ネタ帳ラボ!一期一会

お江戸2「川崎大師」へ

ネタ帳ラボ!一期一会

お久しぶり東京、全日空は68番ゲートに到着。到着口までのガラス廊下。

 

ふりそそぐ朝の光のプリズムに頭がくらっとする。20代の頃、この東京で青春をひとつかみしながら、僕はたしかに生きていた。

 

それが、どうだ「あれから30年」背中の加齢というフェードアウト装置が、起動して止められない。(笑)解除装置は背中にあるのだけど、この野郎!絶対に手が届かないとこにスイッチがある。それだけの柔軟な体は、取り戻すことができそうにもない。(笑)このフェードアウト装置は二回人生をやれないということを、実感させてくれる。

 

それでも、なにかしら生きることは捨てたモノじゃない。そう思わせるのは、到着口で待つている永遠にかわらない友達だ。

 

羽田から友達の車に乗り、「川崎大師」へ。カセットテープを入れるだけであの頃に飛んでしまう。ナビなし、ETCなし、30年前と同じ時間を届けてくれる。社会的に時代の流れに抹殺された文化を大切にしているその生き方は、僕に一喝を与えてくれる。

 

さてさて、「川崎大師」は弘法大師を本尊として祀っているお寺。

 

参道の仲見世には久寿餅(くずもち)やとんとこ飴(包丁のリズムが有名)、せんべい、だるまなど、物見遊山的に散策する人にも、たくさんのエンターテーメントが用意されていて、お江戸の頃から庶民に脈々として、娯楽を提供してきたようだ。

 

八十八箇所を廻った僕は、弘法大師の古刹なお寺ばかりを廻っていたので、不思議な感じだったけど、こういう風に宗教が身近にあるというのも悪くないなと思った。

 

ヒリヒリする毎日を変えてくれる、平場で誰もに愛されるような力を放つような場所は、何かの入り口かも知れない。

 

車にカーナビがないので道を間違える。久し振りの感覚だ。そして間違えたおかげで、美味しい「ぜんざい」に出会う。こういう時間は、人生に「うるおい」をプレゼンとしてくれる。

 

友達と二人で行動すると、かならずこういうことが起きる。そういう偶然の産物という奴を、俺達はなんど体験しただろう。皆さんにも、アイツといるときは何か起きるなんてことないですか?

 

「ぜんざい」だけで2時間しゃべれる。絶妙の合いの手と高笑いがあふれていた。

 

久し振りにお江戸へ、そして小室哲哉さん

ネタ帳ラボ!一期一会

先週末の早朝、松山空港。久し振りにお江戸へ・・・。

 

前日眠れなくて、ボーイング787のシートに背中を持たれたら、背が泥沼に吸い込まれるように、睡魔の底なしの泥に体がのめりこんでいく。

 

隣にいた、左手でLINEを打っていたサウスポーの女性も一寸僕より遅れながらも同時進行で眠りに落ちて行くのがわかる。こんなに肩を寄せて隣に美人が接近したのは何年ぶりで、その眠り顔を僕だけが独占して拝んでみようと不埒なことを考えた。

 

だが彼女の甘ったるい香水の匂いにつつまれると、逆に軽い眩暈に襲われて、頭の回路がショートしたように数秒で眠りこけてしまった。

 

パタリ、ブランとした時間の中で、突然床下からワイヤーを巻き上げるような音がして、目が覚めた。飛行機は既に羽田空港にレーダーで導かれるような線をなぞって、東京湾を羽田に向かい着陸態勢で滑空していた。右隣から、再び甘い匂い、そう記憶の中の抽斗にある匂い。なぜだろう、古い記憶が覚醒されていく。その香水を纏った女の顔が浮かびそうで、思い浮かばない。

 

ボーイング787のコンピューター制御された機体は微動だにゆれず最終着陸態勢にはいった。僕は機中にいるのに、まるで羽田空港の管制塔の管制官のように、787の着陸態勢の美しいフォームが手に取るようにわかる。長野オリンピックのジャンプ競技(団体)でただひとり20点満点をたたき出した、金メダルの最終滑走者、舟木選手のような、きれいな着地フォームを思い浮かべていた。

 

一月の東京の空は、青空をはにかみながら、久方ぶりに上京する僕を迎えてくれている。到着と同時に、サラリーマン軍団は上着を着こなし、シートベルトを外してもいいサイン音と同時に、一丸となり礼儀正しく、立ち上がる。フライングがない(笑)

 

こんな光景は日本にしかない。日本人のプライドここにあり。(^^)/~~~

 

荷物棚のピンクのminiスーツケースをおろして、彼女に無言で笑顔を投げた。上目遣いに僕を見た左からの笑顔は、彼女の利き顔だろうか、男をだいなしにするような魅惑の微笑みだった。

 

上京中に小室哲哉さんが、奥さんの終わりのない看護に疲れ、それを支えてくれる女性が必要になったというニュースをTVでみた。私のような民草の生命体でも、東京に行くだけでもなにかしら、旅と同時に、くだらなくときめくように(比べるのもしつれいだけど)、小室さんの今回のことをかんがえると、人間として健康で、安心で、至極健全なことだと僕は思うのだけど、どうだろう。

 

一見、奥さんの介護と自分の体調不良を理由にしたような会見にニュースは見えてしまうのが残念。TWITTERが、人間は他人の心の弱さや痛みには鈍感で、人間は正義なんかでできてないよと、同情して叫んでいるのが、妙に新鮮だった。

 

長くなりそうなので、ひと言わせてほしい。小室さんは、音楽家なんだ。芸術家なんだ。
孤独で、どうしようもないうらぶれた夜に、暗闇の中できっかけを与えてくれるようなしごとをしてきたんだよね・・。

 

たとえば何万人の人が、小室哲哉&安室奈美恵の芸術に助けられただろう。

 

wow wow tonight 時には起こせよムーブメントができあがったときに、小室さんはヒットを確信したという。どんだけの若者がこの歌でストレスを発散しただろう。

 

Hey Hey Hey 時には起こせよムーヴメント
がっかりさせない期待に応えて 素敵で楽しい
いつもの俺らを捨てるよ
自分で動き出さなきゃ 何も起こらない夜に
何かを叫んで自分を壊せ!

 

倫理感や道徳観を人質にとって、ナイフを突きつけ、正義を振りかざす奴は音楽を聴く資格なんてないんだよ。

人間はもっと薄汚れているんだ、知っているだろう、そんなこと。もうやめようぜ・・。

 

小室さんが、孤高に立ち上がり

生き恥を晒しても、

イイ音楽を届けるために、再びたちあがる日を

まっています。

 

※お江戸の話しは次回につづきます。(笑)&(;゚ロ゚)

 

今日はこんなところです。

 

大河ドラマ バカ正直な西郷どん

ネタ帳ラボ!一期一会

西郷どん「第二話」

貧乏を貧乏とせず、こやしにした時代。

西郷さんは、寡黙な人というイメージとは裏腹に、そこは小説らしく快活にテレビドラマとして描かれていく。

調べると、西郷家は御小姓与(おこしょうぐみ)という身分で、これは10の家格に分れていた薩摩藩士の下から2番目の身分だそうだ。(大久保さんも同じ御小姓与)西郷家は七人兄弟+父母+祖父母の11人家族、どうかんがえても生活は困窮してたに違いないと思える。

原作者、林真理子さんの女性目線で、ドラマは進行。西郷家の妹たちの困窮や、お手伝いの女の子が売られてて行くシーンなど、細切れにちらちらと、挿入されていく。

正直にバカがつく、西郷さんの絡み方を見ながら思ったのはおふくろのことだった。

正月のこと、ビュッフェで親戚一同が集まり食事をし、母は家にかえり、ハタと領収書をみる。そこで一人分払ってないことに気がついたおふくろ。すると何の衒いもなく、寒い中その一人分を払いにわざわざ店まで戻ったという。お店の人も何を感じたのか「わざわざこんでも、わからんかったのに」と告げたそうな、「食べたモノはお支払いしないとバチがあたるから」と母は、どうやら笑い飛ばしたらしい。

「バカ正直」というものの、もう八十歳まで続けていれば、モノが違う。この話しを聴きながら、ただひたすら不埒な自分を恥じ、襟を正し、居住まいを正さねばと、ロープ最上段からの脳天唐竹割りを浴びた気分になった。そうだな、母の一生の事実を新聞にするなら、このシーンを切り取らないといけないなと思ってしまったのだ。

夏目漱石は「愛嬌というのはね、自分より強いものを倒す柔らかい武器だよ」と言った。

その言葉は、最近の自分の好きな言葉だった。

さりとて、ですよ、正月に母のこの話をきいていると、愛嬌には「気に入られたい」という意図がどこか滲んでいて、「愛嬌」は「バカ正直」と正面対決では勝てない(笑)「バカ正直は」漆を何重にも重ねた、母の場合は八十年塗った、匠の逸品のようなもので成立しているらしい。

そんなこんなも、「西郷どん」のおかげですね。

一日メルマガ発行が遅れてすみません(^^;)

今日はこんなところです。

不完全燃焼、大河ドラマ 西郷どん

ネタ帳ラボ!一期一会

大河ドラマ 西郷(せご)どんを見た日曜日。

正直つまらなくて、僕の心の桜島はもう少しで噴火しそうだった。(笑)

ならぬものは、ならぬ。女性がつくると・・、こうなるのか。

 

僕が初回を演出すると、どうなるだろう。

西郷(せご)どんのファンタジー演出とは違うことをやってみたい。

 

時は、鎌倉時代、初代島津のルーツを探す・・。

 

御家人島津忠久は、先住民がどんな種族ともわからない未開の地九州薩摩に、薩摩芋しか育たない不毛の地に、源頼朝から守護職を命じられ赴任した。

 

実は忠久の母親と、源頼朝は同時期に同じ乳母の乳で育ったらしい。そう、かくして、同じ伝説の乳首で育った兄弟なのだ。僕も参加したい(;゚ロ゚)これは歴史学的に見ても稀なのだが、ここは話しを膨らますのはやめる。(笑)多分無理矢理、この歴史は美談のように歴史にねじ込まれたのだろう。

 

二年ほど前に母親を連れて鹿児島へ行った。城山ホテルの桜島が見える露天風呂。そこには桜島が今日何回噴火したのかを掲示していた。桜島は年に1,000回は噴火するらしい。

 

不思議なのは、その桜島にたくさんの人が今でも住んでいることだ。

 

桜島の麓にある小学校にはいまも脈々と続く、恒例行事がある。桜島の対岸まで4キロを全員で泳ぎ切るという伝統だ。

 

西郷どんで郷中教育を説明していたがわかりにくいこと限りない。(笑)これこそが、薩摩の教育の象徴だろう。

 

桜島の対岸まで4キロを全員で泳ぎ切る。ずっと続いてるんでしょうね。泳ぎが得意なものは、友達を支え、泳ぎが苦手なものは、迷惑にならないように必死に練習する。誰一人、落伍者を出さず泳ぎ切る。薩摩の血の結束がそこにある。

 

学校なんてない、朝6時に先輩のところに行き四書五経を学び、10時から相撲をとり、午前中再び先輩は後輩に勉強を教える、午後は山、川、海で遊び、夕方武芸の稽古をし、武士としての心得を学ぶ。

 

桜島がもし噴火すれば、全員が錦江湾を泳いで逃げる。このポテンシャル、団結力を持っている薩摩に日本のどの藩が勝てるというのだ。

 

そして、この「負けるな、ウソを言うな、弱い者をいじめるな」という郷中教育の教えをつくったのは島津義弘。

 

「関ヶ原の戦い」ではいろいろあって西軍だった。敗戦濃厚、まわりは東軍だらけ、どうやって血路をひらくか。義弘は鬼将「福島正則」に正面から切り込み、士気を束ねて徳川家康に突っ込んでいき、にらみをきかし、血路を開き退散す。

 

追いかける、本多忠勝などの徳川四天王に対し、「捨て奸(がまり)」という戦法をとる。殿(しんがり)部隊は敵を食い止め、全滅すると、新たな部隊を再編し、再び全滅するまで義弘を逃がすという作戦。さらに、退路には小部隊をつくり、追撃する敵の大将だけを狙うという鉄砲隊を配置。追撃隊の大将・井伊直政には致命傷を負わせて逃げ切った。すべては練習済み、折り込み済みの知略なのだ。

 

島津義弘は関ヶ原の闘い後、重傷を負わせた井伊直政に和平交渉を頼み、それには福島正則も尽力し義弘を助けた。名将というのは敵味方問わず信頼され、リスペクトされるんでしょうね。

 

最後は、薩摩にはお金があったのかと言う話題です人生はお金です、「金がなくては戦はできぬ」であります。

 

歴史を歪めるのは、結局は運がある人物だと思うんです。

薩摩にもいます・・・あり得ないほど変な人が。

 

島津重豪(しまづ しげひで)

・薩摩藩の財政、500万両にも及ぶ膨大な借金。※藩の総収入15万両

・老中広郷は行政改革、農政改革。商人脅迫、借金を無利子で250年の分割払いへ

・広郷は密貿易、砂糖の専売制など改革。汚れ役だが彼なしでは薩摩はない

・最終的には100万両を超える非常用積立金が藩庫に収められた。幕末に役立つ

 

重豪は・・

32年の長きにわたって藩主の座にあって藩政を独占

贅沢三昧をして藩の財政を破綻させる。桜島も噴火で散々

愚君の評価を下す人が多い

 

しかし型破りの殿様の「無茶」こそが・・・

西洋文化に造詣が深く、蘭学に大変な興味を示し、自ら長崎のオランダ商館に出向

藩校・造士館や演武館を設立し、教育の普及

明時館(天文館)を設立し、暦学や天文学の研究

医療技術の養成、医学院を設立

曾孫の斉彬の才能を高く評価、斉彬とともにシーボルトと会見

当時の西洋の情況を聞く。彼はローマ字を書き、オランダ語を話す

「蘭癖大名」と呼ばれる

 

幼少時にその教えを受けた斉彬は重豪の教養を基盤として集成館事業を興す

※反射炉の建設や軍艦の製造へ

 

島津重豪の藩政下

・当時薩摩藩の人口のおよそ4分の1が武士。これは全国の武士の1割にあたる

・城下町に収容しきれないという名目で、麓と呼ばれるミニ城下町となる

 ※知覧に行きましたが、武家屋敷は圧巻

・「薩摩の方言や服装は野蛮だ。上方の風俗を見習うべし」上方から遊女を積極

 的に薩摩へ呼ぶ

・徳川11代将軍家斉(いえなり)に自分の娘を嫁がせる

・多くの子供や孫を、有力大名の養子や妻の座へ送り込んでいく

→このことが外様大名島津に権力を与えた

 

明治時代の「廃藩置県」を機に返済はストップ。事実上「200年以上ふみ倒し」

島津重豪という、異分子があってこその薩摩藩の歴史ですね。(^O^)

 

「薩摩に暗君なし」この後の系譜はこうです

島津斉興 → 島津斉彬 → 島津久光

 

時間がなくなりました。配信日の朝、書いているもので。

 

西郷どん、次回は跳ねて欲しいですね。

 

これらのデーターはネットや、書籍から得たモノです。

裏付けはまったくありません。

そこのところ、よろしくお願いします。

今日はこんなところです。

 

2018年今年もよろしくお願いします。

 

鷹揚(おうよう)は人柄

ネタ帳ラボ!一期一会

おはようございます。クレストデジタルズ渡部です。

クリスマスの週末あたりを、年の瀬と誰がよんだのだろう。瀬戸際という言葉、瀬戸内海、何かしら狭そうな場所で、押し迫った感じ。さて、2017年のメルマガも最終回です。

その年の瀬に実家にいると、ピンポンと玄関のチャイムが鳴った。

「こんにちは、研ぎ屋です」

と、70代半ばくらいの笑顔のおっちゃんがやってきた。

「おふくろ外出してるんですよ」

と伝えると、

「いつも年末来てるんよ、また来ます」

と、ちょいと帽子をあげながら、にこっと笑って、一秒ほどの好印象を確かに残して、足早に去っていった。

家に帰ってきたおふくろに、

「包丁の研ぎ屋さんが来たよ」と告げると、

「あのオジサン毎年来るのよね」とおふくろが言う。

「いくらなの?研ぎ賃て」と僕は下世話なことをきく。

「300円よ」と、おふくろがニッコリ答えて熱いお茶をすする。

「安っ!年末ボランティア的にやっているのかな?」

「ちゃんとお小遣い稼ぎなのよ、もう10年くらい来てるんよ、毎年の年末の風物詩みたいなもの」とおふくろが、当確印をつけて応える。

「お小遣いかせぎってなんでわかるの?」

「野菜をいつも売りに来るK西のお祖母ちゃんいるじゃない。春になるといつも食卓にのる、春キャベツが美味しい、あのおばあちゃんよ、覚えてる?」

「えっ、もう90歳過ぎてるでしょう、まだ売りにくるの」

「旦那さんが亡くなって野菜つくらなくなったのよ、だからK西さんもう行商をやめるのかなって思ってたら、初夏には庭のイチジクをもいで、秋には庭の柿をつんで売りに来るのよね。100円とかそういう値段なんだけどね。その100円で缶コーヒー飲んだらうまいんだって・・・」

うーーーん。どこかしら奇妙だが、面白い!昭和の風景だ。

もう40年近く野菜を売りに来てるらしい「なんとたくましい」ではないですか。そして、おふくろも買わなくてもいい野菜をそれは何十回も買っていたものです。まさか、庭のイチジクまで食べることになるとはね・・(笑)

富山の薬売りの人も40年くらい春、秋と来ていたのですが、いつもうちの玄関で自前のお弁当を食べるんですよね。もうそろそろ、薬売りのおじちゃんが来るねと母もいつも美味しいお茶を用意してたものです。いつのまにか、そんな温かい関係ができてしまうのがおふくろです。

ひと言で言えばおふくろは「鷹揚(おうよう)」なんですよね。ゆったりとして、せこせこしない、ちょいと上品に楽しんでいる。たぶん、野菜を買わなかったことはなかったと思います。(笑)

人生は無駄づかいや、無駄なお付合いであふれている。いや、ほとんどが無駄なことで、できちょる。全ては出会いの中にある。

小学校四年生の時に父親がなくなり、母は高校卒業まで家の家事をやっていた。おふくろの兄貴は、結婚するまで文句ひとつ言わず、畑仕事を手伝って。高校をでて農家を継承した。僕はそのおじちゃんが怒ったのを一度も見たことがない。奥さんも見たことがないそうだ。

誰が教えたわけでもなく、人が困っているときに、自分の一杯のミルクを差し出すような美しさを持てたらなと思う。そういう大切なことは、家庭の中でしか身につかないんだろうね、自然と身につけるのは家族の才能だと思う。

2017年お疲れ様でした。

来年は1月中旬から、再びメルマガスタートです

皆様、よいお年を・・・(^O^)

今日はこんなところです。

< 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 >