「人生になにひとつ無駄なものはない」

ネタ帳ラボ!一期一会

2018年4月2日

 

おはようございます。クレストデジタルズ渡部です。

「人生になにひとつ無駄なものはない」

この言葉を信じるか、信じないかはその人の才能。

日曜日、仕事で四国中央市へ。

ホッコリした天気模様、うとうとしそうな、うららかなお昼時、大王製紙の煙はまっすぐに空を目指していた。

ここまで来たのだから翠波高原、金砂湖まで何十年ぶりに桜を観にいってみるかとポジテイブを立ち上げる。だが如何せん、ピークをとっくに過ぎた六歳馬の身体は石化つつある(笑)。一方で、行ったことあるやろと悪魔の呟きが、僕をフリーズしたらしめる。

そんなときには脳裏に、学生のころ初めて乗った車、愛車セリカリフトバックがあらわれる。この鉄の塊のような重たい車は、冬場はキンキンにひえて、フロントガラスには霜がはる。さめたお湯をフロントガラスにかけるも、エンジンも一発ではかからず、「チョーク」という、ハンドルの下にあるレバーを引っ張ることで、やっとやっと車の始動にいたるわけであった。

実は、絶滅危惧種ヤンバルクイナとよべる「チョーク」という言葉は1970年代にあらわれた。

日本でプロレス選手のアントニオ猪木やジャンボ鶴田がつかったスリーパーホールドという必殺技をご存じだろうか?相手の背後に回り、腕をUの字にして太い腕でのどあたりをしめつけるプロレス技で、やりだしたら止まらないかっぱえびせんの
ような麻薬技でもある。それが試合中に喉元に食い込むと、やられた方はいてもたまらず、反則技だとアピールのため「チョーク、チョーク」を連発したものだ。

※猪木だけは、あれは本当に締めていた(笑)

この裸締めともいわれる喉締めの技は、悪意の元に進化し、レフェリーの死角で腕で喉仏あたりをたびたび締め付けるようになる。まさにそこには窒息状態一歩手前まで発展してしまう残虐性があった。その世界に観客は安売りの正義を立ち上げ、ヒートアップして、残虐性という生物の持つ本能に酔いしれていたのだ。

えらい長くなり脱線をしてごめんなさい。チョークレバーは、それを引くことで、エンジン内に酸素の空気の流入量を減らし、燃料が濃い状態をつくりあげ、燃焼しやすくなる役目があるのです。

そして、こんな風に僕は、とらえている。

「人生になにひとつ無駄なものはない」=「チョークレバーを引け」

肉体的にも自分で喉を締め上げ(笑)「行くのか」「行かないのか」などとやってみると、「チョーク、チョーク」と叫びながら、次ぎに「行きます」と僕は答えるのだ。自作自演と呼ばれようと、こんなバカなことをしているのは自分だけだと気がついていても、いちおう無駄をやってみる。

先日サンデーソングブック「25周年記念ライブ」招待券応募ハガキを、12時間かけて書いて見事に外れた。何度も書き直した、あの時間は何だったのだろう。

無駄だったという判断は、自分勝手な判断

人生を直線にすると、ありきたりなモノ、色あせたモノ、墓場みたいな無駄のない世界になるだろう。無駄がはいると、人生は立体になる。

東野圭吾さんが、面白いことを書いていた

日常生活の中で、おやっと驚いたこととか、こうだとは思わなかったといった、些細なこと。それが全部小説のネタになる・・と。些細なことを真剣に考えるか、馬鹿にするかどうかなんです。

「人生は無駄ばかりだ」という人より、「人生になにひとつ無駄なものはない」と言う人と食事したい(笑)

今日はこんなところです。


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