なまめかし男心を成立させていたアイドルのポスター達

ネタ帳ラボ!一期一会

2018年7月30日

ここ数年、ブックオフの100円コーナーで買った本が本棚に散乱している。タイトルだけ見て買った本から始まり、好きな作家の本もある。ただ無駄に、ただ有り余っている。

不思議なのは委細を放つ不謹慎な本がないことで、まるで絶滅危惧種のようにお目にかかることはない。

高校生の頃の僕のなまめかし男心を成立させていたアイドルのポスター達。壁に画鋲で止めていたPLAY BOYのアメリカのイカス女の切り抜き達。

不埒な心の破片は、壁一面にはられたセクシーで艶めかしい女性の切り抜きとに等質に投影されたいた気がする。

そんな画鋲の金色の輝きは、ひときわ異彩を放ち、煩悩は壁一面に自由を手にして、勝ち誇ったように散りばめられていた。ベットに寝っ転がると天井に張られた、500円で買えた卒業のポスターが十七歳の僕を挑発してきた。

不謹慎なヌード写真などは、ビートルズの切り抜きをひょいとカレンダーのようにめくり上げると見えるようにしてた。母親はそんなぼんくらな息子の、深夜の創意工夫作業をどこか笑い飛ばしながら、部屋の掃除をしてくれていただろう。いや、頻繁に変わる写真の模様替えを楽しみにしていたかもしれない、たまにこっそりめくっていただろう、そんな気がする。(笑)今はiphone買えばエロ本など買う必要がない、世界は歪んでいる。

多感な青春の若者の奥底をくすぐるモノは、大人達に与えられた学生服を着ていた青春一本道の僕には、必要だった。どこか押しつけられた力を、押し返すような、生きる力のようなものだった。欲望のちいさな発露みたいなものが、ノーマルを打ち破る小さなトライが、自然に湧き出てきた。そのささやかな抵抗こそが、割り切れない気持ちを支えていた。

僕の通っていた高校は新設校で、頭髪検査があって男子は髪の毛が耳にかかってもダメ、前髪が眉毛にかかってもダメ。そんな規制に立ち向かう力は、むしろ乙女達が先陣をきっていた。薄ら化粧をしてきたり、スカートの長い丈を詰めてくる女子高生の女の戦いは、どこかしら僕を奮い立たせていたように思う。

大人達が僕達をつまらせば、つまるほど、抵抗と反発が頻繁に繰り返された。世の中がつまらないというのは、自分をつめてくれる大人がいなくなったせいだろう。コンビニで108円出してお菓子を買えば、幸せを買える

 
時代になって、ネットなどのなかにもそういうモノはあって。結局、薬局、郵便局。いや東京特許許可局。残りの人生いかに自分をつまらせるかが大事なのかもしれない。

高校の時に、松山の銀映という映画館は500円で映画三本立てだった。そして映画のポスター収集が大好きだった。部屋の天井は映画のポスターで埋め尽くされていた。

僕は「卒業」を友達と何度も見た。

Simon & Garfunkelの音楽に美しいハーモニー

サウンド・オブ・サイレンス
ミセス・ロビンソン
スカボロ・フェア
ミセス・ロビンソン

が入った卒業サウンドトラック盤。

すばらしい、ジャケット

ドアの前に立つダスティ・ホフマン。
その視線の先にある、語りかけるような生足

うーん、いまでもうなります。

今日はこんなところです。


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