ネタ帳ラボ!一期一会

無駄な金と時間は僕の個性なのだ

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人生は無駄な金と、無駄な時間でできている。

無駄の中で個性は生まれ、無駄が母のように個性をはぐくむ。

無駄の敵はなんだ、競争、結果、効率という時代が求めるものだ。

集団という群れの中で、安住の地を探すのは楽だろう、でもそんな居場所にいる人がダメだというわけでもない。むしろ、その中に幸せである人はたくさんいて、僕には羨ましい。集団にいても、旅に出ると、旅のインプットは見事な彩りと、グラディエーションを放ち「物事の味わいを感じ取る能力」を覚醒させてくれるだろう。

2016年、僕は群れの中から飛び出てお遍路を廻った。一人も知っている人がいないというのは心地よい。

うるう年で、88番札所から1番へと逆に巡る「逆打ち」

60年に一度の丙申(ひのえさる)

弘法大師・空海のご利益が3倍になるとの言い伝えがあるらしい。

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それは初めてお遍路周りをした衛門三郎の故事に由縁があります。

伊予国河野家の一族で、砥部の運動公園からほど近い、文殊院で豪農である衛門三郎という者の物語です。欲が深く、情け容赦なく農民に接する、この男の前に、みすぼらしい僧が現れ、托鉢を行います。八日目、衛門三郎は、怒って僧が捧げていた鉢を竹のほうきでたたき落とし、鉢は8つに割れてしまいます。そして僧も姿を消します。実はこの僧は弘法大師でした。

三郎には8人の子がいましたが、その時から毎年1人ずつ子が亡くなります。8年目には皆亡くなってしまいました。悲しみに打ちひしがれていた三郎の枕元に大師が現れ、三郎はやっと僧が大師であったことに気がつきます、そして自分は何という恐ろしいことをしてしまったものだと後悔するのです。

三郎は懺悔の気持ちから、田畑を売り払い、家人たちに分け与え、妻とも別れ、大師を追い求めて四国巡礼の旅に出ます。二十回巡礼を重ねたが出会えず、大師に何としても巡り合い気持ちから、今度は逆に回ることにしました。ところが、巡礼の途中、阿波国の焼山寺の近くの杖杉庵で病に倒れてしまいます。死期が迫りつつあった三郎の前に大師が現れました。三郎は今までの非を泣いて詫び、「望みはあるか」との問いかけに「来世には河野家に生まれ変わりたい」と託して息を引き取るのです。大師は路傍の石を取り「衛門三郎再来」と書いて、左の手に握らせます。それは、天長8年10月のことです。

翌年、伊予国の領主、河野息利(おきとし)に長男が生れるました。その子は左手を固く握って開こうとしません。息利は心配して安養寺の僧をよび、祈願をします。すると赤ちゃんはやっと手を開き、手の中から「衛門三郎」と書いた石が出てきました。その石は安養寺に納められ、後に「石手寺」と寺号を改めたます。石は玉の石と呼ばれ、寺宝となっているそうです。

衛門三郎は妻と別れの水盃をかわし、死に装束ともいわれる白衣(びゃくえ)に、手には手っ甲、足には脚絆、頭には魔除けの菅笠をかぶり、右の手に金剛杖を持って旅立ちました。この出で立ち姿が、お遍路さんの姿となります。

巡礼したお寺に紙には自分の住所、氏名、年月日を書き、お札をお堂にはりました。これが、お納札になったそうです。(自分の居場所を弘法大師に伝えるため)うるう年の巡礼者は通年の数倍に上るともいわれる。しかも逆打ちで弘法大師に巡り会えたという伝説が残る60年に一度の丙申(ひのえさる)

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丙申(ひのえさる)の意味はわかりますか?一応説明・・難しいけど(笑)

今年は申年(さるどし)ですが、正確には丙申(ひのえさる)なんです。

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干支(えと)は十干十二支(じっかんじゅうにし)でできていて
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十干(じっかん)は、甲乙丙丁戊己庚辛壬癸
甲(こう)、乙(おつ)、丙(へい)、丁(てい)、戊(ぼ)、己(き)、庚(こう)、辛(しん)、壬(じん)、癸(き)

十二支(じゅうにし)子丑寅兎辰巳 馬羊猿鳥戌亥
子(ね、し)、丑(うし、ちゅう)、寅(とら、いん)、卯(う、ぼう)、辰(たつ、しん)、巳(み、し)、午(うま、ご)、未(ひつじ、び)、申(さる、しん)、酉(とり、ゆう)、戌(いぬ、じゅつ)、亥(い、がい)

十干(じっかん)甲乙丙丁戊己庚辛壬癸
十二支(じゅうにし)子丑寅兎辰巳馬羊猿鳥戌亥

甲子(きのえね)→乙丑(きのとうし)と順に進み、壬戌(みずのえいぬ)→癸亥(みずのとい)で60で一巡して最初の甲子にもどります。

「10×12=120通り」ではないのです。60通りです。
※「甲子」はありますが、「甲丑」はないのです。
詳しくはgoogleで調べてくださいね。

60で干支は一周し、還暦を迎えるというわけです。

丙申(ひのえさる)の年、お遍路にいっても御利益があるかどうかはわからない。

煩悩が消えるかと思ったけど、ますますそれは輪郭がくっきり表れてきて、キラキラ輝いている。(笑)

こうなれば、何も期待しないで生きるしかないか、と笑い飛ばす。そうすれば、何かいいことがあれば、早天の慈雨として受け止められるだろう。いつもなにも期待しない事が原点だということだけは、お遍路でわかった。

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たくさんのお守りを買った、御朱印も集めた、三途の河の渡し賃の寛永通宝六文銭も70番本山寺で1,000円で買い求めた。招き猫も財布に入れた、白衣の襟に光明真言の文字(梵語)を16番札所の観音寺2,500円で書いてもらった。無駄なことばかりしているようだが、孤独を纏うようにそんなものを買い求めてしまう。まあ、そんな付属品を含めて自分自身なんだろう、それを信じるのも才能で有り、その才能は時に運命と同意語なんだと思ってしまう。

多分、僕は1mmも成長してないかもしれないけれど、こころ萎えたとき、何か一定ともいえる確かなことが、思い出されるかもしれない。

いよいよ12月10日(土)お遍路結願!!へ

NHKオンデマンドでダーウィンの番組になるほど!

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おはようございます、クレストデジタルズ渡部です。

NHKオンデマンドでダーウィンの番組を見ていると久しぶり面白かった

ダーウィンはありとあらゆる飼いバトの種類を飼って研究していたという、剥製

も集めたという。そしていろいろ交配もしたという。品種改良を研究した。

そしてハトの特色を3つにまとめた

1.樹の上に巣を作らない

2.樹に止らない

3.岩棚を好む

そこで、これらの起源は野生種のカワラバトと推察した。

カワラバトは松山の市駅前の日切り地蔵でなど、どこでも見られる鳩だ。

それを確かめるために、白いファンテールと黒いバールという全く似ていない種を

交配し、孫の代でカワラバトが生むことができた。それは先祖帰りを意味した。

俺は進化しているのだろうか?(笑)

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ダーウィンは進化のためには生存競争だという
「生存競争」食物を獲得しやすい種が残る。
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生存競争は食べ物が足りてないから起きる。キリンも首が長くないと、高いところ
の餌を食べれない。

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もう一つダーウィンは進化のためには自然淘汰だという
「自然淘汰」獲物として狙われにくい種が残る
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生存競争のため環境によりよく適応したものが子孫を残して、その変異を伝える確
率が高くなるということだ。

雪深い高山に住む雷鳥の冬の羽の色は白

泥炭の蓄積した湿地に住む雷鳥の羽の色は泥炭色

荒れた草地に住む沼雷鳥は紫紅色

羽の色は住んでいる環境の色と似ている

生き残る種というのは、最も強いものでもなければ、最も知能の高いものでもない

。変わりゆく環境に最も適応できる種が生き残るのである。

ダーウィン(自然科学者)

最終回まであと1話お遍路ツアー

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おはようございます、クレストデジタルズ渡部です。

同行二人、お遍路は約1,460kmの果てしない旅。それをバスツアーで行こうと思ったのは、親父の体調がすぐれずいつ果てるかもしれない生の病気平癒のためだった。そして心の中では親父に「人生を生ききってほしい」と願い、胸だけは気持ち張りながら僕のお遍路旅は始まった。

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残念ながらお遍路の僕の願いは叶わなかった。親父は生涯の愛称”ヨリサン”の4月3日になくなった。それは単なる偶然とは呼べないものだった。その偶然に背中を押されながら、夏のラムネ色の空は心を穏やかにしてくれたが、突如現われる夏雲のいかついた感じは裏寂しい気持ちをかき立てた。

お遍路をまわりながら、なにか僕は天から語りかけられるのだろうか?

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そんなことに思いをはせてはみたけれど、いっこうに未来に向かっても、過去に向かっても、何一つ語りかけては来なかった。ただ、ただ無言だった。

歩き遍路の人の中には、独りで、孤独の皮膚を纏い、根絶やしできないような煩悩と向かい合っている人もいた。思い人のことを、ただただ遠い記憶の中に求めるように、時間を駆け上りながら、ライムトラベルをしている人もいた。彼らは突如、映画のワンシーンのようにあらわれた。彼らは浮かんでは、沈んでいく悲しみの果てに、なにかに出会えているのだろうか。

土佐の久しぶりの太平洋の海は母のごとく静けさを抱き、その凪のように札所はひっそり閑として清空間だった。阿波のお遍路で廻る札所のお寺は、余計なモノをさらすことがない静けさの沈黙が漂っていた。讃岐はどっちに転がるのかわからない人生そのもののように思えた。そして、最後の愛媛で何か僕は切実なモノを手にできるのだろうか?

さあ、いよいよ残り2回のお遍路旅

11月19日(土)
60横峰寺・59国分寺・58仙遊寺・57栄福寺・56泰山寺・55南光坊・54延命寺

12月10日(土)
53円明寺・52太山寺・51石手寺・50繁多寺・49浄土寺・48西林寺・47八坂寺・46浄
瑠璃寺

ただ、ただ無言のお遍路の風景。放心の果てのお遍路の景色。

それらが、脳細胞のほうぼうに美しい色彩のように残っているのはなぜだろう。何度目をそらそうとしても、わだかまっているんだ。

そういう意味で、お遍路は輝きを光の微光の束のように放つ、ディズニーランドだと思う。

時の洗礼を受けてないもの

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「時花」って読めますか?
 

 
これは「はやり」と読みます。
 

 
「はやり」はATOKで変換すると、「流行」としか漢字変換されません。(汗;)
 

 
流行は川の流れる様のごとく世間に流布するっていう感じですね、最近の流行は人工的な流れというか、趣にかけてしまい、共同体にいつの間にか呑みこまれて、いわゆる性懲りもなく感染というような感じでしょうか。(笑)どうもインフルエンザみたいなものにしか僕には今想像できなくなってしまったのです。美しいものが、スマホで撮影され、ネットやマスコミの情報から知っていくという現象でしょうか、それはきっと悪いことではないんでしょうけどね。でもなんかうつろな気持ちになる・・・。
 

 
「時花」のことを知ったのは、三島由紀夫さんの本を最近読み出したからです。
 

 
「時花」という漢字は、薄命な命の美しさのように、清らかで、そんな気持ちをかき立てます。たったそれだけのことで、「時花」の漢字を知っただけで、日曜日に降った十月の雨は、ゲリラ豪雨の初夏の雨とはちがい、やわらかで、張りつめたものがなく、とってもやさしい雨に感じられるのが不思議でした。外にも出かけず、本ばかり読んでいるからでしょうか(笑)
 

 
BOOK OFFの100円コーナーで村上春樹さんの「ノルウェイの森」が売ってたので、したりと思い読みました。すると、ある箇所が胸に突き刺さりました
 

 
それは・・・
 

 
「現代文学を信用していないというわけじゃないのよ。タダ俺は時の洗礼を受けてないものを読んで貴重な時間を無駄に費やしたくないんだ。人生は短い」「だから読むのさ。他人と同じものを読んでいれば他人と同じ考え方しかできなくなる。そんなものは田舎者、俗物の世界だ。・・・・あとは紙くずみたいなものさ」
 

 
そして明屋書店をぶらりとしていると、特集コーナーがあって坂口安吾の「堕落論」とか、三島由紀夫の「金閣寺」が書店の一押しコーナーに並んでいるので、迷わず購入したのです。それはまさに僕にとって「時花」という感じで、言葉がひらりと宙を舞い、新しいワールドが開墾され、それは湧水のように、さらさらと時の洗礼が流れるんですよね。
 

 
大衆にものが行き渡り、スマホさえあればまあそこそこ楽しめる時代、世界の真ん中にポジションをとるよりも、端っこの方ポジションをいかにとるか、できれば崖っぷちで爪立ちすれば、興奮はMAXになると思うけど、たぶん崖のはしにいると会話も多くて楽しいだろうね・・。今までとは違うものを食べたり、昔からの時の洗礼のあるものを食べたりしないと、ますます息苦しく、むせてくるよな気持ちが、襲ってきます。
 

 
さて、週末Netflixで「カノジョは嘘を愛しすぎてる」という邦画をみました。何の気なしに見たんだけど、言葉や、挿入歌にざわめきがあって、よかった。
 

 
それは、クリエーター達の作品としての言葉ひとつひとつが
 

 
「奇跡よ起きてくれ」と、叫びながら紡ぎ出したようで、それが音楽となると感動の増幅装置となり、大衆を貫いてくる。
 

 
言葉って、ヒリヒリする毎日を変えてくれる、今ある武器であり、お守りの気がします。
 

 
漫画が原作らしいのですが、女性コミックなのでかりにくいー(笑)
 

 
でも、そんな女性コミックの世界に、ざわめきは、気配を消して転がっているのかもしれませんね。
 

 
今日は、こんなところです。
 

  

 

ことばの世界と漫画の世界

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彼女は10月の物静かな空を見上げ、そして、何かを思い出すように目を閉じた。ファッション雑誌から切り取られたような、綺麗な少女は、さみしげだった。

東京の空を見上げながら、故郷の空を思い出しているのだろうか。

小さな背中は、壊れてしまいそうで、均衡が崩れかけていた

 

 

などと・・・適当にイントロを書いてみた。

 

 

新海誠「君の名は。」という映画がヒットしているらしい、僕は見ていない。

 

 

『秒速5センチメートル』『言の葉の庭』はNetflixで最近見た。

 

 

週末、村上春樹「ノルウェイの森」を読み返していると、その表現が随所で類似しているな・・・、と思った。

 

 

やさしくて、美しい言葉を時代が求めているんだろうか

 

 

「ノルウェイの森 」は、描写にはないのに、部屋に吹き込む風とか、足音までが聞こえてくるのが不思議だった。感情をゆさぶるための、筆者のテクニックなんだろうね。それは長い会話と、たまに出てくる手紙の文章が、芸術的にうつくしく、よどみがないからに違いない。僕は、村上春樹作品は、空気感とその匂いが好きだ。

 

 

漫画を読んでいるときに、いつも思うのは「さみしい」と言葉で言わずに、どう漫画家がそこを台詞なしで描くかであって、そのための執念の放熱が漫画の熱量だと僕は思う。台詞でキャラクターが「さみしい」などと語ってほしくはないのだ、それが芸術だ。

 

 

漫画で産み出されたそんな空気感を認めるのにあたり、日本という植民地化されなかった風土で育った民の感受性は、オマージュ細胞を爆発させ、生活にそれらを溶け込ますのが得意技だ。そしてその世界観をリスペクトするので、漫画の世界観のとりこになると、もう抜け出すことが出来ない。

 

 

模倣というのは、素晴らし世界の工場だ、だって、ヒット作品なんて、過去のいろいろな組み合わせが変ったようなものだろ。まあ模倣が下手だとパクリと呼ばれるけどね。日本はこの分野が世界一だから、本気出したら絶対に負けないと思っている。

 

 

漫勉というNHKの番組をみていて、漫画家の作者はだいたいが、昔々は、へたれ男と女であったというのが、いつも興味深い。

 

 

だからみんな、今週もがんばろうぜ!(笑)

 

 

今日は、こんなところです。

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