無駄な金と時間は僕の個性なのだ

ネタ帳ラボ!一期一会

2016年11月21日

人生は無駄な金と、無駄な時間でできている。

無駄の中で個性は生まれ、無駄が母のように個性をはぐくむ。

無駄の敵はなんだ、競争、結果、効率という時代が求めるものだ。

集団という群れの中で、安住の地を探すのは楽だろう、でもそんな居場所にいる人がダメだというわけでもない。むしろ、その中に幸せである人はたくさんいて、僕には羨ましい。集団にいても、旅に出ると、旅のインプットは見事な彩りと、グラディエーションを放ち「物事の味わいを感じ取る能力」を覚醒させてくれるだろう。

2016年、僕は群れの中から飛び出てお遍路を廻った。一人も知っている人がいないというのは心地よい。

うるう年で、88番札所から1番へと逆に巡る「逆打ち」

60年に一度の丙申(ひのえさる)

弘法大師・空海のご利益が3倍になるとの言い伝えがあるらしい。

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それは初めてお遍路周りをした衛門三郎の故事に由縁があります。

伊予国河野家の一族で、砥部の運動公園からほど近い、文殊院で豪農である衛門三郎という者の物語です。欲が深く、情け容赦なく農民に接する、この男の前に、みすぼらしい僧が現れ、托鉢を行います。八日目、衛門三郎は、怒って僧が捧げていた鉢を竹のほうきでたたき落とし、鉢は8つに割れてしまいます。そして僧も姿を消します。実はこの僧は弘法大師でした。

三郎には8人の子がいましたが、その時から毎年1人ずつ子が亡くなります。8年目には皆亡くなってしまいました。悲しみに打ちひしがれていた三郎の枕元に大師が現れ、三郎はやっと僧が大師であったことに気がつきます、そして自分は何という恐ろしいことをしてしまったものだと後悔するのです。

三郎は懺悔の気持ちから、田畑を売り払い、家人たちに分け与え、妻とも別れ、大師を追い求めて四国巡礼の旅に出ます。二十回巡礼を重ねたが出会えず、大師に何としても巡り合い気持ちから、今度は逆に回ることにしました。ところが、巡礼の途中、阿波国の焼山寺の近くの杖杉庵で病に倒れてしまいます。死期が迫りつつあった三郎の前に大師が現れました。三郎は今までの非を泣いて詫び、「望みはあるか」との問いかけに「来世には河野家に生まれ変わりたい」と託して息を引き取るのです。大師は路傍の石を取り「衛門三郎再来」と書いて、左の手に握らせます。それは、天長8年10月のことです。

翌年、伊予国の領主、河野息利(おきとし)に長男が生れるました。その子は左手を固く握って開こうとしません。息利は心配して安養寺の僧をよび、祈願をします。すると赤ちゃんはやっと手を開き、手の中から「衛門三郎」と書いた石が出てきました。その石は安養寺に納められ、後に「石手寺」と寺号を改めたます。石は玉の石と呼ばれ、寺宝となっているそうです。

衛門三郎は妻と別れの水盃をかわし、死に装束ともいわれる白衣(びゃくえ)に、手には手っ甲、足には脚絆、頭には魔除けの菅笠をかぶり、右の手に金剛杖を持って旅立ちました。この出で立ち姿が、お遍路さんの姿となります。

巡礼したお寺に紙には自分の住所、氏名、年月日を書き、お札をお堂にはりました。これが、お納札になったそうです。(自分の居場所を弘法大師に伝えるため)うるう年の巡礼者は通年の数倍に上るともいわれる。しかも逆打ちで弘法大師に巡り会えたという伝説が残る60年に一度の丙申(ひのえさる)

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丙申(ひのえさる)の意味はわかりますか?一応説明・・難しいけど(笑)

今年は申年(さるどし)ですが、正確には丙申(ひのえさる)なんです。

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干支(えと)は十干十二支(じっかんじゅうにし)でできていて
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十干(じっかん)は、甲乙丙丁戊己庚辛壬癸
甲(こう)、乙(おつ)、丙(へい)、丁(てい)、戊(ぼ)、己(き)、庚(こう)、辛(しん)、壬(じん)、癸(き)

十二支(じゅうにし)子丑寅兎辰巳 馬羊猿鳥戌亥
子(ね、し)、丑(うし、ちゅう)、寅(とら、いん)、卯(う、ぼう)、辰(たつ、しん)、巳(み、し)、午(うま、ご)、未(ひつじ、び)、申(さる、しん)、酉(とり、ゆう)、戌(いぬ、じゅつ)、亥(い、がい)

十干(じっかん)甲乙丙丁戊己庚辛壬癸
十二支(じゅうにし)子丑寅兎辰巳馬羊猿鳥戌亥

甲子(きのえね)→乙丑(きのとうし)と順に進み、壬戌(みずのえいぬ)→癸亥(みずのとい)で60で一巡して最初の甲子にもどります。

「10×12=120通り」ではないのです。60通りです。
※「甲子」はありますが、「甲丑」はないのです。
詳しくはgoogleで調べてくださいね。

60で干支は一周し、還暦を迎えるというわけです。

丙申(ひのえさる)の年、お遍路にいっても御利益があるかどうかはわからない。

煩悩が消えるかと思ったけど、ますますそれは輪郭がくっきり表れてきて、キラキラ輝いている。(笑)

こうなれば、何も期待しないで生きるしかないか、と笑い飛ばす。そうすれば、何かいいことがあれば、早天の慈雨として受け止められるだろう。いつもなにも期待しない事が原点だということだけは、お遍路でわかった。

2015-11-23-12-21-00

たくさんのお守りを買った、御朱印も集めた、三途の河の渡し賃の寛永通宝六文銭も70番本山寺で1,000円で買い求めた。招き猫も財布に入れた、白衣の襟に光明真言の文字(梵語)を16番札所の観音寺2,500円で書いてもらった。無駄なことばかりしているようだが、孤独を纏うようにそんなものを買い求めてしまう。まあ、そんな付属品を含めて自分自身なんだろう、それを信じるのも才能で有り、その才能は時に運命と同意語なんだと思ってしまう。

多分、僕は1mmも成長してないかもしれないけれど、こころ萎えたとき、何か一定ともいえる確かなことが、思い出されるかもしれない。

いよいよ12月10日(土)お遍路結願!!へ


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