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2021年2月8日
ネタ帳ラボ!一期一会
麒麟がくる最終回。
本能寺の変 1582年 明智光秀はイチゴパンツを履いていた。と、高校生の時に覚えた。もし、そのパンツを光秀がたたむのなら、非常に丁寧にたたみそうだ(笑)
先日テレビを見ていたら、明智家が新居浜に落ち延びていたという。その姓は明星。そういや母方の遠い親戚がJR松山駅の近くで、たしか明星軒というお店をやっていて、子供の頃ちょくちょく家族で行っていたのを思い出した。
光秀と信長の物語の真実はミステリー、正体がわからず、その背景にはロマン的な想像の翼が生まれる。
一方、今の世の中コロナ禍では森元総理の件など、一面だけ切り取り、悪者にして暴くようで情けない。変な正体が一人歩きし拡散する。最近そういう報道が多すぎる。コロナ禍の報道もそうだ。お互いを見張っているような居心地の悪さがある。
そういうのを自分がやられたらどういう気持ちになるんだろう、家族もいるし、友達もいるし、愛する人たちに囲まれているかもしれないのに。どんどん風船が膨らみ、居場所がなくなり破裂寸前まで行ってしまいそうだ。
そんなことが、明智光秀に重なってしまった最終回だった。最後光秀が生きているかもと描いたドラマの終焉に、何かしら助けられた気分になった。ありがとうございました。
2021年2月8日
2021年2月5日
ネタ帳ラボ!一期一会
親戚から、伊予柑来たる!僕は子供の頃から、みかんを食べ過ぎて手が黄色になるほど柑橘類が好きだ(^o^)
いやはや、どの角度からみても、どのように触りまくっても、概ね外れがありそうにない。みずみずしい気配が漂う。
溜息をつき、しばし眺めやった挙げ句。
皮をむしりむしりする、手に伊予柑のしずくがつくと、それをうなじに塗りパフュームローションにする。たまに顔に果敢にも塗ってみたりする。皮は風呂にいれて湯船で名残を惜しむように絞る。放埒な男に、小さな探究心を助長してくれる。
えもいえぬくらい、うまい!
話題の音声SNS「Clubhouse」というアプリが世の中に登場した。ZOOMのような音の遅延がなく、複数人数で同時会話も普通に会話しているのと変わらない。コロナ禍で友達限定で雑談に使うのもいい。人間同時に10人くらいの会話くらいは認識できるようで(5,6人くらいが適正か)、ZOOMより堅苦しくなく、会話がポンポコりんと弾む、ビジネスにも向いている。
ZOOMは縦会話、CLUBHOUSEは縦、横会話のマルチプル。
招待制という希少価値を出しながら、会話は録音できず残らない。いろいろなテーマのトークルームにはいり発言するには多少なりの勇気と、慣れが必要。縄跳びに入るタイミングがわかりにくいのとよく似ているが、一度こつをつかむと、参加できて楽しい。無論、聞いているだけでも。
ビジネスシーンでもいろんな展開があるなとアイデアがわいてくる。書いたものではでは人間性まではなかなか伝えられない。だって愛嬌とか人間性とか会話でしか、なななか、わからないもんね。会話には音楽みたいな音色がある。CLUBHOUSEどうなるか?耳を刺激する、SNSの登場
2021年2月5日
2020年3月29日
ネタ帳ラボ!一期一会
バターが挑発的な態度で挨拶してくる。結構執念深い香り、半径1m位にいる生物が生け捕りになっていく。一人20個までは、かえるらしい。控えめに、おふくろはよしよしと、塩パンを10個ひょいとトレイにのっける。店をでて、ふたり車に乗るやいなや「食べよ、食べよ」と即パクつく。
トロンボーンのようになった僕の口元、芳醇な味と塩パリッとしたアクセント。勢いが、通過感が、何気ない1日を1mm持ち上げてくれる。
やがてどこからかルパン三世のあのイントロがフェードインしてくる。(笑)2個目突入へ^_^
恐るべき、塩パン(笑)
2020年3月29日
2018年7月30日
ネタ帳ラボ!一期一会
ここ数年、ブックオフの100円コーナーで買った本が本棚に散乱している。タイトルだけ見て買った本から始まり、好きな作家の本もある。ただ無駄に、ただ有り余っている。
不思議なのは委細を放つ不謹慎な本がないことで、まるで絶滅危惧種のようにお目にかかることはない。
高校生の頃の僕のなまめかし男心を成立させていたアイドルのポスター達。壁に画鋲で止めていたPLAY BOYのアメリカのイカス女の切り抜き達。
不埒な心の破片は、壁一面にはられたセクシーで艶めかしい女性の切り抜きとに等質に投影されたいた気がする。
そんな画鋲の金色の輝きは、ひときわ異彩を放ち、煩悩は壁一面に自由を手にして、勝ち誇ったように散りばめられていた。ベットに寝っ転がると天井に張られた、500円で買えた卒業のポスターが十七歳の僕を挑発してきた。
不謹慎なヌード写真などは、ビートルズの切り抜きをひょいとカレンダーのようにめくり上げると見えるようにしてた。母親はそんなぼんくらな息子の、深夜の創意工夫作業をどこか笑い飛ばしながら、部屋の掃除をしてくれていただろう。いや、頻繁に変わる写真の模様替えを楽しみにしていたかもしれない、たまにこっそりめくっていただろう、そんな気がする。(笑)今はiphone買えばエロ本など買う必要がない、世界は歪んでいる。
多感な青春の若者の奥底をくすぐるモノは、大人達に与えられた学生服を着ていた青春一本道の僕には、必要だった。どこか押しつけられた力を、押し返すような、生きる力のようなものだった。欲望のちいさな発露みたいなものが、ノーマルを打ち破る小さなトライが、自然に湧き出てきた。そのささやかな抵抗こそが、割り切れない気持ちを支えていた。
僕の通っていた高校は新設校で、頭髪検査があって男子は髪の毛が耳にかかってもダメ、前髪が眉毛にかかってもダメ。そんな規制に立ち向かう力は、むしろ乙女達が先陣をきっていた。薄ら化粧をしてきたり、スカートの長い丈を詰めてくる女子高生の女の戦いは、どこかしら僕を奮い立たせていたように思う。
大人達が僕達をつまらせば、つまるほど、抵抗と反発が頻繁に繰り返された。世の中がつまらないというのは、自分をつめてくれる大人がいなくなったせいだろう。コンビニで108円出してお菓子を買えば、幸せを買える
時代になって、ネットなどのなかにもそういうモノはあって。結局、薬局、郵便局。いや東京特許許可局。残りの人生いかに自分をつまらせるかが大事なのかもしれない。
高校の時に、松山の銀映という映画館は500円で映画三本立てだった。そして映画のポスター収集が大好きだった。部屋の天井は映画のポスターで埋め尽くされていた。
僕は「卒業」を友達と何度も見た。
Simon & Garfunkelの音楽に美しいハーモニー
サウンド・オブ・サイレンス
ミセス・ロビンソン
スカボロ・フェア
ミセス・ロビンソン
が入った卒業サウンドトラック盤。
すばらしい、ジャケット
ドアの前に立つダスティ・ホフマン。
その視線の先にある、語りかけるような生足
うーん、いまでもうなります。
今日はこんなところです。
2018年7月30日
2018年7月23日
ネタ帳ラボ!一期一会
東北大震災から、夏はクーラーをつけないで扇風機で寝ていた。
本当ですよ。
この悪魔との誓いのような呪縛の中に、どこかしら僕としては小さな小さなプライドがあった。
しかし、連夜の首をねっとり締め付けられる熱帯夜に、ついには押しつぶされ、なりませぬと思いながら、ついにその禁を破ってしまった。あーあ、我慢ダムがひとたび決壊すると、毎夜タイマ-をかけて冷房の心地よさに、まるでセックスの快楽を知ってしまった青春の日々のように、だらだらと、ただただ快楽に流されてしまう、そんなていたらくな夜な夜な。
「無理をしないでクーラーをつけて睡りましょう」という、テレビの夏の甘美な呼びかけのせいだ。と、うそぶきながら(笑)それでも肩の力を抜いて行こうなどと、自分に号令をかけている。
こうなると、自分の人生の輪郭までもぼやけてしまう、悪い癖がまとわりついてくる。
人生は甘い誘惑の連続だ。コンビニに行けば、白くまアイスがあると、見ただけで試食した気分が立ちあがり、かき氷のなかに潜む、人生を粉々にする、練乳のとろけ具合が頭の中をかけめぐる。あかん、あかん、といいながら、ちょっとカップをさわると、イチゴがパイナップルがフルーティなトルネードな涼風をおくってきて、それがハートにつきささり、ネジのようにひとまわり、ひとまわり深度をましてゆく。(笑)
そして、「半分、青い。」のメロディが流れる
おはよう 世の中
夢を連れて 繰り返した湯気には 生活のメロディ
鳥の歌声も線路 風の話し声も
全てはモノラルのメロディ
涙こぼれる音は咲いた花がはじく雨音
悲しみに青空を
つづく日々の道の先を塞ぐ(ふさぐ)影にアイデアを
雨の音で歌を歌おう
全て越えて響け
つづく日々を奏でる人へ
全て越えて届け
「つづく日々の道の先を塞ぐ(ふさぐ)影にアイデアを」
そこがたまらない。
あまりにも暑い夏、ジョンソン・エンド・ジョンソンのベビーパウダーを念入りに、わきと首筋に、パタパタと塗りつけて、そとに出ると5分でねっとりしてくることは折り込み済みであったとしても、効果があるとか、ないとかわかるわけないが、それは日本で僕だけかもしれないけど、この歌がなにかやってみろと、背中を押すのだ。
レガシー。先人が残したシステムや仕組み。
汗っかきの、赤ちゃんには、ベビーパウダー。そこに着想を見いだし、だれにも見せられないこの所作を、丹念に積み重ね、そう毎日欠かさずやりながら、一人笑いをしながら、夏日の朝を過ごすのでした。
僕はその作業を「レガシーパタパタ」と呼んでいる。
誰だ笑っているのは、は・は・はそれでいいのだ。
今日誰かが、白クマアイスの前で立ち止まりますように(笑)
今日はこんなところです。
2018年7月23日
2018年7月9日
ネタ帳ラボ!一期一会
愛媛の豪雨災害は甚大で、「がんばろう」という月並みな言葉がかけられないほどで、痛々しすぎる。
七夕という、いにしえから夏への扉を開く日に、なぜにこうなってしまうんだろう。
みかん農家の友達は、土砂が流れてもう「みかん山はだめだ」と嘆く。自宅も1mほど冠水した。「命があったのだから、まずは身辺から立ち上げてがんばるよ」と彼は短く電話を切った。
自然災害という、気持ちの行き場のない現実。それでも、彼ならきっと立ち上がると信じている。
そういえば親父は、いつも枕元に非常袋をおいて寝ていた。
手書きでかいた連絡先の数々、避難先の地図、着替え、何種類ものくすり、包帯、はさみ、乾パン、水、懐中電灯、ラジオなどなど。
自分の命札もあって、連絡先に僕の名前がかいてあった。用心深いおとこだなと、どこかで笑っている自分が、すくなからずあった。
今思えば、そうしていないと、眠れなかったのではないのだろうかとも思えるほどだ。
そう、家を建てるときには、前の道路より50cmは盛り土をしたそうだ。床上浸水にならないための事前の策だとよく言ってた。新聞のスクラップは今も、机の棚に数十冊ある。僕は、たまに読みながら親父に会いに行く。
小学校3年父親参観日には、石手の土手のゴミ焼却所からたちのぼる煙突の煙を眺めて鼻糞をほじっていると、まえから3番目の席まできて、拳骨で思い切り殴られた。
クラスが静まりかえり、僕はどうとりつくっていいのかわからず、しばらくうなだれていた。骨までしゃぶられそうな、夏の幼い思い出だ。
なにごとも、きちんとしていなければだめなひとだった。
家のまどは、雨戸がついていて、台風前にはそれをしめていた姿が思い浮かぶ。ろうそくや、懐中電灯などはもちろん所定の場所に置かれていた。停電になると、コンセントに入れたままの非常灯がついた。
そんなことを考えると身の回りのことをきちんとしていることの、大切さを考えさせられるものだ。
奇妙なことに、実家の親父の机の上、台所、トイレ、車に、なぜか温度計と湿度計が取り付けてある、そのわけを聞いておけばよかったと、今更ながら何の為に存在しているのか不思議に思うことがある。
天気に敏感に生きていたのかも知れない、なにかその数字から読み取っていたのだろうか。(笑)
おふくろにたずねたけど、おふくろもそれがわからないという。(笑)
はさみを「お父さんは20本ぐらいおいてたのよ」と、また不思議な事実を告げる。(笑)
「そういえば、台風の時に家に被害があって、会社から5万円出たのよ」
と不意におふくろがいう。
昭和40年のころだから、かなりの額だ・・・
そうだな、そうだな、そういう会社にならないとな。。。
ともかく、いろんな事が思いだされ、考えさせられる朝だ。
愛媛が実家だと知っている全国の友から、大丈夫かとメッセージがここ数日とどいている。
そういう思いが、すごくうれしい。
今日はこんなところです。
2018年7月9日
2018年7月2日
ネタ帳ラボ!一期一会
サッカー日本代表が予選を勝ち上がる。
最後の10分を自陣でボールを廻しそのまま試合終了になった。
それを、ワイドショーが好き勝手論じている。
帰りの橋を焼き払うような戦いに、必用なのは前に進むしかないくせに、滑稽なほど話が長くつまんない。
白か黒か、ゼロかイチか、必用か必用でないか・・・。その狭間のグラディエーションを確かめるために言葉は存在する。
もっと切実でどうしようもないものを、そう、どうしようもない現実を。
そんな夜に黙って飲むバーボンの味を、酒に頼るしかないどうしようもない人間の性を。
やむにやまれぬ夜に、この世で手に入れたいものを得るために、西野監督が悪魔に差しだした供物はいったいなんなのか、そんなことに僕は考えをめぐらしていた。
渡すカードが、キラーカードでなければ、等価交換できないだろう。
なんの衒いもなく。平静の仮面をかぶり一瞬の決断で、それをできるのがプロだ。西野監督は悪魔と友達になったのか、ベルギー戦でじっくりみてみたい。
さあ、今夜日本戦。
負ければ敗退。これからが本当のワールドカップだ。
コントロールを失った夏の陽射しが、骨までしゃぶりついてくる。
ドカベンが最終回をむかえた。
コンビニを何件も回った、どこにもない。(笑)
その話は、また。
2018年7月2日
2018年6月4日
ネタ帳ラボ!一期一会
ノートパソコンのキーボードのキーが剥がれてしまし、虫くい歯のような感じになってしまった。
たった1個のパーツ、いつも触るDのキーボード。いらいらが募る。こんな時に平気の平佐で、仕事はできない。修理に送って1週間かかる。しかもキーボードのユニットごと交換・・。僕は、どうも溜息橋を渡ることが増えてきている。この屁たれが、しっかりしろ。
となりで、「唐川のびわが美味しいけん、たべとおみ」と母がしれっとした顔をふりまいてから、びわをむきなきながら差し出す。「こないだ食うたけん」と言葉を渡しながら、パクつく、熟成具合がすばらしく、いきなりの少女の平手打ちをくらったような衝撃。「渡部さん、ファイト」とキラキラした少女の笑顔に会った気分になる。流石、名産品は違う。
続いて、はいどうぞと夏みかん、愛媛でいえば「だいだい」、をむいてくれた。だいだいに、ヨークルトがかかっていて、ほんのりと蜂蜜がまぶしてあり、これもしこたまうまいでござる。やはり果物は日本は世界一だと、実感させられる。
さて、6月となり、9日に誕生日を迎える。
生まれたのは松山の日赤だ。親父が南海放送で技術者だったため、万一の事故にそなえて、会社の近くの平和通りに住んでいたそうだ。玉ねぎの一番外の、薄皮のような記憶しかない。それでも、家の前に銭湯があったのと、よく病院に連れていかれた記憶だけは、残っている。
風邪をひくと、病院でお腹を辛子のついた腹帯でまかれた。僕は大好きだったお菓子の虎巻きのような恰好となり、ヒリヒリするその痛みを、えらいね、えらいねといわれ我慢したのを覚えている。ただ次がなりませぬ、なりませぬだ。おしりに、昔の水鉄砲のような筒の馬鹿でかい注射を打たれる番だ。それを僕があまりに嫌がるため、大人4人くらいでむりやり抑えつけられた。そして拷問のように、注射器をねじ込まれた。あんなでかい注射器は、あれ以来お目にかかったことはない。あれ以来、僕は注射が大の苦手だ。
さあ、人生4コーナ入り口にさしかかってきたか、屁たれにならないように走らんとね。
実家の庭には、額あじさいが綺麗にさいている、こいつは白色から七変化でいまは青からピンクに変わってきた、お馴染みのあじさいはまだ、つぼみだ。手まりあじさいは、山口百恵の薄紅のような色をたたえている。青色のペチニァや、ピンクのゼラニューム、どこかしら金属の名前のような花達もルンルンとしている。そして、玄関の入り口には紫の都わすれが、凛としてひっそりと咲いていた。
母は、お花が好きだ。母の日にカーネーションを贈ると、一日気分がよさげだ。
お花というのは、どこか見ていて愛らしい、そして愛らしいものを見ながら、宵越しまでその気分を持ち越せる術を持っているようだ。
暗愁にみちた人生をはげましてくれるものは、毎日の小さな喜びかも知れませんね。
らっきょの季節。らっきょにも負けたくない。(笑)
頑張りましょう!
今日はこんなところです。
2018年6月4日
2018年5月28日
ネタ帳ラボ!一期一会
モナリザ、レオナルドダビンチの代表作であり世界で一番有名な絵画「モナリザ」。
仕事で偶然であった女性、たぶんアラサーさん。
たぶんもう会うこともない通信会社の受付のモナリザ女性、不思議な時間だった。
髪型がモナリザに真似ているからなのか、眉毛が薄いからなのか、ほほえみも2滴、3滴。奇妙な時間だった。わざとにモナリザを意識しているわけではないだろうに・・。
どこかしら、僕の煩悩の愚かささえお見通しのような、そんなすこし冷たそうな背を張った感じが、妙に僕に新鮮にせまってきたのだった。
この女っぷりはなんなんだ。すずやかさはなんなんだ。(笑)
それを観察している俺は何者なのだ?
昨年男のモナリザ「サルバトール・ムンディ」(ダビンチ作)が約510億円で落札された。(Salvator Mundi 世界の救世主の意)落札者はアラブの王子らしい。
”「サルバトール・ムンディ」は、1763年に競売にかけられた後、長い間所在が分からなくなっていた。1958年にロンドンで行われた競売で、米国の収集家が45ポンド(約6600円)で買い取った
が、その時は贋作(がんさく)と考えられていた。2005年に再び売りに出され、新しい所有者が約6年にわたる鑑定を行った結果、本物であることが分かった。”
いつかお目にかかるチャンスはあるのだろうか?それにしても「サバトール・ムンディ」も、謎めいた絵だ。みたい、謎めくことに開眼したい!(^^)
作家の塩野七生さんが、レオナルド・ダ・ヴィンチは「なぜ」で生き通した人だと書いていた。人生に埋め込まれた暗号を解く出発点は、「なぜ」
思うに、ヨーロッパではお昼でも、夕方でもともかく食事時間が長い。人と人の真ん中にワインと頭の回転をよくするチーズがあるからなのだろう(笑)。ともかく、ヨーロッパ人は会話が大好き。海を渡る商人は話題にことかかず、様々な話題を提供し、哲学者は質問から着想を見つけたりする。そういう知的生活が今でもある。
話は再びダビンチ。ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の「最後の晩餐」にはたくさんの「謎が」「なぜ」が埋め込まれているらしい。ダビンチはユダヤ人でユダヤの言葉、ヘブライ語は数字に変換できるので、色や形などにもメッセージがあるという説もあるそうだ。ダビンチは「数学者しか自分の作品は理解出来ない」と、本当かどうか知らないけどいってたそうで、たぶん誰かがこじつけたんだろうと、僕は疑ってしまうけどね。
さてさて、またしても新しい週となった。
サスペンスやミステリードラマには謎がなくてはならない。男女の色恋はウソと誠でできている。
どちらも、はじめは手の内を見せないのが常套手段で、そこが楽しいわけだ。しかし、「謎」は芸術や人生のドラマの舞台だけでお願いしたいもの。
隠ぺい、知らぬ存ぜぬ。嘘つきました。後だしジャンケン。
国会の場では困りますよね。
小説の世界でプロとして飯を食っていける人間と、そうでない人間との違いはなんでしょう?
日常にてんこ盛りの「些細なことを馬鹿にするか、真剣に考えるか」
東野圭吾先生の語録です。
初夏の幕開けですね。ファイト!
徒然なるままに・・
2018年5月28日
2018年5月21日
ネタ帳ラボ!一期一会
僕にとって、アーティストファンのファーストドリップは西城秀樹さんだった。
小学校5年生の時。封筒に色紙をいれて「サインお願いします」、と西城秀樹ファンクラブに送った。待てど暮らせど、色紙は来なかった。それでもかすかな希望はどこかしらあった、信じていた。半年程経ったときだ、なーんと色紙が送られてきた。メモがあって「おくれてごめんね」と書いてあった。これが、秀樹さんなんですよ。
この色紙を部屋に貼りHIDEKIと一体となり、僕はあなたにどれだけ励まされただろう。
僕のメルマガのタイトルは秀樹さんの曲「情熱の嵐」。小学校の時にもらった興奮の音粒を、メルマガに変えて書き綴っていきますね。天国でも青春。歌い続けてください。
当時部屋に張ってあったのは、桜田淳子、山口百恵、ピンクレディ(笑)高校の時は原田真二。どれも苦労して手に入れた(笑)
僕はサイン1枚の一撃が、どれだけ自分を奮い立たせるか実感をもって知っている。その魔法のような感覚がたまらない。明星というアイドル雑誌で、すきな歌手の1ヶ月のスケジュールが載っていた。1ヶ月に1日しかない休みの日などを見つけると何をしているのだろうと、思いを巡らす空想が大好きだった。
僕は今、山下達郎さんのファン。いつか、空港なんかであっても、声をかけることも、握手を求めることもないだろう。
頭をわずかに下げて、会釈などはするかもしれない。すれ違い、10m位歩いてこっそり溜息を吐くかも知れない。ただそれだけだ。色紙も、握手もなくても、地中深い根っこ部分でつながっている、その感覚だけで十分だ。
こういう感覚を、培養しながら生きるのはいくつになっても楽しい。
日曜日、NHK杯の体操を観た。内村選手を追いかけながら、最後の着地を「決めにいって、決める」という演技に手に汗を握った。最後の鉄棒の演技、失敗するような匂いがしない。その空気感に心をからめ捕られた。
気圧されることも、焦りに揺るがされることもなく、膨大な経験を下敷きにして、凝縮したような、老成したような、延長戦を幾度となく戦ってきたような、そのタフガイな演技。凄いものをみせてくれた。ファンになりますよね・・。
のっぺりとした、凡人にも月曜日はやってくる。
「YOUNG MAN」聴くしかないね(笑)
今日はこんなところです。
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