束をした。
 
あーメルマガを書きながら、まだ二日酔い気分だ。
 
久しぶりの結婚式だった。でも・・・やっぱり結婚式は苦手だ。(笑)
 

歴史トークの方が楽しかった。
 

2016年3月14日

「人は見た目が9割」

ネタ帳ラボ!一期一会

某紳士服のメーカーの講師の先生の講話。「人は見た目が9割」ですというオープニングトークは強烈にインコースをえぐり込んだ。だいたい50も過ぎると、毎日鏡を見るのもおっくうで、オレなどは全身が映り込んだ鏡をみたら、頭の中にあのイタリアのナポリ民謡”ナンタルチーア、ナンタルチーア”がいつも流れてくる。(笑)
 
 
朝顔を洗うときに、洗面台を見てもメガネをかけずに近視でぼけているのがちょうどいい。「劣等感は人を育てる」などと、昨日読んだ五木寛之さんのフレーズが頭をよぎるが、なぐさめ程度に湿る程度・・・。
 
 
「人は見た目が9割」、誰でも幼少時代に、だいたいがクラスの悪ガキにとんでもないあだ名をつけられる。テレビ番組が影響していた。妖怪人間ベムというアニメで場人物のベム、ベラ、ベロとか、映画の影響でゾンビとか、プロレスの影響でブッチャーとか。受け取る方は「化け物」といわれているのだから・・残酷の極みの心境になる。特に名付けられ女子は、立ち上がれないほど追い込まれ、心ない言葉に、行き場のない怒りを積もらせていく。オレも王選手がすきでファーストミットを買ってもらって、一本足打法を真似てたので「ワンちゃん」と呼ばれていたことがあったけど、いじめっこ番長がつけたあだ名は「ボロ犬」だった、まあ、呼ぶのはそいつだけど、気分は最悪だった。
 
 
実は「人は見た目が9割」というのは、本のタイトルで、なんと100万部を越えるベストセラーになった。中身は醜男・醜女の変身方法というのでなく、漫画の事ばかり書いている本で、多少は心理学にふれているけれど、それは予定調和、織り込み済みの世界でしかない。果たして、今日メルマガをみていただいている方も、タイトルに巻き込まれた人もいたかな(笑)
 
 
いかに「本のタイトル」が大事だと言うこともいえる話だけど、「人は見た目を気にしている人が9割」はいるのでしょう・・。年をとると、「若く見られたい」に関連する商品は体力の限界をしらず、心に鬱積した美醜の魂は、餌に食らいついてしまう。
 
 
ネットの世界では自分のアバターに、毎日のお食事などを発信させたり、小さな幸せを化粧させてみせることで、ささやかな見栄?を満たしてくれている。これが、悪いことでは決してない。世界のネットの書込みの内70%が日本語であり、日本人(世界の人口の2%)は、もういちいち他人に気にしていては生きられない。
 
 
江戸時代の読み書き教育というのは日本に今、力を与えている。流行はネットからうまれチャンスにあふれている。動画でインディズからヒットが産まれる。現実も、ネット世界も境目がわからないほどの勢いで、面倒がみきれない。(笑)オレたちオスは、やがてネットの世界で輝く、メスに食べられてしまうだろう・・。
 
 
ネットSNS世界というのは、刺激面では、創造を絶するほど(笑)のつまらなさで、日本の象徴のようになってきたけど、日本人というのは一定の規律という足枷をはめられ、期限を決められ、そのプレッシャーの中で才能を発揮する生き物であるようで、バカにできない。とくにメスという生物は才能を散らかす。
 
 
例えれば、それはクイックルワイパーだ。持ち手のところが伸びて、先端が曲がり(笑)、なんという発明であろうか。切って使えるスポンジは洗剤いらずで蛇口をぴかぴかにし、初恋ダイエットスリッパで料理をして、この間100均で買った「固いものを切るハサミ」はクレジットカードなどをバサッと切り刻む。菓子袋をもう一回閉じるハンディシーラーは乾電池2個を入れれば、見事に熱で袋を閉じてくれた。これらの力の源はメスにあり、こじつければ「人は見た目が9割」から来ていると言えないでもない。
 
 
面白いことに、某紳士服のメーカーの講師の先生は「人は見た目が9割」「見た目を気にする一番の職業は詐欺師です」と語った。「なるほど、言い得ている」
 
 
詐欺師というのは、巧妙なストーリーを描く。見かけは善人。社交的で、人当たりもいいし、物腰もしなやか。頭の回転が高速・・あーおれも詐欺師の一味。(笑)あなたも?(笑)
 
 
いや、詐欺師という言葉は毒性が強すぎる。「心理トリックに優れた人」とでもいいかえよう。いい表現かも知れない。(^^;)
 
 
今日もエンディングはうまくまとまらない。
 
 
週末に「親鸞」五木寛之を読んだ。お遍路をまわるこの1年は、いろいろと宗教の本を読んでみようかなと・・・。宗教はうさんくささをはらんでいるのが、興味深い。
 
 
お釈迦様は死んだらどうなるかということについて語っていない。無記というそうだ・・・。
 
 
「今あなたの身体に矢が突き刺さって血が流れているのに、この矢がどこから飛んできて、いかなる理由によって発射なんか、と、論議している暇はない」
 
 

2016年3月7日

お遍路土佐路、37番札所岩本寺~34番種間寺へ春を詣でながら

ネタ帳ラボ!一期一会

長ーい、長い水平線を窓越しに遠望しながら、四万十市に僕は向かっている。

高知から四万十市に伸びたハイウェイのこの景色は「なんちゅう、でかい!」太平洋を心の中に投げ込んでくれるんだ、イヤフォンで、密かに今井美樹の「Driveに連れてって」をリピートに設定し、16ビートのリズムに、足で「タッッ・タッッ ・タッッ 」3連のバスドラを叩きながら、ご満悦して旅がはじまる。

DRIVEに連れてって 今すぐに 二人だけの 夢見る ランデヴー

ハンドルを握る 横顔を 横でそっと 見てるのが好き

AH… 想い出のあの曲を聴きながら

気分は20代のあの頃なんだけど、現実はお遍路のバスの中は平均年齢70歳以上の46名の乗客。(^^;)しかも、申年閏年逆打という、12年に一度の御利益3倍の年で・・・空き席が一つもない。このギャップのねじ曲がったような空間、隣の助手席もどきには、広島から一人参加のお遍路さんとお尻愛。ちょっと心が萎えそうになる(笑)

それでも僕は、日常の中に仏教を放り込んだ。

今日の一日は、日常が別回路に繋がっているようだ。回路の接点が仏教というこの組み合わせの妙が、必然的に新しいものを、この”ぼんくら頭”に刺激のパルスを送ってくれる。

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途中、仁淀川のブルーはまだ夜明け前で、あの青春の多感な時期に見たブルーが、夏にこなきゃダメだよと呼んでいる。はっきり申しあげて、夏のギラギラした日差しに溶けるような透明なブルーは、日本の中でも別格だ・・・。ひとはこのブルーを仁淀ブルーと呼ぶ。それに、突き抜ける青空が重なったときが、仁淀ブルーマジックになり、清らかさが幸せに浸らせてくれる。やっぱり、この川は夏が似合う。

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さて、37番札所岩本寺に到着。本堂内陣の格天井画は花鳥風月から人間曼荼羅まで、575枚の絵が天井を彩っている。その美しさに頭を垂れるしかない。参拝がおわると、いきなりの昼食。先達さんが、時期法(漢字があっているかはわかりません)と唱え

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一粒のお米にも万人苦労を思い、

一滴の水にも天地の恩恵を感謝し、

有難くいただきます

 

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と合掌してお昼をいただく。かおり飯であり・・なんともいえないスローボールのチェンジアップみたいなお味なのですが、ダメだ僕には・・・と心がお話ししている。

 

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引き続き36番札所青龍寺へ。明徳義塾高校が近くにある。あの朝青龍の名前はこのお寺に由来するらしい。由縁をお寺の人にきいたら「勝手に名のった」とのことで、なんとも朝青龍らしい(1月場所優勝した琴奨菊も明徳義塾)。 相撲部が鍛錬した170の階段は、一気に登ると、息が暴走モードになるほどだ。段をおりてホッとすると、登りでは感じなかった香りがした。沈丁花の香り・・が初春をもうでているようで、お遍路ならでは非日常を感じた瞬間がそこにあった。

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海沿いのドライブインで休憩になった・・・。海が綺麗なので、荒井由実の「海を見ていた午後」をON AIR。ぼーーと海を見つめる。たわいもない時間がふくらんでいく。海に滲んだ記憶が・・そうさせてくれているように。

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35番札所清滝寺は、バスからタクシーにのりかえて、車はスイッチバックを繰り返しカーブを曲がりながらあがっていく。初春をつげる文旦の木が立ち並ぶ。運転手さんが、「文旦は酸っぱいんで、あのわらの下で文旦を熟成してるんですよ」と教えてくれた。あの皮の面積が50%はありそうな、 グレープフルーツの先祖みたいな果実は、こうして一級品になるようで、道の駅では1個500円くらいする高級品だ。それが途中の坂道で、3個100円で無人販売されていた、お遍路さんへのご接待なんでしょうね、愛があるなー。このお寺は桜の木が見事で、目を閉じると満開の景色が浮かんでくる。

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いよいよ最後は、34番種間寺。底抜け柄杓の安産祈願に目を奪われる、「妊婦が柄杓をもって詣ると、寺では底を抜いて二夜三日の安産祈祷をし、お札を添えてかえす。それを妊婦は床の間に飾り、無事に安産すれば柄杓を寺に納める」そうだ・・。「こんなの誰が考えたんでしょうね」と渡すようにベテランのお遍路さんにいったら、「子安神社とかいっぱいあるよね、高野山には母乳がたくさんでるような安産祈願の絵馬があるよ」と教えてくれた。高野山か・・・このお遍路旅がおわったら・・そこに行く自分をしっかりイメージしている。

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お大師様、ならびにそのDNAを継いだお弟子さんは、こうしたいろんな仕掛けを造りながら、仏教をそばに置いて仏教を近づけたようで、のんびりするのは、背景が平安時代のよき時代だったことに起因するのだろうと思う。そうかんがえると、鎌倉の飢餓に苦しんだ時代の末法思想の鎌倉仏教とはどういうものだったんだろう?

歴史心は不自由な時代の有り様を探求したくなっている。

お遍路。帰り道。

AKBの山本彩さんがギターで奏でていた、かりゆし58の「オワリはじまり」を聴きながら青春のオマージュのように 、バスに揺られチックと眠りこけた。

なんだろう。この旅でまだ仏教という実感が足りない。たぶん最後までそうなんだろう。そんな機会も滅多になさそうなので「空海の景色」を読みおえたあと、数冊空海関連の本を流し読みして、近づいてみている。

そんなこんなあるけど、お遍路旅というのは、少しばかりは、心をやわらかな気持ちにさせてくれるようだ。

今日は、こんなところです。

2016年2月29日

タモリさんの座右の銘は「適当」

ネタ帳ラボ!一期一会

おはようございます。クレストデジタルズ渡部です。
  
ブラタモリの松山編が再放送で日曜日放映されていました。何度見ても、面白いのはタモリさんの才能の由縁ですね。他人のことは関係なく、松山城でもあの天主閣にも興味がなく、予定調和を崩し、地理・地形・歴史好きの人への内輪受けを誘うような自然体の対応が見ていて楽しすぎます。
  
タモリさんを見たのは、大学の頃。あの伝説の四カ国麻雀や玉音放送をLIVEで松山市民会館で見ることができたのです。得意の全く意味がわからないハナモゲラも含めて、抱腹絶倒でインチキ臭さ満載なのだけど、JAZZのような自由が出鱈目に炸裂して、もはや呼吸困難になった夜を思い出しました。
  
BCL時代というのを体験した私にとっては、大阪系のAM放送をエアチェックする際に、あの朝鮮語放送が邪魔で邪魔でしょうがなかった。オールナイトで「あれが面白くてね、勉強がいやになったら押入れで聴いてたんだよ、マネするのがなんか楽しくてね」、などと話すのをききながら・・それを真似するLIVEを聴いて、泣いて笑ってよじれた夜の青春。あの破天荒暴走列車こそ本当の芸でしょうね。
  
タモリ倶楽部の空耳アワーなど、ほとんど意味がないようなものに、ホモサピエンスの初期状態ですり寄っていくわけで、無思想というか、言葉の無用さを、奏でるような番組でしたね。意味は求めないが、面白いとか、おかしいは求めている。(笑)
  
大泉洋さんが「水曜どうでしょう」で一週間でヨーロッパ21カ国を廻る(ビザが不要な国)という企画をやってて、パリからレンタカーで出発するわけだけど、行き当たりばったりで、観光地も立ち寄らず、時に野宿になり、あらかじめの想定など無意味で、なんとか制覇なるだろうと、10馬身くらい思いが先行した企画なのですが、これも無謀の中に、なんか惚れてしまうモノがあるんですよね・・。結局まわれず、2回目北欧をまわるんだけど、ヨーロッパだからやはり2回目もパリから始めなければ(笑)、と、パリからノルウエー まで既訪問国を通りながら、ノルウエーまで行き、「ディレクターさん、何でノルウエーから始まらないの?」と、その無意味さを受け渡す会話がなんとも楽しい。どうせなら北極圏に入らないと意味がないと理不尽を楽しんでいる・・・。なんかそれが人生の縮図と重なるのが楽しんですよね。こんなのを、ローカルでもチャレンジしてほしいものです。(^O^)
  
さてタモリさんの後輩、井上陽水さんの歌は、歌詞に深い意味がございません。
  
ホテルはリバーサイド
川沿いリバーサイド
食事もリバーサイド
Oh リバーサイド
  
面白いのはPUFFYに提供した曲
 
奥田民生(作曲)&井上陽水(作詞) アジアの純真
北京 ベルリン ダブリン リベリア
北京 ベルリン ダブリン リベリア
 
ありえんやろ・・・でも100万枚越の大ヒット
陽水さんと娘さんがカニが好きだったそうです(笑)(^_-)
  
奥田民生(作曲)&井上陽水(作詞) 渚にまつわるエトセトラ
 
マゼラン祭りで
ハッスル音頭で

カニ食べ行こう
はにかんで行こう
あまりにも 絵になりそうな
魅力的なハッピービーチ
  
ありえんやろ・・・でもこれも100万枚越の大ヒット
 
これにあのメロディをのせる、奥田民生さんも奇才であります。
  
陽水さんは、あるときにタモリさんの所に来て「ボクの歌は思想がありすぎた。すべてを断ち切って、思想のない歌を歌います」というようなことを宣言したそうです。それから歌が明るくなったそうだ。と。
  
はたして、これらの事を思うとき
  
人生は意味を求めていては、意味を探していては、苦しくなるのではないか?ということ。突き詰めると、知らないうちに偽善になっていたりし、自己崩壊していく。成功者の秘訣的な本を読んでも、そんな言葉を並べても、位置づけるとつらい・・。適当がいいのだ。そう思わないと、人に嫉妬するかも知れない。
  
タモリさんのハナモゲラ語は、出鱈目だけど、雰囲気や所々のキメてきなワードの符号で、それとなく意味がわかる。そこが芸術的なのだとおもう。ブラタモリのイントロの陽水さんの「女神」、エンディングの「瞬き(まばたき)」などもそうだなと・・番組を見て思った。
  
人生の一番の薬は、笑いなのだな・・・
  
そんなことを思う週末でした。
  
「これでいいのだ」
  
PS
YOU TUBEで昔のタモリ倶楽部やタモリ芸をみながら、これを書いてます。
面白いので、お茶の時間にでも見てください。
https://www.youtube.com/watch?v=peueBGhbpEI
  
今日は、こんなところです。
  

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