「私」が「私」であるために

ネタ帳ラボ!一期一会

2016年4月18日

おはようございます。クレストデジタルズ渡部です。

深夜に緊急地震速報を伝える、スマホのアラームが鳴った。(松山市、震度4)すぐさま、枕元のSONYのラジオに手を伸ばす。1秒で起動し「強い揺れに警戒してください」と甲高い声がきこえる。アナウンサーは冷静さを保ちながら、汗ばんだように原稿を読んでいる。

熊本、阿蘇と中央構造線状で地震が起きているので、愛媛もあぶないかもと、朝までラジオをつけていた。スマホには甲高いチロリン・チロリンのアラームが何度も届き、被害の大きさがだんだん伝わるたびに、寝れなくなった。

「あきらめないでください、必ず助けは来ます」のアナウンサーの呼びかけ、朝まで、暗闇の中でラジオをつけながらボクは布団でもがきながらすごした。

朝になり、もやもやをかき消すように、スタバにコーヒーを飲みに行く。店内にはボクしかいない。「決して、諦めないでください」という言葉が、まだ、頭をぐるぐる廻っていた。砂漠のような荒野で飲んだような珈琲の苦みで、思考停止から救済されたような気分になる。怠け者に用意されたような、お膳立ての珈琲味がしみている。

人間というのは「言葉」に敏感だ。

病院で病名でも伝えられたとたんに、エネルギーが吸い取られたように元気が無くなる。告知というのは本当にいいのだろうか?「手術前に成功の確率は・・」などと告げられると寿命が短くなるような気分になるのではないだろうか。「私」が「私」でなくなり、厄介なことになる人の方が、多い気がする。

スマホに向き合う時間が圧倒的に増えている。

自分に向き合う時間は着実に減っている。

SNSで言葉があふれかえり、LINEで既読になっても返事が来ないとイライラするらしい。もうこれはマスターベーション覚えたての猿みたいなものだ。(笑)便利になった副作用はおそろしいもので、「私」が「私」でなくなっていく。

地震が起きると、様々なイベントプロモーションが横並びで自粛されている。サッカー日本代表FWの本田圭佑選手(ACミラン)は「様々な分野で自粛のニュースを目にしますが、僕は自粛するのは間違ってると思います」「僕にできることは微力で何もありませんが、日本人としてイタリアからただただ気にしてます。心配してます。応援してます」とコメント。その上で「こういう時だからこそ、各々(おのおの)に与えられた役割を行動に移すことが求められているんじゃないでしょうか」と訴えた。

安全圏内にほめられるものを求めたりする世の中で、本田選手の言葉は力強い。誰しも、こんな気持ちを持っているのだけど、「私」が「私」を殺してしまっているのだ。「抑圧された自分」「とりあえず横並びスタイル」、どうしちまったんだ?時代や環境に流されて。「自分で決める」という「私」が成仏して、背後霊になっているんじゃないか。

その日地震報道をつたえたNHK ニュース7。最後にNHKの高瀬アナが疲れた顔をきりっとさせて、「避難所のみなさん」と呼びかけた。

「避難所の皆さん、お年寄りで、一人でいる方に声をかけてあげてください、お子さんがうるさいので、外にいるお母さんにも声をかけてあげてください。みんなで声をかけあって、どうか今夜を乗り切ってください」

いい言葉だな・・・と、言葉の呪力のようなものを感じた。

「私」が「私」であるために・・。

がまんならない、こらえられない、伝えたい、背後霊をたたきのめしてしまえ。冬眠してしまった、「あなたが捨てた私」が本来の私ではないのか。

 今日は、こんなところです。


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